2012年6月26日

ワクワクできる国


6月20日の朝日新聞に「リオのスラム 民宿次々」という記事が掲載されていた。

私が大好きな都市、リオ・デジャネイロ。
なぜリオが好きかと言えば、まず音楽。サンバ、ボサノバ、ショーロ、MPB・・・などのブラジル音楽と出会って以来、その心地よさに飽きることはない。それにダンス。ブラジルのダンス、サンバ・ジ・ガフィエイラをはじめとしペアダンスに出逢ったのは、5年少し前のことで、その楽しさにハマり、今でも週に1~2回は踊っている。

今から5年前に一度だけリオに行ったことがある。
既に退社を決めていた会社員時代の最後の夏休みだった。

リオを旅行中、海岸で80歳前後と思しき女性が散歩しているのを見かけた。
オシャレして綺麗にお化粧をして車いすに乗って、60歳前後の人に押してもらっていた。
突然、その女性が大きな声を上げて遠くを見ながら手を振った。
視線の先には、同年輩と思われる女性がその声に答えて大きく手を振り返し、ゆっくりこちらに向かって歩いてきた。
そして二人が出会った時に、大きな声で笑いあって何かを喋りながらハグをしたのを目にしたのだ。
それはリオの日常のようで、特に誰が注目する風景というわけではなさそうだった。

こんな風景、日本で見られるだろうか?
どんなに年を重ねても、オシャレして出かけて、こうして大きな声で手を振り合い、大声で笑いあい・・・。
それを見て、私はすっかりリオの町が好きになったのだ。
私も数十年後に、こんな老婆になりたい、と思った。

町を歩いていて、他にも嬉しくなるような人の光景をいくつも見てきた。
路線バスの中では運転手が自分の好みの音楽をかけ、乗客がそれに合わせてみんなで大合唱したり、
町のあちこちでストリートミュージシャンが音楽を演奏するのに合わせて、通りすがりの人が踊ったり、
街じゅうが知らない人同士でもサッカーに狂喜したり・・・。
なんて楽しい街だろうと思った。

そんな素敵な場所ではあったものの、当時ブラジルの治安の悪さは評判で、特にリオは悪いと言われていた。
脅されたら抵抗せずに持ち金を差し出すようにと注意を受けていたが、その最も危ないエリアがファベーラだと言われていた。
ファベーラ・・・いわゆるスラム街だ。山の斜面に張り付くように家が建ち並び、電気は盗電。麻薬などの密売に関わる人も多く、
貧しさゆえの犯罪が多いと聞いていた。
「ファベーラには立ち入らないこと」---ブラジル観光の鉄則だったように記憶している。
そのファベーラに、今、民宿が続々とできているという記事だったのだ。
そう言えば、そのファベーラの脇を、巨大キリスト像のあるコルコバードの丘に向かうモノレールが通っていて、観光客はそこからファベーラを眺めることができた。
予想に反して、そこから見えるファベーラの家の中は豪華そうに見えた。
BRICSが言われ始めた頃だったが、経済発展の影響は、もうその頃から出始めていたのかもしれない。

私が憧れた老婆のような人たちは、今もリオを散歩していることだろう。
陽気な人たちは、今も踊っているだろうか。

そういう国民性・文化がそのままで、ファベーラなど闇の部分が今、経済発展のおかげで綺麗になって行っているのだとしたら、本当にすばらしいことだと思う。
日本も、もっと楽しくてワクワクできる国になればいいのに、と思う。
日本人の国民性は、思慮深く謙虚でシャイだけれど、そういうワクワクするようなことに寄与できるような新しい産業が、新たに生まれることで経済が発展していけば、日本はもっと明るく元気になれるのに。私はそういう仕事がしたいと思う。

2012年6月13日

機会ロス

私は、日常的にどうもバタバタしていることが多い。
仕事も忙しいし、趣味も楽しみたいし、遊びたいし、友達とのおしゃべりも楽しみたい。
家庭のこともあまりおろそかにしたくない。
現実はそんなことは不可能でどれも中途半端になってしまうのだが・・・

そんなこともあって、目的のないショッピングに出かけることは稀だ。
普段からショッピングに時間をかけることもあまりなく、結果的に衝動買いが多くなる。

そんな私でもショッピングは楽しい。
ウインドウショッピングであったとしても、だ。
仕事の途中などでも、ちょっと時間が空くとファッションビルやデパートにフラッと立ち寄ることがある。
先日、仕事中にデパートに立ち寄った際に、気になる商品をみつけた。

特設コーナーで展示されていた商品だった。
安価な素材のものだったので価格的にも買いやすい価格、そこで初めて見たブランドで色や形をもう少しじっくり見たいと思ったが、時間があまりなかったことに加えて、店員さんが声をかけてきたので、結局それ以上見ることなくその場を離れることになった。
帰宅後、その商品について気になってきた。
ネットで調べ、やはりあの場ですぐに買えばよかったと後悔し始めた。ネットでも買えそうではあったが、実物を見ながら選びたいと思った。
その商品が身につけるものだったので、実際に身につけた感じ、色や大きさなどのバランスや重量感など、確認したかったのだ。
3日後、実物を再確認した上で買おうと決めて、時間をやりくりしてデパートに出かけた。
すぐその場で買わない場合は、そのままになることが多い私としては、とても珍しいことだ。
ところが、その商品があったはずの売場には、全く別の商品が並んでいた。
聞いてみたら、「昨日までの期間限定商品でした。」と言う。
残念だった。力が抜けるほどがっかりした。
ネットで探せば買えないこともないけど、身につけた感じや感覚的なことはなかなかつかめないだろうと思った。
今後、実物を見られる売場があるのかもわからない。

機会ロスというのは、こういうことを言うのだ。
デパート側から見たら、これこそが機会ロスだ。
言葉は丁寧に説明してはくれたものの、要は販売していないわけで、メーカーにとっても機会ロスだ。

どんなに丁寧に説明されたとしても、 客にとっては、ほしかったものが手に入らない・・・これが結果だ。
その店で販売終了は仕方がない。例えば売り切れも仕方がない。
でも、「ではどうしたらいいのか?」という道筋が何かしら示されればよかったのかもしれない。
例えば、そのメーカーの名前や連絡先の案内、よく似た商品の売り場案内、など。

いやいや、その場で手に入らなければ、そんな案内をされても残念な気持ちがおさまることはないだろうか・・・。
消費者心理としては、どうだろう。
私は、紙1枚でもいいから、その商品のメーカー連絡先(URLなど)がわかるような資料を手渡すことができれば、その商品はもちろん、期間限定販売していたデパートへの信頼感も向上したのではないかと、残念に思った。


2012年6月6日

視点、受け止め方、考え方を変える

人生は山あり谷あり。
誰だって、いい時もあれば悪い時もある。 

電車中吊り広告で、5月21日発売のAERAの「“「第1志望」落ちたから今がある」の見出しを見た時、私はとてもそそられた。
振り返ってみると、私も第一志には進めなかった経験が多く、その昔、母は私のことを「あなたは運が悪い」と同情していた。 中学受験で第一志望がかなず、大学受験で第一志望がかなわず、就職で第一志望がかなわず・・・。
実際には運ではなく実力の要因が大きくかなわなかったのだが、結果的にはそれがかえってうまく転んでいることが多いような気がする。つまり第一志望に落ちた運のよさとでも言えるかもしれない。 そのおかげで今がある、と今、しみじみ思っている。
特に受験や就職などは、まだ自分の志向や方向性がわかりもしないのに、間違った思い込みで設定した第一志望を設定するケースもあるのだろう。
私自身のその後の人生から見れば、第一志望ではなかった環境に身をおくことで得られたことは、とても大きかったように思う。
第一志望失敗経験者としてAERAに掲載されている人は、ノーベル化学賞受賞者の田中耕一さんや、ベンチャー企業育成や投資を行うKlab Venturesの長野社長など、私などとは比較するのも恐れ多いことではあるが、ちょっとした考え方や受け止め方と、その後の意識で変わって行くことがあることを教えてくれた。

時期を同じくして、ブランドコンサルタントの水野与志朗さんのメルマガ記事でも、ハッとすることが書かれていた。
美大出身でプロダクト・デザイナーとして活躍していたご友人が事故で怪我をし、絵も描けなくなったご友人が、その事故を契機に、経営や、安全に働ける環境、労使関係に関心を持ち、今、労使協調をしながら経営について話す場でイキイキと活躍されているという。 
悪いこと、悲しいこと、残念なことが、人生にしばしば訪れるのは、なかなか避けようはない。 けれど、それを生かすも殺すも本人の視点次第だと、改めて気づかせてくれた。 
6月2日の朝日新聞土曜版beでは、アメリカで成功したソース王、吉田潤喜さんの言葉「運命っておもろな。視力を失わなければ米国に来ることも、必死になってがんばることもなかった。後から考えると全部ラッキー、全部感謝や。」を掲載していた。
つい先日、還暦直前の女性と、打ち合わせの機会があった。
彼女は、去年念願の起業を果たし、社会のために自身が開発したアクティビティを、これから広めていこうと考えている。
いよいよこれからというこの時期に、彼女自身に健康的な不安要素がいくつか出てきて、これから検査だというが、近々に講演依頼も入っている。
まずはせっかくの仕事のチャンスだから講演はきちんと対応し、検査はその後になるよう予約したという。そして、
「検査前の不安を経験することができた。イメージと経験は大違い。これがきっと何かに生きるでしょう。検査の結果はどうなるかわからないけど、もし病気がみつかれば病気の人の気持ちがわかる。」
と語り、私は心底驚かされた。 

本人の視点、受け止め方、考え方・・・ そして、それをどう未来に生かしていくか。 簡単なことではないが、これができると、仕事も人生も、ぐっと輝いていくに違いない。常にこうありたいものである。