2014年8月19日

今の時代のプロフィール写真、その撮り方とは

フェイスブックを見ていると、「プロフィール写真を変更しました」というお知らせがよく出てくる。
新たに自分の写真を撮影したり、前の写真よりもっと気に入った写真が出てきたりするから、変更するのだろう。

そういう写真を見て、
「おっ、ずいぶん化けたな。」と思うことがある(苦笑)。
実際のところ、それは成功なのか、失敗なのか・・・・?!

撮影してもらって楽しかった~!という満足が欲しい人なら、
それはきっと成功なんでしょう。
でも、もしもその写真がビジネスにもつながる可能性のあるプロフィール写真である場合は、必ずしも成功かどうかは、疑問だと思う。

ビジネス使用の場合、1度も会うことなく終わるのであればいいけれど、いざ会ってみて「あれれ?!」ということになると、これはちょっと困りものではないだろうか。
それを逆手にとって上手に商売している方もいらしゃるが、そうでないと、イメージダウンにつながりかねない。

タレントさんのようなポーズをしたり、素敵な写真に加工してもらった写真の場合、被写体本人の満足は大きいかもしれない。変身できるのだから。
けれど、その写真のイメージで初めて会う者の立場からすると、イメージとの差異に驚いてしまうことになる。
それがうまく行っている人も中にはいるが、その写真が無用なイメージダウンにつながるとなれば、却ってもったいないことだ。
穏やかな人のはずなのにイケイケの元気な顔写真だったり、妙なガッツポーズをしたり、不自然なオスマシであったり。
これがモデルのように撮られ慣れている人でないから、余計に違和感が出てしまうのだ。
私自身も、そういう方に何度かお会いし、変に無理しない方がずっといいのになあ、と思うことがたびたびある。

自分のプロフィール写真の良し悪しは、なかなか自分ではわからないものだ。
美しいかどうかよりも、魅力的かどうかの方が、実ははるかに重要ではないかと思う。

魅力的とは何か?!
これについては、別の機会に書こうと思うが、要は好意的に思えるかどうかではないだろうか。
どんなに美しくても性格が悪そうに見える顔だってあるし、ハンサムではないけど優しそうで感じがいい、ということだってある。
本人の思いとは必ずしも違う。

実際、美しすぎる写真を見て、ふだんの顔の方が仕事をお願いしたい雰囲気だと私自身が感じることがあるし、ふだんの方がもっと素敵なのに・・・と思う人は少なくない。

私が、年齢を重ねた顔や生きざまが表われる顔に注目するのは、実はそういうところにある。
作ろうとしたイメージは、その中身と合致していなかったり、場当たり的なものだと、すぐにバレてしまう。透けて見えてしまうものがある。

昔のような業態ではくくれないような新しい仕事や産業も生まれ、組織の時代から個人の時代へと変わりつつある中で、個人で仕事をする人が増えている。

そういう個人がビジネスのために出す顔写真が、カメラ目線の証明書写真のようなきちんとした顔写真である時代は、たしかにもう終わったと思う。
しかし、だからと言って、握りこぶしのガッツポーズや、斜めに構えたオスマシ女性顔が、ビジネスのために出すプロフィール写真としてふさわしいかと言えば、それは違うのではないかと思う。
むしろ、臨場感溢れた姿を正直に見せること~その方が評価される時代になったと思うのだが、どうだろうか。

では、そういう生々しい顔、表情、しぐさ・・・そういう本来の中身が表れた「素敵」を、どう撮影すればいいのか。
そこは、本来のその人の個性や良さが出ているシチュエーションで撮影するのが一番だと私は考えている。
しかもプロのカメラマンであれば、その瞬間を上手につかむので、当然いい写真になる。
願わくば、カメラマンがいることを忘れるくらいのシチュエーションで。

しかしもしもそういうシチュエーションを作れるのであれば、撮影するのは、日常的に写真を撮りなれている人や構図のセンスがある人ならば、必ずしもプロでなくてもよいと思う。
むしろ、シチュエーションの方がはるかに大事だと私は考えている。

よくある「笑って!」とか「いいですね~!」という声かけでは、素人は本当のいい顔にはならない。なれない。
ましてや、「斜めに体を振って。右肩を少し前に出して・・・」というような慣れない立ち方(座り方)の指示では、益々作られた顔、嘘くさい顔になってしまう。

写真から声が聞こえてきそうな顔、
写真から飛び出てきそうな顔、
・・・一緒に仕事をした時のその人をイメージできそうな、こういうプロフィール写真が出ていると、私はその人に会ってみようかなと思う。
一度会った後にサイトで確認した際に、こういうプロフィール写真が出ていると、会った時の記憶と一致するから安心できるし、また会いたいと思う。記憶にも残りやすくなる。

結局のところ、その写真は自分が見るための写真なのか。それとも人に見せるための写真なのか。
~これによって、どういう写真がいいのかが決まるのだと思う。

人に見せるための写真が、本人とわからないくらいきれいではやはり意味がないように思う。
それは自分が大満足するための写真だからだ。

けれども、本人とはわからないくらい化けた写真ほど、しっかりお金をかけて撮られていて、しかも人に見せるための写真として活用されることが多いのは、なんとも皮肉なことだと思う。





自分ブランディングとしてどういう顔を出すか、セッション受付中。
撮影も承りますが、私が撮影するわけではありません。



顔、顔の写真についての記事

  整形しちゃダメだよ

  遺影は選んでおきたいけど準備していない~アンケート調査結果から

  遺影を決めていると語る芸能人の人たち

  i-faceで、こんな仕事しまし