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2016年8月7日

「女性にとってのロールモデル」・・・必要なのかな?!

「会社を辞めたのはロールモデルがいなかったからかも・・・」
私がそう言ったら、同世代の男性が言いました。

「ロールモデルがいない~それ、女性はよく言うよね?!
そんなにロールモデルって必要なのかなあ?!」

うーん、
たしかに必要ではないのかもしれません。
だけど、私の世代の場合、目指す形であるかどうかは別にしても、
そもそも先輩(女性)が極端に少なかったんです。
なぜなら、私の場合、社内では27歳の時からずっと最年長の女性社員だったので。
それは、その会社を辞めるまで20年以上も続きました。

目指す相手はもちろんのこと、比較対象もいなかったから、
私の前に道はない・・・・

今から考えると、常に「ロールモデルがいない」
不安と不満を抱えていたような気がします。


女性活躍推進の課題はロールモデル


そんな風に思っていたのは私だけかと思ったら、
そんなことはありませんでした。

全産能連の調査によれば、
女性活躍推進に向けての職場の課題は、
「ロールモデルの不在、または不足」がトップ。
漠然と感じていた私の不安は、当時から意外にみんなも感じていたのかもしれません。



http://www.jad.or.jp/knowledge/tabid/225/Default.aspx



男性の場合、もともと先輩がたくさんいるでしょう?
中には自分のロールモデルに近い人がいるかもしれない。

たとえロールモデルなんかいなくても、
複数の人のいいとこ取りで自分の目指す形をイメージできたり、
「ああいう風にはなりたくない」と逆イメージできたり、
することはないでしょうか。

あるものを肯定したり否定したりすることと、
何もないところから考えることとは、
雲泥の差。

女性が「ロールモデルがいない」としばしば言うのは、
たぶんそういうことではないかと思います。

もちろん、何もなくても自ら一生懸命考えられる人、
悩まずに走れる人もいるでしょうが、
誰もがそうはいきません。

私の場合、当時はロールモデルがいないから不安だったということにすら、
気づいていませんでした。
10年以上経って初めて、
私の不安とは、結局はそういうことだったのかと思うに至ったのです。

東洋経済の記事には「ロールモデルは不要、百害あって一利なし」
とあったけれど、私は必ずしもそうは思いません。

目指す形をイメージしやすいかどうかは、実はとっても重要なこと。
ロールモデルって、自分が目指す形をイメージするための
お助けになるのはずですから。


これからのロールモデルは?

50歳を目前にして私は会社を辞めましたが、
その後は、流れに身を任せてみたり、自発的に仕掛けてみたり。
会社員の時以上に試行錯誤しているように思います。

では、今の私にロールモデルがあるか?と言うと
あるような、ないような、・・・・

生きていれば先輩諸姉はたくさんいるから、参考にできることも無限大。
年齢を重ねていけば、必ずしもロールモデルは年上とは限らないかもしれない。

その結果、今の私は具体的なモデルは持たないけれど、
多くの先輩諸姉の生き方を見つつ、自分より若い人の生き方も参考に、
自分自身と相談することが多くなりました。

ロールモデルがあることはきっと力になるでしょう。
だけど、ロールモデルがないことは、必ずしも問題ではない。

今の私はそう思っています。



2016年7月26日

百歳超えの人と若い人、大事なポイントって結局のところ変わらない

雑誌「百歳万歳」編集に35年たずさわり続け、シニア周りに関わったきたのが40年という植松さんは現在68歳。
偶々縁あって、今春その植松さんのお話を聞く機会がありました。


精神力が80%、自分が決めたことはやる

長年シニア周りに関わってきた植松さん。
もはや取材した相手は数え切れないでしょうが、
その中から超長寿者(100歳以上)の調査をしている慶應義塾大学医学部の広瀬信義先生のお話を紹介してくれました。
それが、
「精神力が80%、ポイントは自分が決めたことはやる」

こんなにも医学が発達し、厳しい病気もどんどん治せるようになりつつある時代であるにもかかわらず、精神力80%と内科の医学博士がおっしゃると言うのです。

なるほど。

結局、大切なのは
精神力を鍛えること、
自立(※)した生き方をすること、
ってことか。

けれども高齢になったからと言って、
さあ!精神力を鍛えよう!とか、
自分で決めたことをやろう!とか思ってみても、
そうそうできることではないでしょうね。

広瀬先生のおっしゃるお話は、
高齢者のみならず、どんな世代であったとしても
結局は同じこと。

シニアの心得とは、すなわち若者の心得でもありました(^^;;
それは人としての心得そのものでもあるわけで、
もはや生き方なんだなあと考えさせられます。


超長寿の10箇条

さて、その植松さんが教えてくれた超長寿の10箇条はこちら。

①新しいことが好き
②依存性が少ない
③几帳面
④外向性、活動的
⑤若い頃に一緒懸命働いている
⑥幸せ感が高い
⑦ストレスをためない
⑧周りとのコミュニケーションが上手
⑨親切 
   ※「憎まれっ子世にはばかる」はうそだった。
⑩ユーモアがある

超長寿を目指すかどうかはともかくとしても、
この10箇条を見ると、
やっぱり高齢者特有のものとは考えにくいことばかり。
年齢固有のことではないのですね。

もちろん人によって性格もいろいろ。
個性はさまざまなので、
こうでなきゃいけない、なんてことはないはずですが、
オトナになったら○○しよう、○○な人になろう、
仕事をリタイアしたら○○しよう、○○な人になろう、
ということは、実は机上の空論なのかもしれません。

今を大事にすること
・・・今できることは今のうちに。

今の蓄積が未来であることは間違いないのですから。



※自立
人に依存することなく自らの意志を持ち、しかも自分以外の人のことを慮る、と言う意味で私は使っています。
必ずしも経済的自立を指しているのではありません。


2016年7月13日

永六輔さん、逝く 「死ぬって言うからおかしくなる、先に行くっていうだけなんだから」

7月7日、七夕さまの日に永六輔さんがこの世を旅立ちました。
最後の仕事は2月.ということですので、結構最近まで仕事をしていたのですね。

有名人の訃報が出ると、それまでの功績がニュースで語られます。
そのおかげで、私にとっては知らなかったその人について初めて知ることが出てきたり、改めて思い出すことがあったり。
さらにそれで自分自身をふり返るきっかけになることもあります。

永六輔さんが作詞家をしていたことは知っていたけれど、その活動は私の世代から見るとひとつ前の時代。
私の時代には、作詞家と言うよりはマルチな才能を持って活躍する人の印象が強く、逆に何屋さんだかよくわからない人でもありました。

報道では、黒柳徹子さん、瀬戸内寂聴さん、加藤登紀子さん、倉本聡さん、落合恵子さん・・・
そうそうたる方々が永六輔さんの死を悼み、コメントを寄せられ、その功績と人望に、改めて気づかされます。

今回の報道で、
永さんが語った「死に方はいき方だ。」という言葉を紹介していました。
それは、永六輔さん著「大往生」で書かれている言葉でした。




大ベストセラーにもなった永六輔さん著「大往生」で語られたのが、
「死ぬって言うからおかしくなる、先に行くっていうだけなんだから」
ということでした。

永さんがそれを語ったのは、平成6年。
今から20年以上も前のことでした。
当時私はまだ、人生のこと、命のこと、死についてなど
考えたこともありませんでした。
命には限りがあると気づかなかったのだと思います。

それを語った永さんの年齢に、今の私は近づきつつあります。
そのせいか、今の私には「死に方は生き方だ」というのが
しっかり腹落ちする言葉になりました。
他にもそのように語る人は少なくありません。

エンディングノートに注目してきた私自身も、
今いろいろな場で同じようなことを言っています。

人は生きるように逝く、

逝くことは生きることそのものだ、

・・・と。

でも、平成6年当時の私は、そんなことを全く知らなかったのです。
その時にならなければわからない、時期が来ないと理解できない、
というのは、こういうことなのでしょう。

作家の柳美里さんは、訃報を知ったときに
ちょうど飾られていた永六輔さんの言葉を見ていたそうで、
twtterでその写真を公開していました。
その永さんの言葉は、今の私にはさらに心に沁みる言葉でした。


明日死んでもいいように
百まで生きてもいいように
考え考え生きて行こう
行きたいところに行っておこう
会いたい人に会っておこう
食べたいものを食べておこう
百まで生きてもいいように
少しは恋をして見よう
       永六輔の句より

偶然のようですが、
一昨日、私の伯父が亡くなりました。
昨日、友人がこの世を旅立ちました。

明日死んでもいいように、
百まで生きてもいいように・・・

私は今、その思いをさらに強くしています。




2年半続けてきたエンディングノート講座ですが、
今月の開催を最後に、一旦お休みすることを決めました。

そのテーマは、

これからの生き方を考えるワークショップ
「私の人生をふりかえる」~命が終わろうとする時~

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7月のエンディングノート講座

◇日 時 2016年7月14日(木) 18:30~20:30

◇場 所 麻布十番サロン

◇テーマ これからの生き方を考えるワークショップ
       「私の人生をふりかえる」~命が終わろうとする時~

◇ 宿題(ご参加にあたって考えてきていただくこと)
      自分の人生に大きく影響を与えた人物5人を書きだしてくる。
       よくも悪くも自分の人生に大きく影響を与えた人物
       (生きている人、死んでいる人、偉人、アイドルなんでも可)

-----------------
直前ですが、キャンセルが出たので
体験参加したい方など、あと1受け付けています。


2016年6月16日

楽しいことだけやっていればいいわけではないことを痛感しました

最近私の世代では、急に運動してカラダを傷め、運動ができなくなったと嘆く人ご増えています。
私もその一人です。
でもそれは、カラダだけの話ではないことに気づかされるのです。

確実に運動不足

会社員を辞めて、自宅を拠点に仕事をするようになったら、著しく運動不足になりました。
元々の怠け者性分も手伝い、万歩計によれば1日当たり18歩!
もはや寝たきり状態です。
まあ、万歩計をつけ忘れていた時間もあるけど。
まず毎日の通勤がなくなるから歩かなくなるのです。
駅の階段の昇り降りも激減しました。
満員電車じゃないから、意外にゆっくり座れることも多くなります。

筋トレを、やらねばならぬ!しなくては!

そんなことから、近所の筋トレ施設に通うようになりました。
そこは比較的高齢者が多く来ているところで、皆さん驚くほど元気でした。
マシン30分、ストレッチ5分。 
コーチが回って指導したり、励ましたり。
毎回同じことを黙々とやってさっさと帰る。
今思えば、たぶんその時の私は少しずつ筋肉が増えていたのだと思います。

だけど、私にとってはその筋トレがどうにもつまらない。
人によっては、ストイックなまでに筋肉を鍛えることに熱心な人もいるようですが、私はあまり関心が持てませんでした。

つまらない、つまらない、つまらない。
もっと楽しくやりたい。

本当はダンスが好きで以前は少しやっていたのですが、
忙しくなって全くやらなくなってしまいました。
マメに通っていればそれなりに多少踊れるようになって楽しいのだけど、
忙しくなるとなかなか行けなくなってしまう。
そうすると踊れなくなり、楽しくなくなってしまう。
ーーいつのまにか行かなくなってしまいました。

加えて、走る・踊るなど有酸素運動だけでは筋肉が作りずらいことも知りました。

きちんとパーソナルトレーナーをつけて、私の志向に合うプログラムで、しかもカラダに合うものを、という選択もあるでしょう。
でもそうなれば、きっと1回当たり1時間ではすまない、
2〜3時間をかけ、それを週に2〜3回継続するなんてことはそうそうできることではないから仕方がない、
と自らを納得させ、「やらねばならぬ」の思いで、週に2〜3回、2年近く通ってはいたのです。

すると、近隣に全く違ったタイプのスポーツ施設ができました。



楽しそうだから、つまらないことはやめちゃおう!

ヨガ、ピラティス、太極拳、ズンバ、トランポリン・・・
全て音楽に合わせたグループレッスンで、1回45分。
しかも毎月プログラムが変わります。

楽しそうかも。
多少筋トレにも効果あるかも。

迷った挙句、私は今までの筋トレ施設のメンバーをさっさと退会し、
新しい施設のメンバーに入会し、通い始めました。

インストラクターのグループレッスン。
プログラムもバリエーションがあるから初めてやることも多く、
できずにアタフタしながらも、始めたのでした。
スローやアップテンポの音楽に合わせて。

楽しいかも(^^) 
たっぷり汗をかき、満足度が上がった感じ。
でもあまり筋トレになってる気がしない。
もっとハードにやればいいのかな。

いつも以上にハードにやった翌日、
私は膝の痛みで歩けなくなってしまったのです。


つまらなかったことを続ける価値もそれなりにはある

お医者さんの診断によれば、膝の痛みの原因は鵞足(がそく)の炎症。
持ってる筋肉以上の負担をかけて、その周りを傷めてしまった、ということでした。

残念ながら長年の運動不足は、思っていた以上に私を老化させ体力筋力が落ちていて、運動を楽しむには、やや負荷が強かったということです。

楽しいことをやりたい。
好きなことを。
そう思った結果でした。
それが間違いとは思わないけれど、「いきなり」はダメだったということ。

基礎練習、基礎体力。
上手な人は、基礎体力が違う。
それはコツコツと地味な努力の賜物です。

「ポッと出」がいきなりガンガンできるわけではなくて、
ガンガンできる人、上手な人は努力してたり、継続してたりするわけです。

運動に限らず、いろいろと思い当たる節があります。

便利な世の中になり、情報はたくさん転がっている。
だからあまり勉強しなくても、上っ面だけの切り貼りの知識で、
尤もらしい「わけ知り顔」をすることだってできてしまう。

私の膝の痛みは、そんなことまで気づかせてくれる出来事になりました。

ここまで書いて記事公開後にイチローが記録更新!


イチロー語録が次々とニュースで出てきて、
ますます地道な努力の積み重ねの重要さをタイミングよく知らされている今・・・です。

2016年5月6日

「ストック」から「フロー」へ …50代だからこそ、そうありたい

新入生、新入社員ので初々しい姿をしばしば目にしていた4月も終わり、
5月に入りました。

気持ちの良い風、きれいな緑・・・
暑くもなく寒くもなく、私にとっては大好きな季節です。

だけど、この季節は5月病が忍び寄る季節でもあるのですね。


5月病の季節

夢を抱いてスタートしたはずなのに。
頑張る気持ち満々のはずだったのに。

なんとなくやる気が出ない。
自分が何の役にも立たないことがやるせなくなる。
こんなはずじゃなかった。
もう辞めちゃいたい。

そんなところでしょうか。
5月病というのは。

先日ラジオを聞いていたら、
京都大学の地質学の先生のお話が流れていました。

そこで話していた言葉に驚きました。

5月病、ようこそ
スランプ、ようこそ!

えええ??

5月病はお疲れサイン

5月病というわけではありませんが、
私もしばしばスランプに落ちていきます。

そもそもスランプというのでは、
元々高いレベルにあるけどそのパフォーマンスを発揮できないことを言うから、
元々高いレベルにない人にはスランプなんてない!
などと言う考えもあるようですが、まあ、この際それは棚に上げて、
気持ちの問題と捉えれば、スランプは誰にも訪れること。

なんとなくやる気が出ない。
自分が何の役にも立たないことがやるせなくなる。
こんなはずじゃなかった。
もう辞めちゃいたい。

そんな気持ちになるのは珍しいことではありません。
しかも、そうなるとなかなかそこから抜け出すことができません。
できることなら、そんな気持ちにはなりたくない。

その先生によれば、
5月病やスランプになるというのは、疲れがたまってきたから。
5月病になったのは、「休みましょう!」のサインだ、と。

休めばいずれやりたくなる。元気になる。
人には必ずそういう力が備わっているから、ということでした。

本当かなあ。

ストックからフローへ。

現代人は、勉強し過ぎ、働き過ぎ。
どんどんため込み過ぎるからイッパイイッパイ。
だけど休めば勉強したくなる、働きたくなる。

先生のお話によれば、器がイッパイイッパイになっていると言うのです。
ため込むばかりでなくて、それをどう使うか、活用するかが大事だ、と。

例えば、勉強しようと思って本を買い込む。
なかなか読めないから積読(ツンドク※積んだまま、読まない状態)。
新たな知識が仕入れたくて別の本を買おうとしても、
そう言えば家に積んである本がある…
仮に買ったとしても、積んである本が先かなと思って、
結局新しい本が後回しになり、どちらに読まなくなってしまったり…、
なんて、もったいないことも。

ためているから入らない。
ためたものは活用する。アウトプットする。
そうするとスペースができて、また新たな知識が入っていく。
せっかく得た知識は活用しないと。
流していきましょう、と。

「ストック」ではなくて「フロー」なのだそうです。

インプットしたら、アウトプットして、アウトプットして・・・
そうすると空っぽになるから、また新たに仕入れる。仕入れたくなる。
そうすると循環する。
元々持っていた智恵と合わさって、大きな力になったり、
アウトプットすることで新しい力になったり・・・

これは、私にとって大変なるほど!なことでした。

流れている水はきれいだけど、
たまっている水はだんだん澱んでいくのと一緒ですね。

断捨離流行りの世の中で、なかなかモノを捨てられない私は、
断捨離の考え方はなかなか馴染みにくかったのですが、
捨てるんじゃなくて流していく。活かしていく。
今まで貯めたものを循環させていく。
・・・そう考えると合点がいきます。
そういうことか、と改めて思うわけです。

最近は皆さん本当によく勉強してらっしゃいます。
私も、かつては勉強するのが大嫌いだったのに、
意外に頑張って勉強しています(のつもり)。

それはもちろん素晴らしいことではあるはずなのですが、
いくら頑張って学んでも、
せっかく今まで頑張ってきても、
ため込んだものを活かさなければ、使わなければ、そのうち古びていくというもの。
どんどん流していきましょう、循環させていきましょう、ということなのですね。

学校や講座などに行かなくたって、
長く生きていればそれだけでいろいろ学んできたことが多いはずです。
たしかに私の世代は、とかくため込みがち。
5月病なんてもう忘れてしまったような世代であればあるほど、
肝に命じたいところです。

循環させて、
スペースが空いたところに新しいことを入れて行くことは、
人生経験が豊富であればあるほど、
自分の中で化学反応を起こせるのですから。

そのラジオとは、4/17(日)朝9時ころのFM大阪。
話を聞かせてくれたのは、京大の鎌田浩毅教授でした。

ちなみに鎌田先生は地質学者だそうで、
なんと!去年の秋には予言するかのような本↓


を出していた先生ですが、地質学者っぽくない本もたくさん書いています。


「想定外」を生きる 一生モノの超・自己啓発

京大・鎌田流 知的生産な生き方

京大・鎌田流 一生モノの人脈術 

座右の古典 ―賢者の言葉に人生が変わる

恥ずかしながら、読んだことがありませんでした。
参考にさせてもらおうと思います。



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100人いれば100通りの人生がある。
生きるってなんだろう?
生き方とは? 命の終わりとは?
2014年4月から毎月1回、そんなことをご一緒に考える講座を開催しています。

エンディングノートを使って、これからの生き方を考える
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トラベシアのエンディングノート講座 毎月若干名の体験参加受付中。




■5月の開催(第26回)

 5月18日(水)18:30~20:30 麹町にて。

【 テーマ 】

 生きがいとは何か ~アクティブ・シニアからの提案 ~



■6月の開催(第27回)

 6月8日(水)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】

 ライフプラン崩壊は突然に ~脳卒中経験者から直接聞く話から学ぶ~(仮題)



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詳細はこちら。
参加ご希望の方はこちらまで。
メールは info@travesia.biz まで。

「私がエンディングノートを使って講座をしているわけ」はこちら。


2016年4月2日

チューリップ1本で人生のお話を聞く機会をもらいました。仕事のこと、好きなこと・・・


もうすぐ咲きそうなチューリップを2本いただき、
こんな風にレジ袋に入れた状態で手持ちして電車に乗りました。


年配女性が目の前に座っていました。
お楽しみの買い物をしてきたと思われるいろいろな荷物が詰まった大きなカートが足元に置かれていました。
その女性の隣の席が空いたので座ったら、
私の膝の上のチューリップをじ〜っと見ていらっしゃいます。
その視線で、チューリップがお好きな感じがしたので、
「2本あるから、1本さしあげましょうか?」と思わず声をかけましました。

はじめは固辞されていたのですが、
「いいんですか?嬉しい!ありがとう。」と言って受け取り、
その女性はご自分のカートに粋に差してから、お話を始めました。

かつてフラワーアレンジの仕事をしていたのだそうです。
ホテルの宴会場のテーブル装飾など。
いろいろなホテルの名前やお部屋の名前が出てきました。
個人で複数の名だたる一流ホテルでの仕事を頼まれてやっていたようでした。

こんな一流と仕事ができるんだからそれでいいだろ?って、
お金はもらえなかったこともあったとか。
当時はそんな〜!悔しい!と思うこともあったけど
今考えると、お金じゃ買えないくらいのことだったのかもしれない、
個人でそういう機会をもらえたというのは、ありがたいことだったんだなあ、と。

だけど今は何でもシンプルが一番。
ホテルもかつてのようなそういう装飾はほとんどしないのだそうです。

 私が辞めた後に誰かがやってたら憎らしい、と思ったかもしれないけど、
 そういう事は無いんですって。
 なんでもシンプルって···、どうなのかしら、ね〜!

かつては豪華絢爛なオペラが好きで、ヨーロッパにオペラを見に行くのが楽しみだったそうです。
ドイツのオペラハウスの会員で、定期的に行かれていたとか。

 今のオペラは演出が理解できない。
 綺麗なのが私は好きだったけれど、これも時代なのかしら。
 会員制もなくなったから案内も来ないし、もう行かなくなってしまった・・・。

てもそうは見えませんでしたが、今、90歳だそうです。
お元気でしっかりして、早口でお話をされていました。

「私、オペラを見たことがないんです···。」

私の言葉にその方は、

 まあ!もったいない。
 教えてさし上​​げたいわ〜。
 いつかどこかで会えたらね··~

そう言って、電車を降りていきました。

私は、こういう年長者が話す仕事の話やお楽しみの話を聞くのが大好きです。
お話の真偽のほどはわからないけれど、
そこにあるであろうドラマを想像し、その方の人生を想像しながら、
ああ、誰にもみんなドラマがある、としみじみ思い、
「人」への愛おしさを感じるのです。
そして、年長者のお話は私自身の未来を思うきっかけだったり、糸口だったり。


きっかけになったチューリップは、お寺でいただいたものでした。

お寺の横に並ぶチューリップ
毎年たくさんの球根を植えて育て、蕾をつけたチューリップがずらっと並ぶのだそうですが、
ご住職の吉田尚英さんは、

 蕾になったら、あとはどうぞおいでになった方が切って持ち帰ってください。

 ここまできたらもう開くだけだから、楽しんでください。

そう言っているのだそうです。

私はその言葉に感動していただいてきたのですが、
そんなチューリップが、こんなお話を聞く時間をくれました。

私が持ち帰ったチューリップはまだギリギリ開きそうにありません。
あと数時間できっと満開になることでしょう。


2016年3月16日

シニアって誰?!20代も40代も60代も90代も・・・自覚年齢の不思議

シニアという言葉は本当に微妙で、いったい何歳くらいのことを言うのでしょう。
経済ニュースではシニアマーケットが有望だと言われるけれど、
当の本人はたぶん自分をシニアとは思っていません。 
それは、たぶん私くらいの世代だけでなく、60代の人も70代の人も。
私の周りの60代70代を見てそう思うのです。


下から上を見る目

小学1年生のとき、6年生がとても大人に見えました。
高校生のことは自分の親と同じくらいのイメージに見えていて、
完全にオジサン、オバサンの部類でした。

会社に入ったばかりの頃、40代の部長は疑いもなくオッサンでした。
けれども今、自分がその年齢を超えてみて、
たとえ見た目がそうであっても、気持ちは20代の頃とほとんど変わっていません。


老後が心配な「高齢者」

私の母が、今から20年くらい前に、
毎月◯万円出るような年金型の保険に入ると言いだしたことがあります。
当時母は70代に入り、
自分が老いた時に私たち子どもに迷惑をかけないようにという趣旨でしたが、
聞けばその保険は90代半ばから年金が出るというものでした。

 その心意気は買うけど、いったい幾つまで生きるつもり〜?!

私たち家族で大笑いしました。
母は喜ばせるつもりだったのか少しがっかりしたようで、
結局はその保険に入りませんでした。
だけど今の元気な母を見ると、あながち笑い話ではなかったかもしれないと思うのです。
でも当時私たちは、あり得ないと思いました。

100歳の双子、きんさんぎんさんがテレビに引っ張りだこで
CMにも多数出演していた頃、
稼いだお金を何に使うか?
という記者からのインタビューでの答えが
「老後のための貯金」。

きんさんぎんさんも、私の母も、
そんな答えが出てくるのは、
いかに将来が不安な世の中かという証なのかもしれないけれど、
私が注目するのは、自分の年齢に対する認識です。

だって私、高齢者じゃないもの。

在宅の方の介護フォローを目的とする施設(デイサービス)で働いている友人が、
そこにおいでになる80歳の女性のお手伝いをしていたときのこと。
施設の職員がその女性に食事指導の立場で優しく言いました。

「高齢者の方は塩分控えめにしたほうがいいですよ。」

けれどもその方のお返事は、
「私、高齢者じゃないもの。」

実際、その女性はとても80歳には見えないくらいきれいで可愛らしくて明るい方で、お肌も白くてきめ細かくて、ホントにとってもお若いのだそうな。

その友人に聞いたエピソードはまだまだ続きます。


若い頃にまだ珍しかったゴルフを始め、
学校の友達が全員いなくなって、同い年の人と喋れなくなったのがつまらない
と言いつつも、今でも時々コースに出ている方(以下Aさん)が、
デイサービスの別の利用者さん(以下Bさん)と話していました。

Aさん 「私、特養(特別養護老人ホーム)に入れないかしら。」

Bさん 「Aさんじゃ入れないわよ。元気だから。
  特養は重くならないと入れないけど、有料(老人ホーム)だったら入れるわよ。」

Aさん 「でも有料って高いでしょう?」

Bさん「息子さんやケアマネとちゃんと話したほうがいいんじゃない。」

Aさん「そうね〜。
   ほら私も一人暮らしだから、この先のこと、どうしようと思ってさ・・・。」

サバサバしてカッコイイ系、この先のことをどうしようと思うAさんは、
現在94歳の女性だそうです。

私は私。未来を考えるのはみんな一緒

80代、90代のそんな言葉を聞くと、私たちは一瞬ギョッとしてしまいます。

え?!
これからですか~?!

注目したいのは、同級生がみんないなくなっていたとしても、それはどこか他人のこと。
昔も今も、私は私 だということ。

実際、自分自身がこの歳になって、
まさか、心の中が20代の頃と大差ないとは、正直なところ思いもしませんでした。

先日同世代の男性にその話をしたら、

わかるわかる。本当にそうだね、と笑って同意されました。
うふふ、私だけじゃないんだ~。

オンナだけでもないんだ~。

勝手なイメージを抱いているのは他人であって、

当の本人は全くそんな風には思っていないのです。

どんなに年齢を重ねたからと言って、
周りが思うほど気持ちは「年寄り」なんかじゃなく、
いつの時代になっても私たちは「今」、先のことを考えています。
未来への希望を抱いたり、将来への不安で思い煩ったり・・・。

生きているということは、きっとそういうことなのではないかと改めて思うのです。




エンディングノートを使って、これからの生き方を考える
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トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中

 ◎ 4月の開催 ◎

 4月14日(木)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】

 家族が生き切るのを見届ける ~「家で死にたい」と言われたら~

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生きるってなんだろう?
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最後に大事にすることは何か?!
そんなことを考えたくて、4月は実際に家族に「家で死にたい」と言われた人をお招きし、お話を聞きながらご一緒に考えていきます。
体験参加も受付中。
参加ご希望の方はこちらまで。
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2016年3月14日

50代の仕事を考えたとき「起業」は一つの選択肢

シニア起業がとても増えているのだそうです。
ハローワークでは45歳以上はシニアの括りだから、45歳を超えて独立した私もシニア起業になるのかな。
シニアだなんて、ちょっと心外です(笑)。
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H26/PDF/140630hakushohyoushi.pdf

中小企業白書によれば、
1992年に60歳以上の起業家は全体の14.2%であるのに対し、
2012年は32.4%と2倍以上。


50代の仕事環境は厳しい。

特に業績が厳しい大手企業の50代は早期退職制度の割増退職金とともに再就職に向けた求職活動が厳しい。
なかなか希望する求人に出会えないベテラン世代は、長年で染みついた感覚がなかなか抜けずに苦労するそうで、「中高年が再就職するときには、予想外の難しさもあった」にも書いたことがある。

だから起業を選択、という50代もきっとたくさんいるのだろう。
意に沿わない仕事を選ぶくらいなら、自分が始めた方がいい、と。

シニア起業の成功者はいるけれど

昨年12月に、ライフネット生命保険(株)出口会長のお話を聞く機会に恵まれた。
出口会長は京都大学卒業後、日本生命に入社し
海外赴任(ロンドン事務所長、ロンドン現地法人社長)の経験もある、
言わばエリートサラリーマン。
定年間際に起業を決意し、
若いビジネスパートナーと共にライフネット生命保険を起ち上げ、
2015年度の経常収益は約100億(見込み)。
まさにシニア起業成功者と言える。

だけど、誰もが出口会長のような能力を持ち得ているわけではないし、
環境から許されない場合もある。 
向き不向きがある。
起業にはリスクも伴う。

それでも定年を見据えたとき、定年後に何をしていくかは大テーマだ。
寿命がどんどん延びたおかげで、大人になってからの人生の長さは、
定年前と定年後とあまり変わらないくらいなのだから。
そんな長い時間、悠々自適にのんびり暮らすなんて、そうそうできるものじゃない。
お金が湯水のようにあるわけじゃない。
やらなきゃいけないことがあるからこそ、自由の意味がある。だから自由が楽しい。
程度問題ではあるが、嫌々ながらでも「働く」意味は、きっと大きい。

きっかけは退職

中小企業白書にある「起業を意識したきっかけ」を見ると、以下の通り。
 1位 働き口(収入)を得る必要
 2位 周囲の起業家の影響
 3位 現在の職場での先行き不安
 4位 本やテレビ、インターネットの影響
 5位 退職

だけど、シニアで突出するのは、5位の「退職」だ。
上が意識したきっかけで、下がふみきったきっかけである。

出典;中小企業白書全文
http://www.chusho.meti.go.jp/pamflet/hakusyo/H26/PDF/h26_pdf_mokuji.htmll

意識するのも、踏み切るのも、シニアに限ると「退職」が高い値を示す。

隠居から悠々自適へ、さらに次は・・・?!

その昔、リタイアすることを「隠居」と言っていた。
その後、つい10~20年前くらいまでは「悠々自適」が望ましい形だったように思う。
当時の定年世代が働いていた頃は
預金の利息だけで暮らしして行けるくらい高金利の時代だった。
定年後はさすがにそんな金利ではなくなったけれど、でも年金は潤沢だった。

ところが金利はどんどん低くなるし、年金も潤沢ではなくなりそう。
質素倹約を是とする一世代前とは、金銭感覚もレジャー感覚も違う。
今まで頑張ってきたんだからゆっくりのんびりと・・・とは言っても
ゆっくりのんびりだけでは満足できないくらい、その後の時間は長くなっていた。

50代60代で、「生涯現役をめざす」と語る人は増えている。
「**で働くのはあと○年」と言いながら、その次を模索している人も多い。

定年なくずっと働きたい、
自分のやりたい仕事をしたい、

「起業」という形は、きっとこの両方を満たすスタイルなのだ。
少なくともそう思える、そう思いたいことが、今シニア起業が増えている
最大の理由なんじゃないかと思う。



エンディングノートを使って、これからの生き方を考える
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トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中

 ◎ 4月の開催 ◎

 4月14日(木)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】
 家族が生き切るのを見届ける ~「家で死にたい」と言われたら~

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100人いれば100通りの人生がある。
生きるってなんだろう?
生き方とは? 命の重みとは?
2014年4月から毎月1回、そんなことをご一緒に考える講座を開催しています。

最後に大事にすることは何か?!
そんなことを考えたくて、4月は実際に家族に「家で死にたい」と言われた人をお招きし、お話を聞きながらご一緒に考えていきます。

体験参加も受付中。
参加ご希望の方はこちらまで。
メールは info@travesia.biz まで。

「私がエンディングノートを使って講座をしているわけ」はこちら。


2016年3月10日

年寄り扱いはイヤ、若く見られることはやっぱり嬉しい。

電車で座っていて目の前に70歳前後と思しき方が立っておられたとしても、席を譲ろうか、やめようか・・・最近は逡巡してしまいます。
少し前だったら、スッと立ち上がることに何の違和感もなかったのですが、
最近の高齢者はお元気な方が多く、却って失礼にならないかどうか、気になってしまうからです。
そんなことを気にするのは、きっと私自身の年齢意識も大いに関係しているのかもしれません。

年長者は敬うものだったのに?!

昔の常識は、年長者は敬うのがあたりまえ。
年を取れば給料が上がる、年を取れば偉い・・・
多少おかしなことを言っているなと思っても、まあ聞いておこう、
余計なことは言うまい・・・
そんなものだったような気がします。

ところが年功序列が崩壊し年齢は関係なくなり、年齢が上だから偉いという常識はなくなりました。
さらに世間の見方は、若いことこそがすばらしいみたいな雰囲気。
そんな時代のせいか、年齢が高いことはちっとも誇らしいこととは言えず、実際の年齢よりも低く見えることは自慢です。

老いを受け入れる、なんて理屈だけ

考えてみれば、私自身も若く見られたい願望は、ずっとむくむくしています。

その昔30代の頃、姪(妹の子ども)が生まれた時に、私は絶対におばちゃんとは呼ばせませんでした。
その指導(?)のせいで、姪っ子の幼稚園のお迎えに行った時に先生から「おばちゃん?」と関係性を聞かれても、姪っ子は「違う。キミコちゃん」と答えたくらいです。

そして今、4才の姪っ子たちも同じ。
私のことを「キミコちゃん」と呼びます。
ちなみに彼女らは私が50を越えてから生まれた姪っ子です。 

年齢に抗うことなく、老いを受け入れて・・・
そう提唱する方はたくさんいらっしゃるし、その理屈はよくわかるけれど、
感情と理屈はなかなか一致するものではありません。
私自身は今だに、なかなか自分の年齢を受け容れていないような気がします。
特に50歳を超えたとき、もう人には絶対に年齢を言えない、と思ったものです(苦笑)。
そして今も若く見られればメッチャ嬉しいのは否定できません。

年寄り扱い お断り

1月に見つけたこちらの投稿記事。



74歳の女性読者からの投稿でした。
よくよく読んでみたら、投稿したご本人の話ではなく、そのお母様のこと。
御年100歳。
96歳の時にバスで席を譲られたことに対して
「帽子をかぶっていたのにどうして年寄りとわかったのか」と言ったお母様のエピソードを元に、今も年寄り扱いされることに不満気な様子について、娘の立場で投稿していたのでした。

愛すべき存在!
私としては目標にしたいような100歳女性です。
今、100歳前後のことを「アラハン」と呼ぶそうで、
長寿家系の両親を持つ「アラフィフ」の私にとっては憧れの存在でもあります。

この人も「年齢を受け容れていない」ひとり。
だけどいいじゃないですか!
年寄り扱いされたくない思いは、きっと意地みたいなもの。
ジタバタしながら、自分を守っているように思え、そこに可愛げがあるように思うのはわたしだけかしら。

とは言うものの、席を譲る側として考えてみると、これはなかなか悩ましいところです。
私が悩ましく思うのも、きっと私自身が年齢についていろいろ思うからに違いないと思う今日この頃です。




エンディングノートを使って、これからの生き方を考える
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トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中

 ◎ 3月の開催 ◎

 3月10日(水)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】
 生まれるということ。死ぬということ。~科学的側面から見つめる~

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2月に、看護師で僧侶の玉置妙憂さんをお招きして人の「尊厳」とは
何かを考え、考えれば考えるほど難しくなりました。
観念的に考えるのは難しい。
・・・そこで3月は生物学的に命を考えてみようと思います。

テーマによって、専門家の先生をお招きしてお話してもらっていますが、
今回はそれが叶わず、私が生物学の先生から学ばせてもらったことを
もとに自らの考えと合わせてお話させてもらいます。
皆さんとシェアする時間をできるだけとりながら、ご一緒に考えていきましょう。

参加ご希望の方はこちらまで。
※当日の場合は、メール info@travesia.biz まで。

「私がエンディングノートを使っているわけ」はこちら。



2016年1月6日

死生観は意味があるのか、ないのか。

「終活」という言葉が流行語大賞にノミネートされたのは2012年のこと。
葬儀やお墓、相続、看取り等、人生の終末まわりの情報を目にする機会が、
ぐっと増えてきたように思います。
本来、そこで問われるべきことは死生観ではないでしょうか。
私は今までずっとそう思ってきました。
けれども1年くらい前から、本当に死生観は必要なのだろうか、と思うようになったのです。

私が命の終わりについて考えるようになったきっかけ

そもそも私自身はもともと命について考えるタイプではなかった。
ただ、どんな人も年齢を重ねれば重ねるほど
イキイキと生きていける世の中であればいいのに、そういう社会づくりに寄与したい、
・・・と漠然と考えていただけだったのだ。

ところが、数年前に義父が重篤な病気になり、
その際、医師から

 ご本人の人生観、人生哲学に照らし合わせて
 家族でよく相談して治療法を選択するように。

と言われる場面に立ち会ったのだった。

人生観?人生哲学?
そんなもの、どれだけの人が持ち合わせているのだろうか?

死生観なんて考えたことない

篠田桃紅さんは、1913年3月生まれでもうすぐ103歳。
まずは美術家でおられるが、多数のご著書も出している。




当時まだ103歳にはなっていないはずなのに、タイトルに103歳と入るのは、
出版社の陰謀に違いない(苦笑)けれど、
103歳になってわかったことを伝えてくれるなんて、すばらしいことだ。
こういう方がいらっしゃると、未来に希望を抱ける。

美術のことはよくわからないので、
篠田桃紅さんの栄誉ある業績については私は何も語れないけれど、
篠田さんがテレビで語っていた言葉は私にとっては衝撃的だった。

 死生観なんて持ったことはない。
 なるようにしかならない。
 死ぬことを考えるなんてナンセンス。

ナンセンス・・・?!
本当にそうだろうか。

100歳を超えるまでしっかりたっぷり生きてきて、
今なお現役で芸術を追求されている方の言葉だからこそ、説得力がある。
だけど・・・。

死生観ってなんだろう?

人は死んだらどうなるのか? 〜人によっていろいろ考え方があるだろう。

 死んだら終わり

 肉体は滅びても魂は次の肉体に宿る

 星になる、空から見ている

 心の中で生きている

こういう考え方そのものを死生観という人がいる。

そこまで直接的でなくても、
宗教観に近いものと捉えている人もいるかもしれない。
私自身は、命について考えること、どう生きたいかを考えることが
死生観の始まりだと思うようになった。

若い頃はそんなこと考えたこともなかったけれど、
生きているということは、
本来そういうことを考えながら年を重ねていくということだと、今、思っている。

なぜなら年を重ねていくことは、死に向かって進むことでもあるからだ。

それは意識してかどうかは別にしても、
家族や身近な年長者と関わりながら、
あるいは身近な死の経験を通して自分なりに考えていくものなのだと思う。

だけど効率化を優先する今の時代、
時間的にも空間的にも気持ち的にも余裕がなくなってきた。
家族の形が多様化し、年を重ねること、死に向かっていくことを考える機会は
激減している。

だから、私たちはふだん「死生観」など考えもしないのだけど、
それで本当にいいのだろうか。

篠田桃江さんは、長く生きてきて
美術家として今もお元気で活躍しているから、そんな風におっしゃるのではないかしら。

一般の人はそうそういつまでも元気ではないし、
自分自身がそうそう強くないし、
晩年までそうそう活躍し続けることは難しい。
だから・・・

死生観に意味があるかどうかをもう少し考えてみよう

私が生きざまがにじみ出た顔つきに興味を持ち、
その集大成ともいえる遺影に興味を持ち、
エンディングノートや終活に関心を抱くようになって以来、
私は死生観とは何か、親の死生観、自分自身の死生観を考えてきた。
その意義もそれなりに感じてきたが、
篠田桃江さんの言葉で原点に戻されてしまった感があった。

そんなときに

生命の終焉を考える
~ヒトらしく生きるために必要なこと~

を見つけて、昨年から通っている。

命(いのち、生命)に思いを馳せると、自分らしく生きられるはず。
高齢になってからではなく、40代・50代だからこそ余計意味を持つ。
・・・私が漠然と抱えていたその思いに、今、一つ一つYES!をもらっているような感がある。
今週末はその最終回を迎える。

2016年の今年、考えたいこと、お伝えしたいことはさらに広がっていきそうだ。
本年もどうぞよろしくお願いします。


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トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中
~エンディングノートを使って、これからの生き方を考える~ 

 ◎ 1月の開催 ◎

 1月13日(水)18:30~20:30 麻布十番にて。

【 テーマ 】
  家族信託
  ~今だけでなく、これからもずっと円満家族でいるための契約になるか?!~

金融機関に頼らない、家族が家族のために自ら進める、
新しい可能性になるかもしれない家族信託。

相続税改正で相続や遺言が注目されてきましたが、
金融保険業界の商売にならない「家族信託」については、
あまり語られることはありません。
でも、どうやら家族のことを今一度考えるきっかけになりそうです。
今回、「家族信託」のパイオニアを目指す専門家にお話を聞くことにしました。

会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。 
体験参加費;3,000円(消費税別)
お申し込み、お問い合わせはこちらまで。


2015年12月12日

50代がこれからの人生を考える上でのお金の問題

私たち今の50代は、バブルを経験してきた世代。

贅沢している気分はなくても、そのときの経験がちょっとだけしみついていて、
バブルを経験していない世代や
その前の貧しい貧しい時代を経験してきた世代から見ると、
どうも経済観念が違うように見えるらしいです。

あまりそういう自覚はないのですが、
老後貧乏、老後破産、老後不安・・・そんな言葉を聞くと、
ひそかにドキッとしてしまい、
子どもの頃に読んだ童話「アリとキリギリス」が浮かびます。
私、キリギリスかしら・・・?!という思いが頭をよぎり、漠然とした不安に襲われるのです。


お金の問題を考えたくない、考えると不安になる

私がエンディングノートを使って自分の人生を考えていく講座を始めたのは
昨年の春。
毎月1回づつ開催しており、21回になる今月は
私が最も苦手とするお金のことをテーマにした。

相続を考えるためにエンディングノートを使う人がいるくらい、
エンディングノートというと必ず出てくるのがお金の話。
相続を考えるためにエンディングノート講座をやっている先生も
いらっしゃるくらいだ。
私自身は、お金の話をするためにエンディングノートを使うのは好まないけれど、
お金の問題を避けて生きていくことはできない。

これからのお金の問題を考えていこうとすると、
必ずライフプランの視点が出てくる。
だけど、ライフプランを考えると、
 貯金しなきゃ
 そんなに貯金できない、
 無理だ、将来足りなくなりそう・・・・・
そんな思いが押し寄せて、考えて安心するはずが、
なんだか不安になっていってしまうのだ。
だから、少し違う視点でお金を取り上げたかったのだ。

そこで、今回お願いした専門家の先生は大江英樹さん。
「老後貧乏は避けられる」の著者であり、
日経電子版の「定年楽園への扉」は人気コラムでファンも多い。

お金の問題は、生き方とリンクしている

現在、著述業や講演で活躍する大江さんは、
大手証券会社定年退職後に
「リタイアしたサラリーマンが自由に生きるための支援をしたい」
という思いで起業されたと言う。
そのお考えに、私も大いに賛同する。

さて、大江さんによれば、
老後に考えられる不安というのは三つの不安から構成されているという。
その三つが老後不安の正体でもあるのだが、
その一つがお金の問題だと大江さんは提示された。



大江さんご自身がかつて大手証券マンであり、
そのサラリーマンを終了・卒業した立場から、
講座では、現実にお金をどうコントロールし、実践しているのかをお話くださった。

どうやら、私たちはメディアに乗せられている部分が大きかったかも?!
実態をわからないままに不安感を煽られていただけだったのかも?!
・・・そんなことを気づかせていただきました。

印象的だったのは、お金の問題は生き方とリンクしているということ。
お金の問題だけを考えるから不安になるのだ。
どう生きたいかを考えることで、お金をどうコントロールするかにつながっていく。
その話は、リタイア前の今だからこそ考えるべきこと、考えたほうがいいことが山盛りだ。

その具体的方法については、大江さんの著書に委ねたいと思う。




自分の将来、生き方を考えると言ってもいったい何を考える?
そういうときに、エンディングノートに出てくる項目はガイドになる。
項目を一つづつ考えていくことが自分のこれからを考える上で役に立つ。
何となく不安なときに、何が不安か、どこが不安なのかを自分でみつけることができる。
そう思ってエンディングノートを使って生き方を考えていく講座を続けているけれど、
お金の問題もしかり。
お金と生き方が密接なのは間違いない。



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トラベシアのエンディングノート講座 毎月開催中
~エンディングノートを使って、これからの生き方を考える~ 

 ◎ 1月の開催 ◎

 1月13日(水)18:30~20:30
          麻布十番にて。

【 テーマ 】
  家族信託
  ~今だけでなく、これからもずっと円満家族でいるための契約になるか?!~

家族とどんな関係でいたいのか。
そのためにこれからどうつきあうのがいいのか。
親と。兄弟姉妹と。ほかの人たちと。

相続税改正で相続問題が注目されてきましたが、
金融保険業界の商売にならない「家族信託」については、
あまり語られることはありません。
でも、家族のことを今一度考えるきっかけになりそうです。
「家族信託」のパイオニアを目指す先生にお話を聞くことにしました。

会員制の継続講座ですが、初回は体験参加できます。 
体験参加費;3,000円(消費税別)
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