2011年12月28日

情熱が社会を動かすはず

今から6年近く前のことだ。
私は、会社の仕事はおもしろかったのだが、他に何か新しいことを始めたいと思い、既に会社を辞めることを決意していた。新しいことを探すために、起業を支援するプログラムや勉強会にときどき参加していた。
そこではその場で会った人同士で、名刺交換をしたり少し話したりすることはあるが、だいたいがそれっきり。あまり記憶に残らないし、その後のつながりに発展することもほとんどなかった。
けれどもそんな中で、「ワンコイン(500円)で簡易的な健康診断をする」プランで起業を考えている若者がいた。
そのプランを聞いた勉強会の講師は、「それはうまくいかないですね。そんな安い費用だと信用できない。医療というものに簡易的なものなど社会は受け入れにくい。もう少し消費者の気持ちを考えて」というアドバイスをしていた。
しかし私はそうは思わなかった。おもしろいことを考える人だな、と思ったのだ。
当時そういう場で発言など滅多にしなかったのだが、私はその場で「私はおもしろいプランだと思いますよ。ぜひ頑張ってほしいと思います。」と、わざわざ発言したのだった。まるで講師に挑むようで、講師にとっては感じが悪かったかもしれない。
私は、確かに彼のプランを面白いとは思ったが、実はそれ以上に彼の情熱が魅力的だった。
彼は看護師としての勤務経験があるようで、その経験の中で健康診断をしないがために重篤な状況に至ってしまった人たちを見てきていたという。病院に行けない人や健診の機会がない人などだ。だから簡単にできる健診の重要性を感じていたのだ。
私は、自分自身が学生時代に栄養学専攻だったことから、医療関係に進んだ友人が少なくない。生活習慣病の怖さや、予防意識の重要性も一応は知っていた。だからその彼の考えがよく理解できたのだ。
その1年後、本当に彼はそれを進めるために会社を設立し、店舗をオープンさせた。
その人が、今週発売のAERAの特集、「日本を立て直す100人」に取り上げられている。
電車の中刷りを見て特集に惹かれて買って見つけたのだ。



その彼とは、株式会社ケアプロ川添高志さんだ。
AERA以外にも、 「次代をつくる100人」(日経ビジネス)、 「日本を救う中小企業100社」(ニューズウィーク)などにも掲載されているという。
2008年、そのワンコイン健診のお店がオープンしたニュースを知った時、私はすぐにお店を見に行ったことを思い出す。
ここのところ、彼はメディアによく取り上げられている。つい先日もNHKに取り上げられていた。

今、改めて私は思う。
「社会への使命感から湧き出るような本当にやりたいこと」は、やはり強いものがある。
もし自分が顧客だったら欲するサービスかどうかの視点には意味があったとしても、このサービスを消費者がどう思うか、このサービスは社会が受け入れるか、などという評論家のような視点は、そういう情熱の前ではまったく弱い。
あの時講釈した起業プログラムの講師は、当時のことを覚えているだろうか・・・

人は感情のある生き物だから、情熱が伝われば感動するし、応援したいと思う。感謝の気持ちにもなる。
周りが彼の情熱に突き動かされていくのだ。
やはり起業家はそうであってほしいし、そうでなければいけないと思う。

2011年12月20日

自分のベース

12月10日の朝日新聞beの連載記事「逆風万帆」は、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんが取り上げられた記事の「中」(3回連載の2回目)。
記事は、冒頭からこんな風に始まっている。
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「死んだら、棺を毎日新聞社の社旗で覆ってもらいたい。」鳥越俊太郎(71)は常々、家族にこう語り、大きな旗を用意している。
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そしてその記事に大きく掲載されている写真は、鳥越さんが毎日新聞テヘラン支局長時代のイラン・イラク戦争の戦場での写真である。



この写真の左には、
「葬式の遺影にはこれを使うよう遺言している。=1984年、鳥越氏提供」
と注釈が記載されている。
1984年と言えば、30年近く前の写真だ。

鳥越さんご本人と面識はないが、テレビで拝見するに、さまざまなご経験ご体験をもとに精力的に活動される第一線のフリー・ジャーナリストとして私は認識している。
けれども記事を読む限りは、鳥越さんご本人にとっては、新聞記者としては決して順調ではなく挫折の連続だったようだ。
その鳥越さんが、「棺を毎日新聞社の社旗で覆って」と家族に語り、また、遺影は毎日新聞テヘラン支局長時代の写真を使うように、と伝えているということは、フリー・ジャーナリストとしてご活躍中の鳥越さんだが、そのベースは毎日新聞時代にあるのだと、ご本人が強く認識されている証でもある。

私は今、このブログとは別にこんなアメブロを書いていることもあり、この記事につい反応したのだが、
さて、私にとってのベースはどこにあるのだろう?
自分が強く意識した時代はいつ、どこなんだろう?
そんなことを改めて考えるきっかけになった。

2011年12月13日

ようやく発行

昨年秋から手がけていた書籍「からだにおいしい魚の便利帳 全国お魚マップ&万能レシピ」(高橋書店)が、今月に入ってようやく発行された。



2年前に発行され、引き続き好評な「からだにおいしい魚の便利帳」の続編にあたる。前書は、この種の書籍としては異例の発行部数(現段階で20万部超)で、本書の売れ行きも期待されるところだ。

ただ、私にとっては別の思いもある。
私自身は、社会に出て間もない頃の仕事のひとつとして、魚食普及や魚の啓蒙という仕事があった。もはや四半世紀前のことだが、消費者の魚ばなれとともに冷蔵・冷凍技術が進歩して海外からの輸入が進み、日本の漁業・水産業の振興を進めてきた国にとっては大問題な時期だった。私はその仕事に10年近く関わったが、消費者の魚ばなれは止まらなかった。魚食普及のための予算も年々大幅に縮小され、私もその仕事から離れるようになった。
当時と比べて、魚の流通も消費のしかたも、今は大きく変わっている。
それでも、日常の料理を主に担当する主婦にとっては、魚は面倒な食材であるという意識は、当時も今もあまり変わりはない。むしろ益々その意識は進んでいる。一方で、より本物、よりおいしいものを求め、食べること自体を楽しむ文化は、完全に定着してきた。

去年の段階で既に前書は売れてはいたものの、本書では「自分では魚を捌くのは面倒だと思うけれどおいしい魚を食べたい」という人のために、より読者の裾野を広げることを目指して、秋頃に企画が始まった。私個人としては、かつて手がけた魚食普及につながる思いもあり、高いモチベーションでスタートした。
全国の魚周辺情報をできるだけ幅広く面白く、料理をしない人でも楽しめるように・・・私が実際に接触した先は500件近くにまでなり、なかなか大変な労力が始まった。もう少しで終わりそうだ、という時に、あの東日本大震災があった。
水産関係なだけに、被害を受けたところは少なくなかった。このまま進めていいものか、5月になってから被災地を訪ね、協力先の一部をお訪ねしたりしながら、発行自体もどうなるか先が見えない時間が続いた。
まだ水揚げが難しいものもある。工場が被災して製造できない加工品もある。
けれども必ず復興するから、掲載されたらそれを励みにするから、という声を寄せてくれた方が多くいらっしゃった。
水産物なので、例え被災地でなくても間接的に影響を受けているところもある。

だから私は、本書発行に当たってはさまざまな思いを隠せない。
被災地の食材を改めて大事に思うこと、まだ難しいものは静かに待つこと、被災して頑張っていらっしゃる方々のことを忘れず見続けること・・・。本書を手に取ってくださる方々とも、そういう思いを共有できればと願わずにはいられない。巻末には協力先の連絡先も出ているので、問い合わせられるし、おいしいもの探しをしてほしい。
この書籍の発行が、水産業界の方々の励みの一端になり、そして、魚食普及に少しでもつながればと思う。

2011年12月6日

心を寄せる

昨年末以来、水産関係の食べ物に関する実用書の仕事に関わっていたこともあって、私は5月に被災地訪れている。その際、記録の意味から多少のスナップを撮ってきた。仕事関係や友人などの間で震災の話題になる時にはその時の話をしたり、写真を見せたりしていたところ、思わぬところでその写真を使っていただくことになった。
それは、静岡県の「第32回森町民文化祭」(10月22・23日)「第7回菊川市文化祭」(11月5・6日)だった。どちらも町(市)の文化協会・教育委員会主催の文化事業イベントだ。
そのイベントで、地域の子ども~大人までを対象にした「渡辺バレエ教室」が、演目「LIFE・手をとりあって~希望・そして生命のDANCE~」を発表したのだが、その演目内舞台フィナーレで震災のスライド紹介をした際に、そのスライドの一部で、私が撮影してきた写真がお役に立てたのだ。このバレエ教室では、震災直後から発表会と合わせて被災地への募金活動をしてきた地域の教室でもある。


地域の人々からは賛同を得て、森町では震災募金活動のお手伝いもできたとうかがい、想定外な形でお役に立てたことを嬉しく思っている。
東日本大震災から、早くも9カ月がたとうとしている。
被災地の方々にとっては、まだまだ大変で厳しい状況は続いている。むしろ、人々の関心が薄れつつあるこれからの方が、いろいろな意味で大変になっていくことだろう。
パフォーマンスや写真(スライド)、映像などは、一目でわかりやすい力を持っている。
こういう形で心を寄せ、継続すること、それも地域住民などのように小さな単位で少しづつ進めて行くことに、改めて私は今、価値を感じている。

今回、上記をこのブログに書いてもいいかどうかについて渡辺バレエ教室に相談したところ、「一番大切なことは、何らかの形で震災に心を寄せてもらえる機会が作れること」という答えが返ってきた。
渡辺バレエ教室と私をつないでくれた人も、「静岡は東日本大震災の前から東海地震の危険が言われていることに加え、浜岡の原発問題を抱えてもいるので、今回の災害を風化させるわけにはいかないのです」と力説された。
そういう一般の人たちの気持ちや声の小さな蓄積が、いろいろなことを変える社会へと、今、少しづつ動いているような気がする。

2011年11月29日

私のメンターって、誰?

私は、SNSなんて! ソーシャルメディアなんて! と言い続けてきたが、フェイスブックを使って連絡する人が増えてきたことや、かつてに比べて、企業単位ではなく個人単位のつながりが重視されるようになってきた今、なかなか無視できなくなったことから、私もこのページでもこうしてフェイスブックを出すようになった。
さて、私のお友達の数はまだまだとても少ないが、そのお友達のウォールを見ていたところ、「メンターの○○さんと」という写真が掲載されているのをみつけた。
そして、ふと思った。私にとってのメンターって誰だろう?
会社員時代も今もそうだが、そう言えば私はメンターを意識したことがない。
メンターの価値・重要性は十分認識しているつもりだし、新人にメンターをつけるのを横で見ていたことはあるのだが、自分自身のメンターを考えたことがなかったのだ。
メンターとは、良き指導者。
教育係、指導者、支援者、理解者・・・賢明な人、信頼のおける助言者、師匠。
自分の目指す方向性として、メンターの存在は大きいに違いない。
一般的に「この人が私のメンターです!」と言える人は、どのくらいいるのだろうか?
今になってメンター探しをするのもおかしいような気もするが、今だからこそ私はメンターが欲しいと思うようになっている。
もしかしたら、今、私が求めているのは「コーチ」なのかもしれない。

2011年11月22日

コーチングを勉強してみようと思う

今から10年くらい前に、コーチングというものを初めて知り、無料体験を受けたことがある。
設定したゴールまで、モチベーション高く、より早く効率的にたどり着けるためのサポートをするコーチというものは、私にとって魅力的だった。自分にコーチが欲しいとも思ったし、そういうコーチのスキルも魅力的だった。
けれども私は心理学や哲学などには縁遠く生きてきたので、普通に使っていた基本的な言葉や考え方が、よく言えば新鮮、悪く言えばなかなか馴染まなかった。
当時私は会社員。仕事は楽しかったし充実していたが、自分自身のことをゆっくり考えるなんて余裕もなく、結局そのまま長い時間が過ぎた。
そしてあれから10年たった今、私はそのコーチングについて勉強してみようと思い始めた。
私は今まで、次々と提案することを是としてきた。クライアントの状況から課題をみつけ、それを、広告などのコミュニケーション活動という手法を使って解決することを提案する。クライアントが気づかない課題、クライアントには目新しい提案。。。。そういうものに意義や価値を感じてきたように思う。
私が勉強しようとしているコーチングは、答えはクライアントが持っているという考え方に基づいている。だから、コーチは答えは提供しない。提案もしない。ここがコンサルタントとは大きく違うところだ。
コーチは、クライアントが自分の中にある答えを自分で見つけられるようにサポートしたり、クライアントが見つけた答えから次の目標を自分で設定するためのサポートをしたり。
理屈はわかるが、実際のところどうなのだろう・・・?そう思って、私は10年間動かなかったような気がする。
私が動いたきっかけは、このコーチングの手法を、他の仕事に取り入れることで、実績を上げている人がいることを知ったからである。
これからどうしたいのか。どういうふうにして行きたいのか。ーーー自分の中にあるはずの答えを、クライアント自身が見つけられるようにサポートし、その答えを元にして、こちらが提供できる提案へとつなげていく。クライアントが経営者であれば方向性は明確だし、方向性に合致したものが提案できる。
提案する際に、独りよがりや思い込みではなく明確なクライアントの課題に対して、満足度の高い提案ができるに違いない。
そう思って、勉強してみることにした。まずは基礎から。
私にこのスキルが身につくまで、どれくらいの時間がかかるかわからないが、果たして、成果が出るかどうか、乞うご期待だ。

2011年11月15日

2:6:2の法則

よく言われる、2:6:2の法則。
グループの中で、上位の2割がポジティブな動きをして、中位の6割は平均的な集団で、下位の2割のネガティブな動きをする、というあの法則だ。

マーケティングの視点では、上位2割のグループが生産性の高い優秀な集団、下位2割のグループが生産性の低い集団と言われ、いかにして上位をより生産性高く、6割の集団に対して影響力を発揮するか、が大事になってくる。

この2:6:2の法則、経営コンサルタントの石原明氏が発行するメルマガ「◎社長、『小さい会社』のままじゃダメなんです!」(無料)の昨日発行の記事によれば、集団だけではなく、腸内細菌でも同じような動きをするそうだ。醸造学の研究者からの話として紹介しているのだが、腸内の善玉菌と悪玉菌がそれぞれ2の割合で存在し、「日和見(ひよりみ)菌」が6というバランスだそうで、善玉菌が強いと日和見菌がそっちに味方して、腸内で良い菌がどんどん増えていくそうで、反対に悪玉菌が強いと日和見菌がそっちに引っ張られ、腸が腐敗していくとか。
私は自分のカラダのなかで、2:6:2の法則が動いているとはおもしろい!と思って読んだのだが、考えてみれば身体的なことだけでなく、気持ち(モチべーションなど)もそういう法則があてはまるな、とふと思った。
個々人の中の「さあ!がんばろう!」という気持ちと「「どうでもいいや」という気持ち。
いくら常にやる気満々の人と言えども、日々いろんな状況が訪れる。普通の人なら、前向きになることもあれば、後ろ向きになることもあるのは否めないと思う。が、全体的には、自分自身がそのどちらが強いかによって、おおよその方向がどちらに引っ張られていくかが決まるような気がする。
そう考えると、ますます自分自身の前向きな気持ちは大事にしなくてはならないし、後ろ向きな気持ちは早いうちに原因を見つけて潰して行くことが重要だ。

2:6:2の法則は、侮れない。

2011年11月11日

プラスの感情、すかさず褒める

世界体操で金メダルをとった内村航平選手。
かねてから野菜が嫌いなど、アスリートでありながらその偏食ぶりは、ずいぶん前から有名だった。内村選手の母親のは話によれば、「嬉しい」「楽しい」「やりたい」を大事にしてきたという。内村選手は、好きな段違い平行棒の下で眠ってしまうこともあるくらい、鉄棒が好きだったという。

9月4日に放映されたNHKスペシャル「脳がよみがえる~脳卒中・リハビリ革命~」の中では、脳は褒めれると活性化するという話が出てきた。すかさず褒める、それも具体的に褒めるとよいという話だ。

私自身のことを振り返って考えてみると、学生から社会人になったばかりの1年目。右も左もわからず、毎日上司に叱られてばかりだった。叱られながらもどのように改善したらいいかもわからず悶々とし、泣いてばかりの苦しい日々だった。それでも、幸い私は知恵もなく鈍感な方だったので、逃げるという選択肢も浮かばず、耐え続けていた。当時は、その上司に「がんばったね」と褒めてもらうためだけに、がんばっていたことを、今になって可笑しく思いながらも思い出す。その後、私が褒められたかどうかはあまり記憶にはないのだが。

さて、そんな私だったが、今はそれなりのベテランになって、就職して間もない20代の若手広告マン数名の指導にあたっている。
はじめの頃、彼らは私が思いもつかないような妙な考え方をしたり、配慮に欠けて問題を起こしたり、問題があっても気づかなかったりしていた。おそらく彼らは、何がわからないかも理解できずにいたのだ。
それでも、彼らにはそれぞれ固有の個性があり、それが取引先に喜ばれたり、社内の者を気持ちよくしたりすることがある。そういう時、すぐその場ですかさず褒めると、不思議なことにその後がぐんと変わってくるのだ。褒めたことと全然関係ないことであったとしても。もちろん、私は日々褒めるばかりではなく、叱ることもあるのだが、褒めることによって、叱ったことが生きてくるように思う。

NHKスペシャルで出てきた話のように、内村選手も、その20代の若手広告マンも、そして大昔の私も、つながっている。プラスの感情というのは、マイナスの感情よりもずっと大きな力を持つのだ。

仕事上の人間関係もきっと同じことだろう。
相手のいいところを見る・・・よく言われることではあるが、それによって関係がどんどんよくなっていくことを、仕事の場面でも実感する。
関係性というのは鏡みたいなものでもあるから、好意的であれば相手も好意的になる。
相手のある仕事は、相手のいいところを発見し、すかさずそのことを伝えることで、よりよい仕事にしていきたいものである。

2011年11月5日

諦めなければ夢はかなう?

土曜日、日常の仕事もなく、ゆっくり過ごす朝。
朝日新聞土曜版の「be」は、私の楽しみの一つだ。
11月5日「be」読者とつくるページのテーマは「諦めなければ夢はかなう?」だった。
経済界やスポーツ界の成功者が、必ずと言っていいほど発する言葉である。
しかし、一般人にとってはどうだろう?

この言葉ほど、人によって受け方・捉え方の差が出る言葉はないに違いない。
例え同じ人であったとしても、その時のさまざまな状態によって、受け方が変わるのではないだろうか。

前回も書いたように、私は「何か新しいこともやりたい」という理由で、無謀にも、居心地がよく働きやすく好きだった会社を辞め、それまでの仕事も部分的に続けられるようにと、独立した。そして所謂「夢」探しを始め、あれこれ考えてきた。少し挑戦し、うまくかずに少しくじけて、軌道修正してまた挑戦し…を繰り返している。くじけるときはそれなりに凹むが、再び立ち上がるのは、会社員時代からの起き上がりこぼし気質、生来の鈍感と楽観主義のおかげかもしれない。「諦めない!」というほどの強いものでもないような気がする。
それでも、一人では悶々とするので、時々人に話してみたり、相談したりしながら思考錯誤を繰り返すわけだ。
ただ、この「夢」への思いは私だけのもので、いくら人に話したところで、その人は理解してくれたとしても、その思いに共感して共に走ることなどない。
だから、自分の考えや方向性に自信がなくなった時などは結構きつい。
けれども自分自身の発想の転換ができたり、新たな協力者ができたりすると、再び頑張ってみようと思う。

今以上に頑張ろうと思う時は「諦めなければ夢がかなう」ことを信じ、
もう止めてしまおうと思う時は「誰もがかなうわけじゃない」と思うのだ。

おもしろかったのは、「謂わば『夢圧力』ですね」と語ったコラムニストのオバタカズユキさんの言葉。
やりたいことがみつからない若者に対して、「『夢をもて』というメッセージが、若者に精神的負荷をかけ続けている面もある、と指摘する。」。
若者だけではない。「夢は?」と問われて、即答できる人など、果たしてどれくらいいるのだろう。誰もに対して、夢があるのが当たり前で、夢を追いかけて諦めずに頑張ること正しいことかのように語られるのも、少し不健全な社会な気がする。
どんな形であったとしても、自分に少しだけ負荷をかけ、それをクリアする方向に向かっているのであれば望ましいと捉えたいし、志や考え方みたいなものでもいい。それが「夢」であろうと、日々のことであろうとなんであろうと。そんなことで圧力なんて、残念だし、「どうせ・・・」と思うようにだけはしたくない。

さて「be」の、読者アンケートによれば、「諦めなければ夢はかなう?」の「はい」は54%、「いいえ」は46%。この数字、どうなんだろう?

2011年11月1日

新事業と商標登録

広告会社のサラリーマンを辞めて丸4年。
独立して、今でも広告やコミュニケーションの仕事を中心に行っているのだが、広告にはこだわらない新しい仕事を始めたい、とずっと思っていた。そのために私は会社を辞めたような側面すらある。
実は、私は広告の仕事が好きだったし、勤務していた会社も好きだったので、わざわざ退社する必要などなかった。けれども、いくら好きとは言え、広告にこだわらない新しい仕事がやりたい私としては、そのまま勤続していると、日々の充実感でそのことを忘れてしまったり、後回しにしてしまいそうな、自分への不安があった。そんなわけで退社を決意したのだ。
まあ、今思えばずいぶん無謀な決断だった。その先の仕事の保障もなかったし、辞めて何をするかも決めていなかった。「広告にこだわらない新しい仕事」と言いながら、その準備など手もついていなかった。
そして実際に辞めてから、その「他にもやりたいこと」をどれくらいできたか?と言えば、ほとんど結果など出せずにいる。そして、実際にしている仕事は、以前の仕事の延長線でもある広告の仕事が中心になっているという現実がある。
それでも、精神的充足感で言えば、会社員時代とは大きく変わった。少なくとも会社都合はなくなったわけなので、まず自分のペースで仕事ができる。投資(時間的・経済的)したいことも、私の判断ひとつで可能だ。
そういう中、コツコツとブログ(このブログとは別)で書きながら温めてきた新しい仕事(企画)…その商標登録について、ようやく先週出願が終わった。
仕事内容やスキームの検討はもちろんだが、ライターさんの知恵を借りながらのブランド名(商標)検討、弁理士さんに相談しながらの商標登録出願・・・・・・。
ここに至るまで、当初予定よりはずいぶん時間がかかってしまったが、何より忘れずに(笑)続けてきたのでどうにかここまで来た感もあるが、むしろこれからがスタートでもある。
私が目指すのは、「大人がもっとワクワク生きていける社会のためにできる」ことを提案していくこと。
ちなみにここで言う「大人」とは、年齢で言えば不惑の年を越えたあたりの40歳以上、精神的に自立している人を大体のイメージにしている。
いずれ、このページでも発表するつもりだが、私にとっては、まずは商標を決定し、ひとつの山を越えたところだ。

2011年10月25日

インプットとアウトプット

本を読んだり、セミナーに出席したり、インプットの形はいろいろだが学び続けることは重要だ。学びには新たな気づきがあるし、学ぶことでいずれは自分の血となり、肉となって行くのを実感する日がくる。
しかし、その効果はすぐに表れてくるわけではない。
日々新しい提案をし続けたり、複数のプロジェクトを平行させて動かしているとき、やり甲斐や充実感は大きいのだが、アウトプットばかり続けていると、智恵が摩耗していく。仕事を通じて学べることはたくさんあるが、その学びだけでは、やはり足りないのだ。
特に会社員時代と違って一人で仕事をする私は、日常的に接する人の幅や仕事の幅にも限りがあり、意識してインプットしていかなくてはならないと思っている。新しいことを仕掛けようとも考えているのでなおさらだ。
そういうわけで、私は今年の春から、しばらくは意識してインプットに注力していこうと決め、学びモードに入っていた。

しかし夏が終わる頃から、日常的な仕事がどんどん忙しくなってきた。余暇や休みの時間がまるでとれないくらいに忙しくなってきた。それでも、インプットの時期と決めていたので、セミナーや勉強会、ワークショップなど、随分前に申し込んでいたものが複数あり、多忙な中を追われるようにそういう学びの場に出かけた。

問題はここからだ。

学びの場では新鮮な情報や発想法に感動し、生かしていこうと思うのだが、日常に戻った時点で、頭の中は日々目の前にぶら下がっている仕事のことでいっぱいだ。仕事に没頭する中で、学びの場で感じた感動や意識は、緩やかに温度が冷えていく。次々とくる仕事に追われ、学んだことが風化していく。そしてまた、前に申し込んでいた勉強会に出かける。。。。。出かけるのを面倒臭いと思いながら。
もうこうなると、本末転倒だ。何も身につかないのに学ぶことだけで満足しているのと同じだ。もはやなんのために勉強していたのかすらもわからなくなってくる。
今の私は少しそういう状況になりかかっている。危険だ(苦笑)。
それにしても、学ぶというのは、精神的にも時間的にも多少の余裕がないとできないものだと痛切に感じる。何より学んだことが生かせない。学びは本来無駄なことではないが、もしも学んだことが消化できなかったり生かせないのであるならば、残念ながら学びは無駄と言わざるを得ない。
大事な時間とお金を使って学んでいる私は、今、無駄遣いを進行中だ。
インプットばかりでは意味がないし、アウトプットばかりではすぐに何かがサビついていく。車の両輪のように、両方を回していくよう、今、私はしばし止まって仕切り直しだ。

2011年10月19日

友達は量?質?

またまたFacebookの話題で恐縮だが、Facebookは益々拡大中だ。しかし、私にはやはりどうもよくわからないことがある。
それはFacebookの友達だ。友達が多い人、少ない人。
Facebook上の自分の友達の場合、その友達がどんな人と友達になったか、何人と友達となったかがわかる。これが私が思うFacebookのストレスの一つでもあるのだが(苦笑)、自分の友達が1日に100人とか120人とかと新たに友達になったというお知らせが連日来ることがある。こうなるともう、私にとっては意味不明になってしまう。
すごいなと思って、そういう人に聞いて見たところ、「Facebookの友達は、まず数が大事。最初は質よりも量だ。」という答えが返ってきた。
Facebookを仕事に活用する場合はきっとそうなのだろうと、その時は納得したのだが、それから少し時間がたち、今、改めて疑問に思う。果たして本当にそうだろうか? Facebookの友達は、質より量なのか?

実際に面識もあり、その人の個性をよく知っている場合は、Facebook上の友達の数が多いことはとても大きな強みであろう。例え面識がなくても、何らかの思い入れがあるから友達になっているというケースまでならば、情報発信側にとっては、友達の数は有効だというのはわかる。しかし大勢の友達がいる人によくよく聞いてみると、実際には会ったことがない人がたくさんいると言うのだ。とりあえずどんどん友達申請をして友達を増やしている人も多いそうだ。
こうなると、友達の数は本当に大事なのだろうか?

私が長年関わる広告業界では、テレビ、新聞、雑誌、ラジオというマスメディアを扱ってきた。例えば、オールターゲットのテレビと比べ、趣味志向で読者がセグメントされる雑誌はクラスメディアと言われる。いくらテレビの広告費が高額だと言っても、情報到達の一人当たりのコストは圧倒的にテレビが安い。しかし、知って欲しい人に情報が届いているかどうかで考えれば、1人当たりの広告費が高額な雑誌の方がはるかに確実だ。情報が例え届いたとしても、実際に相手に記憶してもらえたか、理解してもらえたかとなると、もはや内容次第になっていく。だから情報内容を理解してもらうための一人当たりのコストで考えると、一概には言えない難しさがある。

さて、Facebookはそういうマスメディアとは異なり、自分が知っている(または思い入れのある)人からの情報だからこその価値がある。友達からの情報だから聞きたくなるのだ。理解したくなるのだ。
「だれ」が「なに」を言うか?
情報はこれが全てだ。「@@さんが言うことなら」・・・ここがFacebookの面白いところだと思う。
しかし、その「だれ」に価値がなくなれば、結局はそんな情報は価値を持たない。
数で勝負するのであれば、Facebookでいくら数を増やしたところでマスメディアにはかなわない。

先日20代の男女数人と飲みに行ったとき、「Facebookの友達の数なんて増やそうと思えばどうとでもできる。ウソばかりだから信用ならない」と言う女子がいた。

どんなサービスもそうだが、Facebookも普及していく中で、消費者はその使い方や見方をどんどん学習していくことだろう。物事の表層だけでなく真実を捉えるようになり、それに伴ってウラのウラまで見えてくる。
新たにGoogleプラスも普及し始めた今、この手のコミュニケーションのしかたも新しいフェーズに入ったような気がする。

2011年10月13日

お客様の期待に応えるのではなく・・・

顧客のニーズにどう応えるか----------
よく言われる言葉だ。
私自身も、いつもそれを頭に置いて仕事をしてきたつもりだ。期待にしっかり応えようと。
けれども、私が愛読するブランディング・コンサルタントが発行するメルマガの言葉には、まいった。

以下引用
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自分の仕事を見直すというのは、結局は「お客様の期待を上回るには?」を再考することかもしれません。「お客様の期待に応える」ではないのです。
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(引用終わり)

このコンサルタントは、定期的に私に勇気を与えてくれる、[前にも書いたコンサルタント。
かつて私がコンサルタントを信用していなかった頃に、コンサルタントの価値に対して開眼(笑)させた人だ。

その昔、会社員時代は、多少無駄な仕事であったとしてもいろいろやってあげたくなるお節介な性分が、意外とお客さまからは喜ばれていた。その分、協力スタッフには随分無理を言ってきたこともあるが、顧客に喜んでもらえたり、結果として売上が伸びたりすることで賛同は得られてきたと思う(思いたい・苦笑)。
しかし独立してまだ組織もなく仕事をしている私は、なかなかそんな無理はきかない。
最近の私は、もともと過密な仕事があることに加え、自分ではコントロールできない大幅なスケジュール変更や、新たな仕事のスタートなどが次々と訪れ、一度に多くのことを同時並行しなくてはならない状況が続いている。忙しさに追われていると、なかなか「そこまでやるか!」というレベルの仕事まではどうしてもできなくなりがちだ。
しかし、「そこまでやるか!」レベルの仕事をしてもらうときの満足感、感謝の気持ちは、とても大きいものになるのは、受け手の立場で考えれば誰もが経験したことがあるだろう。
改めて、「あんなに忙しくても、ここまでやるか!」と言わせるくらいのことをやってやろうじゃないの!と思い直し、今日も奮起して働こうと思う。

2011年10月8日

世に広めたい・・・Jobsの訃報で思ったこと

10月5日、Appleの会長、Steve Jobsが亡くなった。
これだけの実績、これだけの名言、これだけのこれだけの変革をやってきた人は、ちょっといないだろう。
私の周りにはAppleの熱烈なファンが多く存在する。
デザインがいいから、操作性がいいから、、、Windowsは嫌いだから(笑)、、、
どれもわかるけれど、選択購入するかと言えば、私自身は微妙なところだ。そこまでAppleの熱烈なファンではない。けれども、気づけば随分前からiPodを使い、今この原稿もiPadで書いている。私にとってAppleは自然に生活のなかに入っている。
Docomoを使っているけどiPhoneが欲しいと言って、携帯電話であるはずのiPhoneなのに、両方持つ人は少なくない。

最後に見たプレゼンテーションの時の彼の映像。
さすがに痩せ細った体は、見ている方もつらかった。
これだけの実績、これだけの名言、これだけのこれだけの変革をやってきた人。。。
その功績の大きさに、メディアは改めてJobsの価値を取り上げ、元々のカリスマはさらなるカリスマへと引き上げられていきそうだ。
確かにAppleの製品はすばらしいものではあるが、でも私がJobsが好きなのは、むしろ彼の生き方と思考スタイルだ。
「今日が人生最後の1日だとしたらどう生きるか?」
「世の中の起業家は、起業が目的ではなく、アイデアを世に広めたいだけ」
なんて素敵な思考だろう。
だからAppleは魅力的なのだ、と思わせてくれる言葉だ。

ジョブズを目指すとか目標にするなどは、あまりにも恐れ多いが、それでもこういう気持ちで生きていきたいと思うし、私の仕事でも「私がいいと思うことを他の人にもただ知ってほしいだけ」という思いを持ってずっと続けていきたいものだと改めて思う。

ご冥福をお祈りします。

2011年10月3日

情報弱者

Twitterなどのつぶやきで最近よく目にする情弱。
最近の言葉に疎い私は、「情弱って何?」と思っていたが、「情報弱者」のことらしい。

ある人のブログでは、こんな一文が書かれていた。
--------
このご時世にスマートフォンを持ってないとか、SNSを使っていないとか、クラウドとか使っていない、あるいはまったく使いこなせていないというのは実に滑稽な姿ですよね。
ガラケー(笑)とかマスメディア(笑)とかに依存してて、最新の情報デバイスを使いこなせていない上に、一方方向的なメディアの情報を鵜呑みにして旧態依然的な価値観で生きてる高年齢者層って見ているだけで笑えちゃいますよね(笑)
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高年齢層という点ではやや戸惑いがるものの、それ、私のことです、ハイ。
上記抜粋では、旧態依然的な価値観で生きている層に対して相当手厳しく冷たいコメントではあるが、このブログの文章を最後まで読むと、そう冷たい発言ではないので、ここだけの抜粋では危険ではあるのだが、それにしても、社会的にそういう目で見られている一面があることは否定できないだろうと思う。
「情報格差」が言われるようになって、約10年。情報量の差は、技術を使いこなせるかどうかの能力差とも言え(必ずしもそれだけではないが)、10年前から比べれば格段の技術革新があるなかで、その能力差は拡がるばかりだ。
実際、マスメディア発の情報が1方向だけであった事例を知ると、「情弱」のせいなのかもしれないと思ってしまうことも否定できない。インターネット上で調べれば、すぐに反論や別の見方が見つかったりすることもあるからだ。
けれども、「情弱」な私から見れば、「滑稽」とまで言わしめる価値観に対しては、少々気分がよろしくない。情報格差は、経済的な格差につながりかねないことから社会問題にまでなっているのは充分うなづけるものの、感覚的な「差別」意識へとつながる怖さが潜んではいないだろうか、とふと思ってしまう。これが、被害妄想にすぎないと笑い飛ばしてもらえればいいのだけど。。。。

2011年9月26日

仕事観の共有

つい先日、私はブランド経営コンサルタントに、パーソナルセッションを受けてきた。自分の仕事の進め方に迷いが出たからだ。
1時間程度のセッションではあったが、仕事への勇気や気力、希望を得て帰ってきた。
人は皆、仕事をしている中で、自分自身のモチベーションが落ちた時、判断で迷った時、どうやってそれを乗り越えていくのだろう。
私の場合は、そのコンサルタントの存在が意外にも大きなものになっているようだ。
その人が私の思考を整理したり、気づかない視点を示したり、軌道修正をかけたりした上で、「あなたなら大丈夫」と背中を押してくれるような気がするからだ。
実はそのコンサルタントとは、私は今までに一度も一緒に仕事をしたこともないし、もちろん友人でもない。出会ったのは今から5年以上も前で、まだ私がサラリーマン時代に出席した戦略的パブリシティについてのセミナーに参加した時のことで、その人はその講師だったというだけだ。それをきっかけに彼が発行するメルマガを読み始めただけだ。会社員時代から今までの仕事人生の中で、私が出会った人の数は何千人にもなるにもかかわらず、だ。
そもそも私は、かつてコンサルタントという肩書きの人をあまり信用してはいなかった。コンサルタントが何をやっているのかがよくわからなかったこともあるし、私の知っていたコンサルタントの名刺を持つ多くの人が、どうにも怪しいと思っていたからでもある。
それなのになぜその人なのか?
それは、仕事観みたいなところにあるように思う。
そのコンサルタントは、ブランドの差別化を考えるときに、「品質・価格軸」から「あり方・生き様軸」に発想の転換を図ることを提唱している。それは、一朝一夕では作れるものではないし、信念なしに作ったものはすぐに見破られてしまうものだ。そこに、私は大いに共感するのだ。
それは、私にとって、その商品で何を目指すのか?何のためにその仕事をするのか?、というところに行きつく。売上や利益の確保、安定経営といった当たり前のことではなく、もっと普遍的な意味、信念とか情熱だ。
いいモノであるだけでは顧客は継続的にはついてはこない。
仕事は、生活する(お金を稼ぐ)ためにすることは間違いないものの、私はそれだけでは長く働き続けることはできない。売上・利益が安定的に確保されないと経営が立ち行かないのは確かではあるが、それだけでは人は継続的についてはこないし、気持ちが摩耗してしまうと思うのだ。
そういう基本的なスタンス、姿勢を共感できるかどうかで、信頼度に変化が出るのではないかと感じている。逆もしかりで、私とは異なるスタンスの人は、私と仕事することは大きなストレスになるに違いない。だから、私は仕事をするのならできるだけそういう姿勢を共有できる人としたいと思うし、これから新たに仕事をする相手は、与信と同等以上にそれを大事にしたいと考えている。
では、私が何のために働くのかと言えば…、それはやっぱりあまりにも青臭くて、ウェットで、理想論と言われると恥ずかしいので、ここでは書かないことにする。

2011年9月20日

Facebookはコミュニケーションの入口?

以前私は、Facebookが少し不気味だと書いた。これに対して、すごくわかるという人がいる一方で、とても大事だという人がいる。物事にはオモテとウラ、いいことと悪いことがあるのは、当り前ではあるが、どうやら今は、Facebookはコミュニケーションスキルを補うツールという側面があるようだ。

訪問営業をする人が、営業先で先方に会えずに名刺だけを置いて帰ることはよくあることだ。その際に、名刺にFacebookのアドレスを書いて置くと、その後の営業につながるケースが高くなるという。面会できなくても、あとからFacebook上のプロフィールを見てもらえることがあり、そこで共通項を発見して距離感が縮まるというのである。出身校や出身地は同じだと急速に距離感が縮まることは誰にも経験のあることだろう。
私個人の感覚では、Facebook上の個人情報は、本来互いの距離感を測りながら会話の中からわかっていき、そのプロセスの中でさまざまな共通項を探していくもので、人間関係はそうやって少しづつ距離感を縮めていくはずのものだと考えていた。けれども、今の時代はそうではなさそうだ。コミュニケーションの入口を簡略化することができるツールなのだ。
会社の中では隣りの席の人ともメールで連絡し、挨拶がきちんとできない人が増えている今、最初の挨拶やどういう人なのかを探るのは、Facebookから、ということなのだろうか。
私にとっては不気味だったり気持ちが悪かったりすることは、そういう人たちにとってはコミュニケーションのためのひとつの道具なのだ。
それでも私はやっぱり気になる。そんなふうに進んでいくと、人はコミュニケーション能力がどんどん退化していってしまうのではないだろうか。大昔、ネットもなくメールもなかった時代、コミュニケーションが手紙や電話以外には対面しかなかった頃には、「コミュニケーションスキル」などという言葉はなかったように思う。口下手とか、話し上手聞き上手などと言われることはあっても、日々のコミュニケーションはリアルのみだったから、そんなことを敢えて言うことはなかったのかもしれない。
コミュニケーション能力がどんどん退化していけばいくほど、コミュニケーションの重要性が言われるようになり、その能力を磨くことに価値が出てくるように思え、そう考えると何とも皮肉な話だ。

2011年9月12日

結局は人間関係

私が長年勤務した会社を辞めた頃は、今に比べればまだまだ景気のいい時代だった。今や大混雑のハローワークはまだ空いていて、求人が求職を上回っていた。その昔は不親切と言われたハローワークは、時代の流れのせいかとても丁寧な対応をしてくれていた。そのハローワークでは、求職者のためにスキルを学ぶための機会をいろいろ提供しており、私は独立開業前に、そこで3カ月でMBAエッセンスを学ぶ「ビジネスプランナー」コース入学の機会を得た。そこでの学びは、勤務期間の集大成とも言え、会社で実践してきたことが理論的に検証された3カ月、とても有意義なものだった。そのコースが終了した2008年9月に私は個人事業主としてスタートしたのだが、リーマンショックはその直後だった。先日、その仲間たちと久々のOB会があった。
約30人のクラスメイトだったが、当日集まれたのはそのうちの1/3に満たなかった。ハローワークが用意した学びの場なので、クラスメイトは、その当時みな失業中。次の仕事に向けて学ぶ仲間だっただけに、リーマンショックの影響は大きかったのは間違いない。次の仕事をみつけるのに苦労した人も少なくない。
そういう中で、卒業後起業した仲間が数人いる。
そのうちの一人は、リーマンショックと起業のタイミングが重なり、それなりに苦労したようだが、その後成長し既に黒字化した。IT系の半導体関連ライセンス販売コンサルティング等を業務としているが、会社の成長を支えたのは人間関係だと言う。IT系とは言え、やはり信頼できる人の紹介、人とのつながりなどが成長に大きく寄与したという。
卒業後すぐに数人の支援者をバックにベンチャーとしてスタートした別の一人は、強烈なキャラクターの持ち主で、そのクラスで勉強中には、発言も異彩を放ち、積極的でとても熱心だった。彼がスタートしたベンチャーがその後どういうプロセスを踏んだのかは知らないが、今彼は、某大手で取締役として多忙のようだ。その企業のトップが彼に惚れこみ、彼もそのトップに惚れこんだ結果、そういうことになったという。これも人間関係の結果だ。
結局は人間関係。結局は人間力・・・そんなことを思うのだ。
学ぶこと、考えることはもちろん大切だ。それを形にして行く努力や気力や推進力といったエネルギーももちろん大切だ。しかし、それを発揮するために必要なのは、人間関係や人間力であり、それが力を2倍、3倍にするのだと思う。
彼らのそういう近況を聞きながら、私はかつての学びを思いだし、改めて人間力を磨かなくてはと、自らを引き締めている。

2011年9月5日

「人」対「人」のコミュニケーション

平日の百貨店は毎日ガラガラだ。
かつて朝10時前になると百貨店の入口には開店を待つ多くの人が群がっていたものだ。しかし、ここ1年はそういう景色を見ることはほとんどない。地下の食品売り場以外は、平日など夕方までの1日中、店内はガラガラだ。わずかの人しか見かけない。買い物をする側としては、のびのびと買い物ができて快適ではあるものの、かつての活況を知る私としては、やや不気味ですらある。
私自身も、今やほとんど百貨店でモノを買わなくなった。本も音楽も洋服も家具も電化製品も、ほとんどWeb上で購入している。リアルな店は、ユニクロや100円ショップなど、安売り系店舗だけだ。百貨店に行くのは、地下の食料品売り場、手土産のお菓子購入、カフェの利用、そしてプレゼント購入の時くらいになってしまった。あとは、実際の商品を、買うのではなく見に行くために百貨店に行くのだ。
こんな状態では百貨店という業態自体、もたないだろうことは容易に想像できる。百貨店という業態自体がもはや社会に合わなくなっているのかもしれない。ネット系流通業の隆盛ぶりをみると、顧客がWeb系流通に流れているのは一目瞭然だ。
そんな風に思っていたら、私の学生時代の女友だちが、メイクのアドバイスを受けたり相談をするために友だちと連れ立って百貨店の化粧品売場に行くという楽しげな話を聞いた。
ちょうど時期を同じくして、ここ2~3年、買い物はネットショッピングしかしなかった女性が「最近はセールスマン返りしている」という話を聞いた。彼女は、どうやら熱中していたネットショッピングにそろそろ飽きてきたようだと自分自身を語った。久しぶりに、セレクトショップやブティック、百貨店で洋服を買うことの楽しさに、今、目覚めていると言う。少し前まで鬱陶しかったはずの人とのコミュニケーションが、今心地よく、楽しく感じると言うのだ。お店の人(セールスマン)にアドバイスをもらいながら、時々自分の個性を褒められたりしながらのショッピングは、まさにレジャー。ネット上の買い物とは全く違う楽しみがあると言う。
震災以降、絆の重要性が叫ばれ、かつては煩わしいと思われていた「人との関係」を再認識したり、人のナマの声や言葉を心地よく感じる流れがあることは確かだ。この流れは今後さらに加速していくのか? それとも一過性なのか?
かつてレジャーだったはずのショッピングがレジャーではなくなり、買い物はネットで充分と私たちが感じるようになっていったことでこれまでWeb系流通業が成長してきたわけだが、振り切った振り子が戻るように、人の気持ちも戻っていくのだろうか。
私から見れば、もはや社会に合わないと思われる百貨店だが、再びお店の人とのやりとりを伴う買い物の楽しさを志向する顧客層が百貨店には戻り、増えていくのだろうか? それとも・・・。
確かに今後、百貨店業態が返り咲く日が来るかもしれない。しかし、それは今すぐというわけではなさそうだ。そういう気持ちが戻ってくるまでの時間を待つ体力が、今の百貨店には残っているだろうか。残っているところしかその日を待つことはできない。もしくは振り子が戻る回顧などせずに、新しい業態開発に向かっていくのか。
震災をきっかけに、ヒューマンコミュニケーションが再認識され、そういうものを求める心が広がっていることは間違いない。が、それは必ずしも「人」対「人」であるかどうかは、まだ答えは出ない。

2011年8月29日

夢はなんですか?

NHKの朝のドラマ「おひさま」。私は個人的にすっかりはまってしまい、今やこれを見ないと1日が始まらなくなってしまった。実際、視聴率自体も健闘しているようだ。
視聴者の私にとっては、ドラマで描かれていた市民にとっての戦争と、今年3月の東日本大震災が重なり、またドラマの時代当時はまだ珍しい働く女性の先駆けでもある主人公の思いと、自分の仕事観を重ねてみたりする中で、いつしか離れられなくなったように思う。タイトルにもしたが、第21週に出てきた言葉、「夢はなんですか?」。まさしく最近、私が気にしていることだ。
貧しい時も豊かな時も、苦しい時も楽しい時も、夢を考えている人といない人…。夢を持っている人といない人…。
生きる上で、まず衣食住に不自由しているときは、本来なら夢など考える余裕もなく、日々の暮らしに手いっぱいなはず。夢を語るなど、豊かな証しなのかもしれない。しかし、豊かであっても、今楽しくあったとしても、やはり夢を考え、夢を追う人は、私から見るととても魅力的だ。それはきっと、夢を持っている人の強さのせいだと思う。夢があるから頑張れる、夢があるからくじけない、夢があるからやさしくなれる・・・。わ仕事でも、家族のことであっても、あるいは趣味の世界であったとしても、どんな夢でもいい。
だから私自身も、改めて自らに問うのだ。「夢はなんですか?」と。
この朝ドラが堅調なのも、こういうセリフ一つ一つが、視聴者の胸に刺さっているのかもしれない。
そう言えば、この朝ドラの中で主人公の祖母役の渡辺美佐子さんが、次のようなニュアンスのセリフを語ったことがある。無理や我慢をしないとシャンとしない。シャンとするために無理や我慢をすることがある。自分は人に甘えるのではなく、甘えられる人間でいたい…というようなニュアンスのセリフを語ったことがある。このセリフ、私にとっては忘れられない言葉の一つで、「夢はなんですか?」と自らに問うとき、その言葉が思い出されるのである。
「おひさま」最終回まであと少し。私は、益々ドラマに夢中になっている一視聴者である。

2011年8月22日

Facebookは少し不気味…

2011年1月の映画公開とともに、日本でも急速に広がったFacebook。
実名登録が基本だし、意外と浸透しないのではと思っていたが、そうでもなかった。プライバシーリスクをどう守るかが難しいはずだが、意外にもそのリスクや問題点を叫ぶ人も、そう多くはない。多少、ゲームなどに誤ってアクセスするなどの詐欺などが出てきたりするが、警鐘を鳴らすのは、かなり前の記事であることが多い。
けれども、私自身が感じているのは、日本独特の「見ぬもの清し」という概念・価値観は、どうなってしまうのだろうということだ。
例えば、誰と誰がお友だちになって、誰がどこの場所でチェックインして、知り合いが発言した内容に、別の誰がどんなコメントを寄せて・・・。しかも、見たい人が見に行くことで知るのではなく、そういうことをご丁寧にFacebookがメールでお知らせしてくれたりすらするのだ。
リアルに話をしながら、偶然、知り合いの知り合いは、自分の知り合いだったとわかることは感動ものだが、Facebookからもらうメールで知るのは、私にとっては少し不気味だ。名前を知っている程度の知り合いのことを「この人は、あなたの知り合いではありませんか?」とFacebookから言われるのも、私にはちょっと気持ちが悪い。
さらに、私の場合、仕事のおつきあいと、プライベートの友だちは、一部共通する部分もあるが、かなり明確に分かれている。実名登録のFacebookは、仕事もプライベートも同様に「お友だち」になるため、プライベートの友だちにどんな仕事をしているかが見えるし、仕事関係の知り合いにはプライベートでどんな風に遊んでいるかが見える。これも、私にとってはかなり不思議な感覚だ。
中には知られたくない情報もあるのではないか? 余計なことを知ることで人間関係に疑心暗鬼になる人がいるのではないか? こういう風に思うのは、古臭い人間の感じ方なのだろうか。
世の中には、知らない方が幸せなこともあるだろう。
Facebookを見ながら、無用な情報提供でストレスが高まる人が増えるような気がしてと余計な心配をしながら、一方でそんなことを思うなら私もやめればいいのに…とも思いながら、それでも私はやっぱりやめることまではできずに、私はこれからどうやってFacebookとつきあっていけばいいのだろうと、日々考えている。

2011年8月15日

「がんばろう、日本」は継続中

今年は、いろいろな業界で震災や原発事故のさまざまな影響が出ている。
私も関わっていた水産関係の実用書は、東北から東関東の取材先が被災したことや、復興途上であることをふまえ、当初予定だった発行時期を延期することになった。
水産関係の皆さんとお話をすると、当然ながら、震災の影響は地域によって違いがある。沖縄の水産加工会社さんは、震災が書籍の発売時期に影響することを知って、あらためて、震災の大きさを再認識したとおっしゃった。
けれども、その沖縄の水産加工業者さんは、別の形で被害を受けておられた。
それは、震災以降、沖縄への修学旅行が軒並みキャンセルとなったこと、沖縄を訪れる観光客数が激減したことで、沖縄土産や外食など、観光客に依存していた売上は少なくなかったため、その結果、例年の30%程度まで売上が落ち込んだとのことだった。
沖縄では、土産品販売業やホテル業などのように直接的被害を被った業種にとどまらず、東北向けの菊を栽培していた農家なども出荷の目処が立たないために、全て廃棄処分にせざるをえなくなる等、さまざまな分野で大きな影響があったそうで、自分たちも頑張らなくては!と思っているとのことだった。
最近は、関東の海水浴客もだいぶ戻り、12日は海外旅行の出国ラッシュピークになるなど、少しづつ消費も戻りつつあるようだが、それでも被災地はもちろん、それ以外の地域も、いろいろな影響があったのは間違いない。
震災から5カ月がたち、人の記憶や話題から少しづつ震災が薄れつつあるが、時がたったからこそ、ますます「がんばろう、日本」を心に刻みながら、私自身も頑張って行きたいと思う。

2011年8月8日

クールビズのカジュアル化はどう変わるのか?

その昔、「省エネルック」と言われる半袖のスーツが登場した。国をあげての大々的なPR だったが、そのファッション性はかなり「?」で、全く国民の賛同を得られず、定着するはずもなかった。
あれから10年以上がたち、今度は「クールビズ」と呼ばれてじわじわと浸透しつつあったところ、今年は節電事情も加わり、一気に一般化した。6月からの大変な暑さの中、通勤時間帯の電車内でネクタイを見ることはほとんどなくなった。7月に入ったらまったく見なくなった。通勤するサラリーマンの服装は、単にジャケットなしのビジネスシャツとビジネスズボンという出で立ちの人は少ない。上はポロシャツなど、、下はコッパンなど、実にカジュアルだ。7月に入って「クールビズ」や「スーパークールビズ」のことがしばしばニュースになった影響も大きいのだろう。
実際、クールビズ需要がそれなりに伸長したのは確かだが、一方で紳士服業界では、6月に夏物スーツの不振にあえいでいるという話も聞いている。
60歳手前の、おそらく会社では上のポジションにおられるであろう人が、ポロシャツにコッパンで、トートバッグを肩から提げて通勤している様子を日常的に目にすると、果たして秋が来た時に、どうなっているのだろうと思ってしまう。カジュアルな服装は、楽ちんだし、肩がこることもない。そういう楽な形に慣れた私たちは、再び前と同じようにきちっとした形に戻れるのだろうか?
秋を超えれば寒い冬になる。今年は節電でウォームビズだ。セーターやニットなどカジュアルなものが次々出てくるだろう。一部の人を除いて、全体的にカジュアルな服装への流れが始まっているのかもしれない。仮にそうだとしたら、紳士服業界のスーツ不振は、この夏だけの話ではとどまらなくなる。

2011年8月2日

調査設計も顧客目線で

ある会社が商品の定期点検に我が家を訪れると言う。休日をつぶしたくなかったので、仕事をやりくりして在宅待機し、定期点検に立ち合うことになった。
定期点検は約20~30分。点検の結果、何も問題はなかった。点検に来てくれた人はとても丁寧に見てくれたことに加え、商品内容についても、改めてかなり詳しく説明してくれた。けれどもその内容は、私にとっては重々承知している内容だった。私自身はその商品について比較的詳しかったからだ。時間をやりくりしていた私にとっては、そんあことより早く終わらないかなあ、と気持ちが大きかったのも事実だ。
その後2週間ほどたって、顧客満足向上のためのアンケートが郵送で届いた。アンケートは比較的ボリュームがあり、あらかじめ謝礼が同封されていた。
そのアンケート内容は、点検マンに失礼がなかったか、感じがよかったか、わかりやすかったか、有益な情報が提供されたか、等々の設問だ。それぞれについて、点数で評価するというものだった。この結果が、点検に来た人の評価につながるのかもしれないし、今後の点検を担当する人への教育に生かそうというものであることは一目瞭然だった。
しかし、その設問の仕方は、いかにも回答を社内で整理しやすいようにつくられたもののようで、とても答えにくいものだった。点数評価ではあるものの、いいか悪いかが点数化されており、その点数には「普通」とか「どちらとも言えない」という内容は点数化されていなかった。
私は、点検項目や点検方法、立ち合いの仕方等についての設問があればいろいろ言いたいことがあった。事前に多少情報交換できればお互いに無駄な時間を排除でき、よりよい点検ができるであろうにとも思った。そういうことをできればそのアンケートを通じて伝えたかったが、そういうことを回答できる設問はなかった。
例えば、「有益な情報が得られたか?」という設問があった。「とても得られた、やや得られた、あまり得られなかった、得られなかった」で回答するのだが、これには本当に困ってしまった。なぜなら、私はその時、商品について詳しい内容を説明してもらうよりも、早く点検が終わってほしいと思っていたわけで、どんなに説明をしても有益とは受け取りにくい。けれども、もしここで「得られなかった」と回答すると、ますますいろいろ説明しようとその企業が頑張ることに加担することになるかもしれない・・・と思ったのだ。そういう状況の私への、必要以上の情報提供は、うっとおしくなってしまう側面をはらむ。
そのアンケートの設計は、やはりずさんだと言わざるを得ない。
蛇足だが、とても残念なことに、このアンケートが来たことで、私にとってその企業への信頼性は少し低くなってしまった。さらに、点検に来てくれた人への忘れていたもやもやとした不満が、改めて明確になってしまった。ほんの少しだが、こんな点検があるくらいなら、面倒だからその商品は今後ご遠慮したいという気持ちがちらりとかすめるくらいだ(いい商品なので、そういうことはないが)
調査の設計とは難しい。顧客目線で設計しないと、本当に得たい情報は何も得られないアンケートになってしまうことになる。さらに、よりよくするためのステップが、逆に顧客離れを起こすかもしれない、ということを、私は一顧客として痛感したのだった。

2011年7月26日

震災影響の無念

SNSと言えば今はFacebook花盛りだが、ちょっと前まではmixiが中心だった。5年くらい前になるだろうか?
友だちからの招待がないと入れないこと、自分の趣味の世界がどんどん広がり人とつながっていくこと、リアルな知り合いとはつながりがどんどん強固になっていくこと、などが大きな魅力だったのだと思う。当時、mixiは急成長中だったし、私もmixi中毒とも言える状態で、毎晩夜更けまでmixi漬けだった。その後、多少の弊害が出始めたり、だんだん飽きてきたりして、mixiから離れ始め、今ではmixiは趣味など仕事以外の連絡手段として使うようになった。
mixiの中心顧客は私よりずっと下の世代ではあるが、それでも私がそういう状況だから、当然ながらmixiも顧客離れに必死だ。ユニークな機能を新設したり、告知したりしている。
7月20日、そのmixiからユーザー宛てに、メールが届いた。

 3月10日よりテレビCMの放送を開始しておりましたが、
 東北地方太平洋沖地震により3月下旬から4月にかけて
 非常時のご利用に関する内容に急遽変更いたしました。
 当初放送を予定していたCMはこちらでご覧いただけます。
 http://mixi.jp/redirector.pl?id=4188

早速見たところ、おもしろいCMだった。
本来、mixiを知らない人や利用していない人に知らしめたかったはずのmixiのおもしろい機能の数々。もちろん、それだけでなく、既存顧客にmixiのよさを改めて再認識してもらうためのCMでもあったと思う。
震災の影響は計り知れない。それでもmixiは顧客との直接の接点があるから、少なくとも既存顧客にはこうして知らせることができたが、そういうこともできずにお蔵入りになったCMが、世の中にはいったいどれくらいあるのだろう? 広告主はもちろん大損害だが、顧客もそういう情報を知る機会を失ったことになる。そしてそのCM製作に携わった人々の気持ちを考えると、そこにもたくさんの無念が存在する。
震災被害から見ればそんなこと・・・・というご批判をいただきそうだが、「○○に比べたら…」ではなく、やはり私は無念を抱える多方面の皆さんに、必ず次の機会があることを願ってやまない。

2011年7月21日

現場とシステムの乖離

私が普段利用する金融機関は都市銀行が中心だが、ちょうど郵便局に行く用事があったので、ついでに通帳記帳をしようと郵便局のATMを利用した。2冊の通帳のうち、1冊(定期)を入れたところ「この通帳はお取り扱いできません。営業時間内に窓口に・・・」という表示が出た。少し混んでいたのだが、郵便局にはあまり行かないし、営業時間内だったこともあり、そのまま窓口で待つことにした。
店内には、年老いたおばあちゃんが車椅子で待っていた。その近くの窓口では、お客さんが不満を訴えていた。どうやら、そのおばあちゃんの口座のお金を動かすのに、本人確認が必要で、そのために家族がおばあちゃんを連れてきたようだった。が、その手続きが今回だけではなく今後もあるようで、おばあちゃんはいつも外出可能なほど体調がいいわけではなく、毎回おばあちゃんを連れてくるわけにはいかないからどうしたらいいかを、その人は聞いていたようだった。しかし、郵便局は委任状は半永久的に有効なわけではないこと(いつまで有効とも言えないが)、書類は本人が書かなくてはいけないこと、意志表示ができなければ医師の証明書(?)が必要なこと、などを丁寧に説明していたが、それらはどう考えても現実的ではなさそうだった。お客さんも、じゃあ認知症だったらどうなるのか?脳梗塞になれば代理人でもいいのか?などと食い下がっていた。おばあちゃんは多少認知症になりかかっていて、体調もよかったり悪かったりを繰り返す状況らしかった。例えおばあちゃんが意思表示できたとしても、日によって状況も違うことや事情を説明して、その人がお医者さんに診断書を書いてもらうなどできないこともないだろうが、そのお客さんはまじめそうでそういう発想はなさそうだった。郵便局側も、窓口担当の人はかなり丁寧に対応しているものの、ルールだからどうしようもない、という様子だった。
そのうち、私の順番が来た。窓口が言うには、通帳に記帳すべき内容はないそうで問題ないとのこと。システム上、そういう表示が出てしまう、申し訳ないが気にしないでと。これだけを聞くために、私は30分以上待っていたのだ。「記帳はありません」と表示されさえすれば、何も問題はなかったのだ。「営業時間内に窓口へ」とあれば、窓口に行かねばなるまい。
おばあちゃんを連れて問い合わせしていたお客さんの件も、私の件も、窓口の担当は実に気の毒だ。システムやルールが現場に合っていないため、顧客に不愉快な思いをさせてしまうのだ。私の場合は大した問題ではないが、それでもやはり不愉快である。振り込め詐欺など事件が多いだけに、金融機関の臨機応変な対応が難しいのは理解できるが、あまりに杓子定規だ。現実に即していないルールは、現場で混乱を生むし、顧客も離れていくだろう。
私自身も、都市銀行だったらこんなことはないように思ってしまった。「だから郵便局は嫌だ!」と。郵政民営化とは言え、まだまだ民間企業並みのサービスには程遠いようにも思う。
しかし、金融業界に限らず、どこの業界であったとしても、現場に即していないルールやシステムは、顧客離れにつながるし、命取りにつながると感じさせられる出来事だった。

2011年7月15日

お中元で被災地支援

私が関わっている会社に届いたお中元のおすそわけをいただいた。そのお中元は宮城銘菓の「萩の月」。
その送り主は、毎年必ず社名にちなんだものをお中元に送っているのだが、今年は被災地支援の考え方で「萩の月」にしたと言う。
こういうギフトは、お相伴にあずかる者としても、とても気持ちがよい。
もともと「萩の月」は、全国に知られるほどの宮城県の銘菓だ。おいしいこともあり、仙台出張時にはよくリクエストされるものの一つだ。しかし、このたびの大震災では一部生産・営業停止し、ゴールデンウイークには全面復旧したものの、影響は免れないことは十分想像できる。
お中元の採用など、誰にでもできる支援の一つである。けれども、なかなか思いつかないことでもある。
私たちにこできることは?…よく言われることだが、簡単にできることでも頭を働かせないと、見逃してしまうことは少なくないにちがいない。情けないことに、私も東北の銘菓ギフトは、お相伴で初めて気づいたことのひとつだ。
私は、「萩の月」の製菓会社と所縁はないものの、冷蔵庫に冷やした「萩の月」は、まさに夏のお菓子にぴったりだと思う。

2011年7月11日

電子書籍の未来

電子書籍が話題に上るようになってから、どのくらい経つだろう。話題に上り始め頃は、まだスマートフォンが世の中に広まる前のことだ。
はじめの頃、出版業界は戦々恐々としていたように思う。まるで黒船襲来のように。一方で、この流れに遅れをとらないよう、各社が電子書籍への取組みを始めた時期でもある。
読者の立場でも、紙とちがうさまざまな価値を期待し、社会は電子書籍に注目した。
そして現在。
電子書籍は思ったようには普及していない。
私自身も、かなり注目していたわりには1冊しか持っていない。例え欲しくても、電子版が出ていなかったり、探すのが大変だったり、買い方がわからなかったりするからだ。
電子版と紙版-そもそも本来は作り方も、売り方も、仕組みや考え方が違う。
旧来の紙の本・雑誌は、書店で購入できるし、例えなくても取り寄せもできる。書店は年々数が減っているとはいえ、全国にその数、2010年の数字で15,519店。2000年に約22,000軒あったことを考えれば、かなり減ってはいるが、それでも大変な流通網だ。書店流通で長年展開してきた出版社にとっては、この流通網を大事にしなくてはならない事情もある。しかし、再販制度がとられる出版業界では、売れなければ返本されるし、昔ほど本が売れない今、次々と新刊本を出さなくてはならない宿命を抱えている。特に大手の出版社は長年の蓄積がある。
大手出版社の場合は、外部編集スタッフとの共同作業が多い。そのような本や雑誌の編集に関わるプロダクションの立場で見ると、出版社から支払われるコストは年々下がり、かつての3割程度にまで落ちているケースもある。そのため、編集プロダクションとしては、数をこなさなくては事業が継続できないし、必要以上に手をかけられなくもなっている。しかも編集プロダクションは紙の本を作ることを主体としてきているので、紙の本の前にまずは電子書籍からスタート、という取り組みはなかなか対応しにくい。
そうは言っても、超安価な電子書籍も多種出回ってはいる。これらは大手出版社ではなく、電子書籍専門出版社等で出していることが多い。紙の本は出ておらず、電子書籍のみの発行が多いことも特徴のひとつだ。種類は多いが、各々の部数はそう多くなく、著者も著名人でない人が多い。ほとんどは売場はWeb上で、リアル店舗を持たない。電子書籍の場合は、流通コストや印刷コストがかからない分、出版されにくいものハードルが低く、出版されやすい。電子書籍の場合、著者に入る印税の割合も、紙の本よりもはるかに大きいので、著者にとっては魅力もある。出版社にとっては、コストをかけずに紙の本を発行するかどうか判断する前に様子を見ることができるメリットもあるだろう。
さて読者はと言えば、電子書籍に対して、紙の本とは異なる価値を期待しがちだ。紙の本ではなかなか再現できない、Webサイトや携帯で慣れ親しんだデジタルの世界に近いものをイメージするからだ。しかも、紙の本よりも安価を期待する向きも否定できない。
けれども現実の電子書籍は、Webのような世界もないことはないが、紙の本をそのままPDF化したようなものが多い。価格も、大手出版社で出している電子書籍の場合は、紙の本とそう大差はない。実際に紙の本を発行している出版社は、そのままデータで販売すれば電子書籍になる。デジタル世界用に新たに手をかけることはコストも手間も大変だが、そのままデータ化するなら可能なので、そういう形になっていくのだろう。
実際、Webのような世界を再現する電子書籍を発行しようとしたら、紙のスタッフで進める編集作業では、技術も手間もコストも成立しなくなってしまう。
音楽がレコード→CD→データ(MP3)と変化していったように、「本」の世界も変化していくだろうか。
出版社が考える電子書籍、読者(消費者)が期待する電子書籍、著者が期待する電子書籍、みんなの思惑はそれぞれ違う。編集・制作側、出版社側、流通、そして読者-それぞれの立場で見ると、今の状況ではかみ合いにくくなっている。市場としての大きく成長しづらいのも、このあたりにあるのだろうと思う。が、それが必ずしも読者のニーズには合わないのだろう。小説など、テキストが命のものなら、紙の本をそのままPDF化したような電子書籍は成立するだろうが、雑誌や実用書など、写真や図解を多用したり、より深い情報まで欲しくなってしまうようなものは、読者から見るとPDFだけでは物足りなさが残り、電子書籍ならではの展開を期待してしまうことも否めない気がする。
電子書籍の未来は、どうなっていくのか? どこの事情が優先されるのか、もう少し時がたつと答えが出てくるのだろうか。

2011年7月4日

厳しいからこそ!・・・節電だから盛り上がること

7月から本格的節電がスタートした。
節電だから産業界が縮小するなどとあちこちで言われているし、経済への影響は図りしれないとは思うが、節電だからこそ生まれる(盛り上がれる)需要を作ることもできる。
東京都内の自治体では、冷房の効いた集会所を「街なか避暑地」と名付け、多くの人に涼みに来てもらうことで家庭の消費電力を抑える取り組みを始めている。単純に、暑い時間に自宅にいないで公民館や図書館などに集おうというものなのだが、節電につながることはもちろん、都会で不足がちな近隣同士のコミュニケーションを深める効果も期待できる。新たな投資も不要だし、社会にとってもいい提案だと思っていたところ、それをさらに発展させて、新たな需要を生もうと言う企業の取り組みも始まった。
誰かの家(イエ)に集まって、仲間たちと一緒に楽しく過ごすことを提唱している「イエ会プロジェクト」。無料のメーリングリストサービス「らくらく連絡網」事業を手がけるイオレが実施している。
家に人が集まると楽しい、仲間と過ごす時間は楽しい、だから家に仲間を呼んで楽しく過ごそう、という提案だ。プロジェクトには企業の協賛もついている。
第1段は「がんばれニッポン!応援団!」。今、ひとりでいるよりも誰かと一緒にいることが安心できるし、楽しいし、それが日本を元気にすることにつながる、ということに加えて、誰かを応援しようという考え方だ。東日本大震災以降、絆の重要性が叫ばれているからこそ、今、大きな共感を得ることだろう。現在500万近いユーザーを抱える「らくらく連絡網」にとっては、さらなるサービスの認知向上や普及拡大にも寄与する。
最近増えているシェアハウス。私の知人は普通のシェアハウスをさらに1歩進めて、同居している者同士、互いに夢を語ったり悩みを聞き合ったり励ましあったりしながら、一緒に歩いていこうという考えを具現化したレイアウトのシェアハウスを今年はじめにスタートした。当初は入居者がなかなか決まらなかったが、震災以降に一気に入居希望が増えたと言う。やはり、「ひとり」でいることの不安や、絆を求める気持ちが高まっていることがわかる。
節電だからこそ始まる「イエ会プロジェクト」は、そういう社会の背景が後押ししている。節電など、経済界にとって厳しいことも、企画次第で新しい需要を生む。しかももっと「幸せ」になるための方向で。「街なか避暑地」は家にいる主婦を対象に、「イエ会プロジェクト」は若者を対象にした取り組みではあるが、他のターゲットでも新しい需要が生まれそうな予感がする。シチュエーションを変えるなど、次々に市場は作れそうだ。苦難や苦境があるからこそ、人は智恵を絞る。苦境や苦難は新しい商売を生むためのチャンスでもあるのだ。

2011年6月24日

東日本大震災の時には、多くのメーカー工場が被災した。工場自体が破壊され、なかなか復旧がままならなかったところはもちろんだが、それ以外にも、工場は被災していなくても原材料が入手できずに製品化できなかった企業、物流が滞って工場稼働ができなかった企業、など、産業界では大きな影響があった。
今日お目にかかった方は全国に工場がある大手企業の営業さん。震災で自社工場が被災したことに加え、原材料も入手できず、素材仕入れにあたっては、海外からの供給ルート確保に奔走し大変だった会社の一つだ。たまたま見積依頼があってお目にかかったのだが、一部の原材料確保はまだまだ不安定であることがわかった。
震災から3カ月以上がたつが、震災前と同じ状況にはまだ戻ってはいない。原発の事故が、その状況をさらに深刻にさせている。原発事故さえなければ、今秋中にはかなり元通りまで行ったはずなのに・・・という話は実際あちこちで聞く。節電の影響で工場をどこまで動かせるのか。効率をどう確保するのか。今日お目にかかった方も同様で「産業界への影響は大変なものだ。」とおっしゃった。
今日、埼玉県熊谷市の気温は39度を超えた。6月にこの気温は観測史上初めてだと言う。今年の夏は暑そうだという長期予報も出ている。今の状況を考えると、社会はさらなる節電が求められるのは間違いない。企業にとっては、確かに節電の影響は大変なことだろう。私たちは今まで、そのエネルギーの重要性をあまり意識してはこなかった。原発事故が起きたらどうなるか?電力が足りなくなったらどうするか?など、想像もしないままジャブジャブと電気を使い続けてきたのだ。経済の発展、豊かさ(モノ・ココロ)、安心・安全、などいろいろなものをクリアして初めて「幸せ」がある。「幸せ」の定義は人によって多少違うけれど、誰でも人は常に「幸せ」を求めて生きているはずだ。
私の存在は、もしくは私の仕事は、「幸せ」のためのものになっているか、社会の「幸せ」のために役立っているか、企業も個人も、これからはそんなことが共通の物差しになって行くような気がする。

2011年6月17日

新規開発~初めての接触

私の場合、初めてのお取引で仕事を受ける場合は、通常、どなたかのご紹介であるケースが多い。私としばしばお仕事をしている方の知り合いであったり、少なくとも一度はお仕事でご一緒した方からのご紹介、そうでなければ、過去に仕事の話をしたことがあるがお取引に至らなかった方など。Webサイトで情報公開しているとは言え、紹介もなくなんの所縁もない方からお仕事を受ける、というケースはほとんどない。
先日、紹介を介さない方からお問い合わせを受け、お目にかかることになった。その人は一度だけあるセミナーの受講者同士という立場で軽く名刺交換をした相手ではあるが、ほとんどお話はしなかった人だ。名刺にあったWebサイトをご覧になったそうで、お問い合わせをしてきてくださった。
とてもありがたいお話なのだが、それでも私の今までの経験から、少し身構えてしまった。その方がどんな方かがまるでわからないし、情報収集のしようがないからだ。お目にかかるのをやめようかとすら考えた。
けれども、実際にお目にかかったところ、その方はとてもいい方だった。建設的な話、今後の仕事の可能性を含めて話をし、今後定期的に情報交換していこうということで、話が前に進んだ。ご本人は知る由もないことではあったが、私はお目にかかる前に少々身構えてしまったことを告白し、改めてお詫びして失礼することになった。
仕事を発注する側、受注する側、どちらの立場であったとしても、初めての接触というのは難しいと改めて思う。仕事の場面でなくても、初めて会う人とすぐに親しくなるのは難しいのだから、なおさらだ。世の中には、新規獲得のための飛び込み営業、電話セールス、テレアポ獲得などがしばしば行われているが、それがいかに厳しいものであるかを改めて感じる。
人は初めての接触の場合は、どうも警戒心があって、なかなか心を開くことができないのは仕方がないことではあるが、今回私は、警戒のあまり大事な出会いを失うかもしれないことも知った。要は、自分の判断力。人の紹介や人の情報だけに頼るのではなく、自分自身で判断すること。これが何よりも優先することなのだろう。

2011年6月10日

労働時間

Twitterを見ていたら、「60歳定年だとすると【8万時間】働くことになるんだそうだ。そして、引退後の時間も【8万時間】あるんだそうだ。」というつぶやきをみつけた。
ん?!そんな馬鹿な、と思って計算してみた。
仮に8時間労働だとして、大卒後から60歳定年までは、確かに労働時間は大体8万時間だ。仮に60歳から80歳までのすべての時間から、睡眠時間(8時間)を引くと、12万時間時弱! 60歳定年までの労働時間である8万時間に達するのは、74歳の時だ。今後定年がどんどん延長されていくとは言え、定年から先の時間がいかに長いかがわかり、今さらながら驚いてしまう。
どれだけの人が、定年以後にそれだけの時間があることをわかった上で、定年を迎えているのだろう。定年後の時間がそれだけの時間になるなら、なんとなく過ごすにはあまりにもったいない。「好きな本を読んでゆっくり時間を楽しむ」「今さら趣味をみつけるなんて無理」など、特に男の人からはいろいろな声が聞こえてはくるが、やっぱり、定年後をどう過ごすか?は大事なことであるのは間違いなさそうだ。
例えば、社会人になって定年までの間に手がけた仕事、達成した事柄はいったいどれだけあるだろう? 定年後にそれと同じだけの時間があるなら、いろんなことがたくさんできるはずではないだろうか。実際、定年後の生活の中で、日々どう過ごそうか悶々としている人は相当数いるはずだ。
そういう時間を有効に活用できるような市場は、必ずあるはずだし、そういう市場を作って拡大することは、きっと明るい社会へとつながっていくことだろう。未来への希望につながっていくのだから。
震災や原発事故の影響で、あらゆるところで市場の縮小や経済停滞への懸念はつきない。けれど、新たな市場はいろいろなところに必ずあるだし、それを創出していくことが、今、求められていることだと思う。

2011年6月6日

大地震が教えてくれたこと

東北から帰ってきて、1週間が経過した。
不思議なことに、今、私は仕事に対する意欲が上がっていることに気づいた。ルーティンワークではなく、新しいことを手がけよう、という気持ちが特に上がっていた。東北に行き、見たことや感じたこと、そして東北の人たちの言葉を聞いたことが、私の気分を少し変えたのだと思う。
パワーをもらうとか、パワーを上げる、とか言う言葉はもはや言い古された感じがしてあまり使いたくないのだが、それでも私は、東北からパワーをもらってきたのは間違いないようだ。
さて、私は東京に戻ってきてからは、ここのところあまり会っていなかった人と、会うようにしてきた。私自身の仕事が少し落ち着いたこともあり、意識的に情報交換がてら会うようにしているのだ。
あくまでも仕事のつながりがある人との情報交換ではあるが、震災や原発事故の話題に触れる中で、自然と家族の話が出てくることが多くなったように思う。特に子どもの話や、出産の話などがちらちらと出てくる。
震災や原発事故をきっかけに、私たちはいろいろなことに気づいてしまったからだと思う。人は一人では生きていくのは大変だということ、誰でも絆を大事にしたいという気持ちがあること、実は今までの歴史がいろいろなことを教えてくれていたこと、私たちは今の現実からの教訓を次の世代に伝えていく必要があること、効率優先のあまりに心を無視してはいけないこと、などなど。
今の時代、両親と子供二人、というような「普通の家庭」は今や普通ではないくらい少なくなったけれど、それでも社会を構成する最小単位は、やはり家族だ。その家族の重要性を再認識させられ、自然と家族の話題が多くなっていくのだろう。東北では現実に結婚が増えているという。
さらに、原発事故の影響から来る放射性物質の問題。長い時間がたった後で放射性物質の悪影響が出る可能性が高いから、特に子どもへの心配が大きくなる。目に見えないから不安や恐怖は益々大きくなり、疑心暗鬼になり、周りの人に話したくなっていく。
だから、仕事に関わる話であったとしても家族の話題が前よりも増えてくるのだろう。
震災は本当に大変なことであったのは間違いなけれど、いろいろなことを教えてくれたし、私にチカラも与えてくれた。これを本当に無駄にしてはいけない、と今、私は何度も自分に言い聞かせている。
さあ、私も前に向かって進みます。これからの仕事を、見ていてください。

2011年5月26日

東北に行ってきました

前回のブログでも予告したように、5月17日~20日までの4日間、東北三陸地方の水産関係の自治体や各社に行ってきたので、少し報告したい。
行く前に大変だったのは宿の確保だった。
営業している宿自体が減っていることに加え、営業している宿はどこも復興関連の人たちで6月末まではどこもほぼ満室だったからだ。宿がとれなければ中止せざるを得ないし、地元に却って迷惑になるようならやはり遠慮した方がいいので、ぎりぎりまで行くことが決まらなかった。一方で、地元の復旧復興は日々動いており、2ヶ月たったこともあって、さまざまな業種が次々と営業再開している段階でもあった。私の計画は、4月末に再開した東北新幹線で仙台まで行き、そこからはレンタカーで海沿いを八戸まで移動するルートだ。一人だったので、運転するのも一人だし、海沿いの一般道の道路事情や距離感に若干不安はあったが、宿泊先については、地元の観光協会が、逐次営業再開情報をリアルタイムで把握していたことにも助けれ、うまく宿が確保できた段階で、急遽出発を決めたのだ。可能なら約20件ほどを回ろうと考えていた。
朝7時半に出発する新幹線が、ビジネスマンでほぼ満席だったのには驚いた。仙台から車で走り出すと、自衛隊の装甲車がやたらに目についた。日本にはこんなにたくさん装甲車があったんだ、と驚いてしまう。
2カ月たったせいか、一見、大変な被害を受けたように見えなくても、休業中のロードサイドの店舗をよく見ると、窓の上の方まで泥の跡が残っているのに気づく。それで、ここまで片付いたんだ、ということがわかるのだ。また、被害の様子は移動とともにだんだんと大きくなって行く~というわけではなく、ここまでは普通の風景がある地点からいきなり大変な状況に変わる、ということがしばしばあり、驚かされた。
私は、石巻の水産関係の方々とは接点が多かったので訪ねてみたところ、そこにはわずかに残った建物の外枠や看板以外は何も残っていなかった。それがそこだけ、とかある方向だけ、というのではなく、360度方向、見渡す限り何もなく人の姿もない。たくさんの鳥が空を飛んでいた。遠くに海が見えて周りには建物の跡が残っていて道路もあるのに人は誰もいない、という風景は、何とも言えないものがある。周辺を少し車で動いていたら、片づけをする自衛隊の人が見えてきた。これだけの片づけをするのにどれだけの時間がかかるのだろう?!と思ってしまう。
そういう場所にかつて本社や工場があった水産会社の方が、電話で話した時に「商品(水産加工品)は、3年かかっても5年かかっても必ず再開するから見ていてほしい」と、4月の段階で私におっしゃったのだ。私は、その工場があった場所に立ってみて、改めてその方の意志の強さに感銘し、これからずっと見続けていきたいと思った。仙台を出発してから、3時間後のことだ。
石巻から気仙沼に移動して市役所の方と面会。家を流され、何もなくなくなったというのに、「自分など全然いい方だ。家族は無事だし、自分は恵まれているから頑張らないと。」と言うのには、返す言葉がなかった。その気仙沼で1泊。コンビニや外食産業が少しづつ営業を再開しており、夕食に出かけると店は賑わっていた。来ているのは全国から応援で来ていると思われる自治体や復興関係者のようだった。
翌18日朝、さらに国道45線を北上する。とてもいいい天気で、空は真っ青。道は少し山の方に迂回したりトンネルがあったりして、とてもきれいな深緑と青い空のコントラストに感動しながらアップダウンを繰り返すのだが、そうするとしばしば「ここより先、津波浸水警戒区域」という標識が出てくる。その標識を超えると、風景は突然、3月下旬に新聞に出ていたような悲惨な風景に一変するのだ。この風景の物凄いギャップ。運転していくと、これを何度も繰り返すのだ。
駅よりも海側に市街地があった釜石は、街中が壊滅的な被害を受けていた。飲み屋さん、携帯ショップ、衣料品店などが破壊されている様子は、あまり報道には出てこないし、他の被災地とはまた違った印象だ。いくつかに分かれている市の庁舎のある部屋では、泥をかぶった資料を一つづつ片づけている職員さんの様子が見え、お訪ねする予定だったのだがそのまま失礼してきた。それでも、釜石の水産会社の方には元気な方が多かった。既に営業再開しているところ、年内再開目指して準備中のところなど各社事情はさまざまだが、全国のお客様から心配やお見舞いの連絡が入っていて、それを励みに、早速「私たちは元気です」とDMを出しているところもあった。
「決算で不良在庫の心配をする必要がなくなった。いいこともある。」と私を笑わそうとしてくれる人もいらした。震災直後の3日間、ほとんど食べるものがなかったそうで、食べもののありがたさを再認識し、今では外食して注文したライスをほんの少し残す時でも、必ずラップに包んでもらって持ち帰るようになったと言う。
さらに北上して宮古へ。出発から30時間ほどたって、初日以上の規模の瓦礫の山を見ても、「がんばろう」のノボリを見ても、破壊した建物に張り紙やOKマーク(撤去してもいいという意味)を見ても、目が慣れてきたせいか、私は驚かなくなっていた。私の感覚はどうやら麻痺してきていたようだ(東京に戻ってから麻痺していたことに気づいたのだが)。宮古市内はライフラインはかなり復旧しているものの、どこも信号は不通で、少々危なかったが、地元の人は慣れている様子だった。18日は宮古宿泊し、さらに北上。
久慈市に行った時は、「漁師は、なんとか船を守らないと!と言う思いで津波の時は沖に出て、命を賭けて船を守った。さぁ、これから復興だ!と、魚を獲ってきたら、放射能の風評被害で買ってもらえないものがある。ここまで頑張ってきたのに、あんまりだ。」という話を聞いた。久慈ではコウナゴが獲れるのだ。久慈市内の魚屋さんでも店頭のコウナゴが激減したという。
現在、三陸は漁港近くの市場が壊滅的被害を受けているし、冷凍庫や冷蔵庫は海沿いにあったからそれもなくなったこともあって、水揚げしても水産物を保管できない。水揚げ量自体はまだ少ないけれど、それでも水揚げした魚は水氷の状態で少しでも早く流通させなくてはならない。それも地元で。まるで昔のやりかたそのものだ。改めて昔のよさを再認識することもある、という地域の方の言葉が心に残った。
今回、状況や時間によって、通過するだけのところも含めて、訪ねてのは、
仙台、石巻、気仙沼、陸前高田、釜石、山田、宮古、田老、普代、久慈、洋野、種市、階上、八戸、そして盛岡。
文章で書くにはなかなか表現しつくせないことがたくさんあるが、今回の訪問で何回「がんばろう」という言葉を聞いたかわからない。どこに行ってもあちことに「がんばろう」と書いてあるし、話をすれば誰もがそう言う。私はそれを何度も目にするうちに苦しくなってくるのだが、地元の人は違っていた。もっと「がんばろう」と言うのだから。遠くに離れている者は、東北の人以上にがんばって、継続的支援をできるようにならなくては、と逆に言われているような気持ちになった。今後、私は東北の復興をずっと見続けていきたいと思う。

2011年5月14日

ゴールデンウイークの後半、私は日光に出かけてきた。修学旅行はすべて親の強い希望でキャンセルされ、日光の観光客は例年の95%ダウンで困ってる、という話を聞き、では行きましょう!とすぐに家族と計画を立てたのが4月上旬のことだ。連休直前には、「直前の駆け込みが増えて日光は混雑している」という報道があり、少々不安を抱いて向かったのだが、現実はやはりガラガラだった。何より大型バスをまったく見ない。団体客が全然いないということだ。東照宮なども連休最後の土曜日なのに人は少なく、想像はしていたが外国人は本当に少なかった。観光産業に関わる人たちは本当に大変だろうと改めて感じた。

連休が明け、仕事も通常モードに入った。
自粛モードも少しづつ消え、経済を動かそうという社会の流れになってきた。
私は来週、今までの仕事の流れで、東北三陸に行ってこようと計画中だ。実は復興関係業者以外は宿泊がままならず、2か月たってようやく移動中の一人分の宿が確保できそうだからだ。
水産関係の今までに取材したところ、お世話になったところを回ってくる予定だ。時間的な制約があるのですべてというわけにはいかないが、現在進行中の仕事についてはその相談もしてこようと思っている。大きく被災して完全ストップしているところなどは既にニュースでもよく出てきているし、行くにあたって連絡するも未だ連絡がつかないところもある。それでも連絡がついているところから、「今は大変だが、例え2年かかっても3年かかっても必ず復旧させるから見ていてほしい」と言われる。水産物の工場が流され、本社社屋も被災し、保管していた数億円分の原材料もダメになったようなところの言葉だ。また、「厳しい風景を目にしてトラウマにならないか、あなたの将来が心配だ。来るなら気持ちを強く持って。」とこちらを気遣ってくれる人もいらっしゃる。お見舞いと今後の相談に行くはずが、逆にそういう言葉をもらって、力をもらうのはむしろ私の方だ。
震災後の復旧・復興は、遠い道のりで長い時間がかかる。私に何ができるだろうと思い、考えても何もできない自分の無力さを今まで情けなく思ってきた。けれども、被災者の方の「見ていて」という言葉をもらい、ハッとした。私は、見ていることならできる。しかも、見ていることでこちらも力をもらう。ともに頑張れるような、そういう形で継続していけたらいいな、と思いながら行ってこようと思います。

2011年4月28日

自粛と社会のムード

大震災は、「命」を何度も何度も考える機会になった。「広告」は命に関わらないので、私自身は「生きる上で必要でないことを仕事にしている」という思いを抱かざるを得なかった。
大震災以降の1か月、広告ストップの動きは大きなものだった。
被災した企業はもとより、部品の供給が止まったことで商品が製造できなくなったり、品薄になったりする企業は、広告する意味がなくなるので当然のことながら広告はストップする。仕方がないことだ。
けれども、例え震災で大きな影響を受けていなくても「こういう状況の中で社会が広告を受け入れないムードがあるから広告は自粛する」という企業が意外と存在したのも事実だ。ACをはじめ、企業のCMも含めて、テレビのCMに対する視聴者からのクレームは大変なものであったし、世の中のムードというものが広告を受け入れにくい状況にあった。目立ったことはできるだけしない方がいいのでは・・・・そいう企業の思いの結果だと思う。
観光産業への影響も大きかった。震災に加えて、原発問題もあったため、栃木県日光は前年対比95%ダウン、という驚くべき数字になった。日光の場合は修学旅行需要が無視できないが、学校側と言うよりは保護者からの強い要望でキャンセルせざるを得ない状況にあったという。
1か月が過ぎ、ここにきてようやく社会のムードが変わりつつある。
テレビはACの割合が少しづつ減ってきて、一般企業のCMが戻りつつある。サントリーの「上を向いて歩こう」を歌った震災後バージョンのCMは視聴者の共感を誘ったし、評価も高かった。テレビに広告を戻すための大きな貢献をした。キャンセルになっていたゴールデンウイークの旅行予約も戻りつつある。被災地からも、「自粛をしないでほしい」という声がメディアで語られるようになってきたのも大きいだろう。
広告(やエンターテインメント)は、確かに生きるために絶対必要なものではないかもしれない。けれども、ないよりはあった方がいいものであって、それは社会のムードを作ったり、心を豊かにしたり明るくしたりするものであるはずだ。広告業界は、今、大変厳しい状況にあるのは確かだが、ここは我慢我慢。明るいムードに向かっていくために、今、智恵をしぼり続けなければならない(と、自分自身に何度も言う日々だ)。

2011年4月8日

頭が下がる東北の強さ

昨年11月から今年の1月頃まで、私は東北地方の水産関係の取材を行っていた。連絡をとっていたのは、県や市町村、市場関係者、水産加工業者等の方々で、3月11日の地震で大きな被害を受けた方々でもある。
3月11日以来のニュースでは、今でもしばしば津波の映像が出てくる。あれから1カ月近くたち、何度も見ている映像だ。何回みても涙が出るし、凄すぎる映像に言葉が出ない。
日常に振り替えると、節電で街の夜は暗くなり、経済活動が鈍くなっているのは一目瞭然だ。この1ヶ月間の私自身の仕事のペースも明らかに落ちている。経済活性化のためにも日常に戻って仕事が重要、と思いつつも、なかなかそういう気持ちにはなれず、結局タラタラとしているようなものだ。
ほんの数ヶ月前にお世話になった方々がどうされているか、気になってネットを見ていたら、こんなものをみつけた。
被災地の市町村が発行する広報4月1日号だ。地震の直後のドキュメントレポートから3月27日現在の被害状況、復興に向けての決意とその動き、被災者への支援制度などをまとめた広報だ。写真を多用し、24ページとしっかりしたボリュームだ。久慈市職員の今の状況を考えれば、どれだけ忙しいかがわかる。その中でたった3週間の間にこのような広報を作り上げて発行し、ともに頑張ろうと地域住民に呼びかけるという力強さに心を打たれた。
かつて地域活性の仕事で、大堤防で有名だった被災地、田老町のイベントに携わったことがある。大阪のイベントで「田老さんさ」を披露するために、田老町の方々20人ほどが来阪したのだが、初対面でも臆せず全員がとにかく明るく元気。当時私はいろいろな市町村の方々と仕事をしていたのだが、その明るさが際立って見えた。慰労会で隣り合わせた女性に聞いてみたところ、「田老は海の町。漁に出れば帰ってくるまで生きているかわからないし、町は何度も津波に襲われているからそのたびにまっさらになっている。山と違って、海で生きるにはいつも前を向いて行かざるを得ないから明るくなるのでしょう。」と言われ、圧倒されたことがある。15年近く前のことである。
今回の震災後も、被災地域にはもう前を前を向いて歩き始めている方々がいる。牡蠣の養殖業者や自動車の部品工場の人がテレビの中で再建を語るときの目は光り、まっすぐ前を見ている。
かつての田老町の女性の記憶と重なり、改めて東北の人たちはなんて強いのだろうと私は頭が下がるのだ。

2011年3月30日

お見舞いと復興応援

あまりにもの大惨事に言葉を失い、精神的なダメージも受け、私はこれまでの日常をそのまま続けることができずにいる。今まで自分がやってきた仕事を普通に継続させねばと思うのに、気付くと頭のなかは思考停止になっていたり、またはまったく別のことを考えていたりしている。このブログも、震災前の1か月が特に多忙で更新が手薄になっていたことも手伝い、そのまますっかり更新しなくなっていた。正直なところ、何を書いていいかわからなくなってしまうのだ。
私はちょうど昨年11月から、漁業関係の業界・団体と接点を持った仕事をしていた。それは水産振興にも関わるもので、現在進行中の仕事だ。その相手先は北海道から沖縄まで、全国にわたる。
当然のことではあるが、今回の地震で相当の被害を受けている相手先が多くあることは間違いない。施設などは流されてなくなってしまったところもあるように、報道されている。直接何度も話をしてきている相手先も多く、私自身はとても心配している。けれども、まだ連絡をできずにいる。これだけの災害で地元のご苦労は今、大変なものだろうし、私のような水産振興に向けた話題は、時期尚早ではないかと思うからだ。
今回の仕事で東北・東関東地方の相手先の件数は、少なくない。そういう方々に、未だにお見舞いの連絡すら入れていないのはどうなのか? お見舞いの連絡だけでもすぐにすればよかったのかどうか・・・? 日々悶々としているが、正解がわからない。
こんなときに私は普通に仕事なんかしていていいのか? もっとやるべきことがあるのではないか? それはなんだろう? 
一方で、私は経済活動を止めてはいけないとも思っている。経済が縮小したら、思うような復興支援すらできなくなってしまう。そう思うと、結局、今までの仕事を継続させる方向で、私は再び動き出す。でもまた立ち止まる。それが震災後2週間の私の仕事生活だ。
昨年から私が手がけていた水産振興に多少はつながるはずの仕事-------、これが、水産業が主産業だった東北と東関東の太平洋側地域の復興に向けての応援歌になれれば・・・私は今、そんなことを思いながら、もう少し時間が経ったら相手先に連絡を入れようと思う。お見舞いはもちろんだが、仕事の話をしていけるようになりたいと思う。たとえ今は時期尚早であったとしても。

2011年3月15日

大惨事の後

仕事がだいぶ立て込んでいて、申し訳ないことにしばらく更新ができずにいた。そろそろ・・・・と思っていたらあの地震が来た。
地震があったときは、その揺れ方(私の場合は東京の揺れ方)やその時の対処、その後の帰宅方法などがもっぱらの関心事。その後テレビのニュース映像などを見るうちに、事態の大きさがわかり、改めて驚いている。週末に入る前、ここまでの事態になるとは想像していなかった。
そして今日、5日目の夜を迎えている。
被災した皆さまには心よりお見舞い申し上げます。
そして、まだご家族や親しい人が見つかっていない方の心痛もどれほどでしょう。
言葉もありません。

あの地震をきっかけに、当たり前のことではあるが、前向きな消費が急速に冷え込んだ。テレビはどの局も報道だし、民放各局のCMはほとんどなくなった。たまにあってもACくらいだ。
つい1週間前まで、テレビの広告需要は急速に拡大していた。3月も4月のフタ(=売切状態でもう入れないこと)、5月もフタ間近という状況だった。広告業界の間では、どうやら景気が戻ってきたようだと話題になっていた。
しかし今、広告・販促まわりは、続々キャンセルが続いている。週末を明けて、地震や津波の問題に加えて原発事故の問題がクローズアップされ、株価も暴落していることも大きく影響しているだろう。こういう状況だから当然だろうし、先行きの読みにくく、クライアントの苦悩もよくわかる。しかも、私たち消費者の消費欲がすっかりしぼんでしまったのだ。
広告自体はしょうがないにしても、この経済が止まったような状態が続くことは、好ましいことではない。こういうときだからこそ、できるだけ消費を活発化し、経済を回していかなくてはならない。こんな状態が続き、企業が立ちいかなくなってバタバタ倒産するようなことになったら、日本経済は本当に大変だ。被災者への二次災害にまでつながってしまいかねない。
個人的にはできるだけ楽しいことをしかけながら気持ちを上げていき、活発な消費へとつなげていけるようなことを仕掛けたいと思う。

2011年2月14日

働き女子の苦悩

私が仕事を始めた頃は、雇用機会均等法施行の直前だった。当時は女が男同様の環境で働けるのは、教師に代表されるような公務員くらいで、一般企業ではほぼありえなかった。女が男のような仕事をしたければ、ひとつづつ勝ち取っていくものだった。一方でそれがモチベーションにもなっていたような気がする。「この仕事がしたいから・・」「私を認めてもらうために・・・」そう思いながら、与えられる以上のことを一つづつ勝ち取って行ったような気がする。
雇用機会均等法から20年以上が過ぎ、目に見える男女差別は今では違法だ。セクハラも市民権を得た。けれども、時代が変わっても働き女子の苦悩は、やっぱり続いているようだ。
私自身は、「男」とか「女」とかを仕事に持ち込むことをあまり好まない。そういうエクスキューズをしたくないとも思っている。けれども、私は頑張っている働き女子には多少弱いようで、多少の“えこ贔屓”もあるかもしれない。それは、その昔の自分自身に重ねてしまうからかもしれず、応援せずにはいられない気持ちもある。
もっと生き生きと働きたいと願い、オンナの個性や視点を仕事に生かしたいと願いながらも、悶々とする20代30代の働き女子たち。なんとなく雑務が押しつけられ、酒席ではホステスのような扱いを受ける。例えば取引先との酒席には必ず若い女子社員が呼ばれる。女子社員のテーブルには氷と水が置かれ、出席者のお酒を作るのは彼女の役割だ。そういう酒席が頻繁に行われる。出席への要請は上司から直接言われるので、異論を言う空気などない。今後も平穏に仕事を続けるためには、黙々と従うのが一番よい、大事な取引先だし、これも仕事だと頭では理解してはいるのだが、「気持ち」は納得できていない。
「こんなことをするために仕事をしているわけではないのに・・・」
「なんでこんなことをしなくてはいけないんだろう・・・」
この気持ち、オトコにはわかるまい。比較的フェミニストな男性であっても、意外と気づいていないようだ。
昔は、“仕事を勝ち取るため”という大義があり、オンナは自分自身を納得させることができた。けれども今の働き女子は、どうやって自分を納得させたらいいのだろう。。。鈍感力の強い人はそれをスルーできるだろうが、そうでない人には大きなストレスになって、これが少しづつ蓄積していくのだ。
男女平等とか、セクハラが違法とか言われ、時代の流れで表に出にくくなった分だけ、苦悩は闇に埋もれて行く。
できることなら無用な戦いなどせずに、働き男子諸君が、女子のそういう思いに自ら気づいてくれるのが一番だ。そのためにも、女子は、働き男子ならではの苦悩をも理解しながら、女子の苦悩を気づいてもらう処世術を、なんとかうまく身につけてもらいたいと私は思う。

2011年2月3日

上司力

指導しない、叱らない上司が増えている時代ではあるが、それでも部下を教育する重要性はしばしば言われることだ。組織の維持発展のためには、必要だし重要なことだ。ユニクロの社長、柳井さんはそれを「上司力」と呼び、部下一人一人の思いや考え方を想像し、部下の長所を生かしてチームで力を発揮していくことためにも、部下が主役になる環境を作ってあげることような上司をになれとエッセイで書いている。
かつて私は「人間力」と言っていたことがあるが、後輩を指導する視点に立てば、それは「上司力」なのかな、などと考えていた時、広告業界で働く27歳の女子が、「上司は、男なら子どものいる人がいい。」と力説したのを聞いて驚いた。「子どものいる人」と「子どものいない人」・・・彼女にとっては部下の育て方が違うと言うのだ。
「子どものいる人」は子どもを育てた経験がある分、「できない」事実を受け入れた上で教えようとする。「父親」として育てる経験をしたせいか、子どものいない人に比べて許容範囲が大きく、部下は失敗を恐れず安心して働ける。一方、子どもがいない男である上司は、「できない」ことがそもそも理解しにくい。上司にとって基本的なことで部下にとってわからないことなどが起きると、「そんなことも知らないの?」というリアクションが目立つと言うのだ。そのくせ、仕事を進める段階ではなかなか部下にまかせず、権限委譲も小出しにしていく。そういう上司の何気ない言葉は部下を傷つけ、部下は上司に指示を仰いだり指導を受けようと言う気も失せていく。そして部下は上司の指示だけをただこなすのが、傷つかないし楽でいい、という考えになっていくのだという。
私自身は子どもがいないので、これはイタイ言葉だと思った。彼女は、「女は元々母性があるせいか、子どもがいてもいなくてもそんなに違いを感じないけど、男は明らかに違う」と言っていたが、これは子どもがいない私への気遣いがそう言わせたに違いない。
また、「子どものいない人」は自分とは異質な個性を認めにくいせいか、丁寧に教えてくれない気がすると言う。
部下を育てることも、上司に育ててもらうことも、営業することも、すべてはコミュニケーション。相手の立場や思い、考え方を想像し、思いやることで、うまくいくかどうかが決まるのは間違いない。私が指導を受けていた頃は、「子どものいない男」である上司はそもそも数としては少なかったので、そんなことは考えたこともなかった。
時代が変わり、少子化や離婚で子どものいない父親が増え、私自身も年齢やキャリアを重ねて指導されるよりはする側に回った。私自身、部下の育てられる方の気持ちへの想像力を少し欠いているかもしれない。

2011年1月26日

マーケティング不要

「マーケティング担当の副社長などはいません。デザインと技術を最優先していますから。お客が車を本当に気に入ってくれたら、自然に我々の宣伝をしてくれます。」
アメリカの電気自動車ベンチャー、テスラ・モーターズの会長兼CEOのイーロン・マスク氏の言葉だ。
1月22日朝日新聞土曜版で彼が取り上げられ、「マーケティング(市場調査)はどのようにしていますか。」という質問の答えとして掲載されたものだ。マーケティングは市場調査ではないが、これは一般読者にわかりやすくするための記者の注釈だろうし、イーロン・マスク氏はちゃんと本来のマーケティングと捉えてインタビューに答えていると思う。
昔から、商品力とマーケティング力(営業力を含む)は両輪と言われてきた。(営業力も加えて三位一体の重要性を説く考え方もあるが)。いくらマーケティングが頑張っても商品力が弱ければ長続きしないし、いい商品でもそれが人に伝わって商品と買う人との接点がなければ売れはしない。
けれども、商品力を最優先する、というこの考え方は、これからの時代、メーカーの主流になっていくのかもしれない。そして、マーケティングという考え方自体もその概念も、今変わろうとしているのだ。確かにクチコミの効果は高いし、ネットの普及で誰もが意見を発信できる時代になり、お客が宣伝してくれるのはその通りだ。今までの広告代理店というビジネススキームはどんどん崩れていき、新しい形への生まれ変わりが必要だ。その新しい形とはなんなのか。広告代理店はどこも、今それを探しているのだろう。

2011年1月20日

誌面のガチャガチャ

10代から20歳前後の女の子に支持される雑誌の誌面を見ると、雑多な情報がてんこ盛りだ。小さな写真付きで小さな文字でぎっしり説明されているものが、1ページの中に10個も20個もぎっしり埋められている。その隙間にはキラキラ星があったりハートが飛んでいたりして、余白など作らない。誌面全体がガチャガチャしている。
私が見ると、それだけでもはや読む気がしない。たとえ豊富な情報を求めるとしても、私はすっきりした誌面を好むし、ある程度の余白がないと落ち着かない。写真もできればわかりやすく大きく見せてほしいと思う。
ガチャガチャしている誌面は、その世代を対象にしている雑誌の特徴とも言える。限られた雑誌だけでなく複数の雑誌がそういう誌面構成をしている。情報量が多い分、掲載している写真も小さいものが多いので、写真の質などあまりこだわらない。素人が携帯で撮影したような写真でも、場合によっては充分なのだ。
いくら流行りとはいえ、これじゃああんまりに情報が薄いので、そういう雑誌の中であえてしっかり見せる作りで、すっきりしたデザイン構成にしたところ、読者からの反響が大幅に落ちたという。見やすくすることで反応が落ちるというのは、私から見ればとても意外ではあるが、読者にとっては、すっきりしたページなど、読む気もしないということなのだろう。
意識の変化と言うのは、こういうところにも如実に表れている。そういう若い女の子は、今だけでなく、これから先もそういう志向が続いて10年後、20年後には上の世代向けの誌面もそんな風にガチャガチャになっていくのだろうか。それともその世代固有の特徴なのだろうか・・・・。それはもう少し時間がたってみないとわからないが、私個人はガチャガチャであふれてしまったらちょっと嫌な気がする。

2011年1月11日

リアルなコミュニケーションの行く末

自分ひとりの見識など狭く浅いので、専門家に意見を聞きたいことがしばしば起きる。その専門家と面識があればいいが、そうでないケースも少なくない。かつては人を通じて紹介してもらったり、自ら専門家の連絡先を調べて電話をしたり手紙を書き、意見を聞くにあたってこちらの立場や事情の説明をしに出かけたものである。意見を聞くのはそれからだ。けれども面識がないどころか、どんな専門家がおられるのかのメドも立たない場合は、もはやお手上げだ。
しかしここ10年ですっかり事情は変わった。インターネットのおかげで、基礎知識などなくてもどんな専門家がいるのかを簡単に調べることができる。しかもメールアドレスさえわかれば、こちらの自己紹介から事情説明、依頼内容まで、すべてメールで完了することもできる。Twitterを活用する人も少なくないので、どんなに著名な人であっても、人によっては簡単に直接コンタクトすることもできる時代になった。
多くの著書を出版し、テレビでも活躍する某業界の評論家ですら、「原稿依頼などは、その仕事の依頼から完了するまですべてメールのやりとりだけで、会わないどころか、電話でさえついに一度も話もしないまま終わるケースが少なくない。メール1本だけで済まそうとする。」と嘆いていた。それが初めての仕事依頼でもそうだというから驚いてしまう。しかも原稿を送っても返事がないなど、コミュニケーションの簡素化は明らかに進んでいる。デジタル化のせいで、人とのコミュニケーションのあり方自体が変わってしまったようだ。
仕事を依頼するまでのプロセス、企画段階の検討から発注までのプロセス等々、プロセスが大きく変わったのだ。検討する段階はほぼWeb上で行われ、その後の依頼(発注)から納品までがメールで完結するわけだから、Web上のコミュニケーション力とメールのコミュニケーション力について高いスキルが要求されるとも言える。実際に会って話すといったリアルなコミュニケーション力がなくとも完結するわけで、そのためかそういうスキルの劣る人は確実に増えている気がする。リアルなコミュニケーションは、今後珍しくなっていくのだろうか。リアルなコミュニケーションスキルなどもはや不要な能力になっていくのかもしれないし、逆に希少な分、リアルなコミュニケーションの付加価値が大きくなっていくようになるのかもしれない。

2011年1月5日

2011年始動

私事では喪中でもあったため、今年は遠くに出かけることもなく、ひっそりと新年を迎えた。そのおかげで、好きな箱根駅伝をじっくりテレビ観戦。駅伝の感動は毎年当然のことではあるが、それに加えて嬉しかったのは、駅伝中継番組のCMだ。普段ならCMを狙って席を立つのに、CMだけはしっかり見たいと思ったのだからすごい。広告スポンサーの狙い通りだ(笑)。
特にサッポロビールの「大人エレベーター」、そして箱根駅伝オリジナルの6種類はとてもいいものだった。サッポロビールのサイト上でもそれぞれ見られるものの、「大人エレベーター」は25歳の白鳳出演分の第6弾しか見ることができないのは残念だ。年齢をエレベーターに見立て、20代後半の妻夫木君がエレベーターに乗り、いろんなフロアで降りてその年の魅力ある大人に出会い、話を聞くという「大人エレベーター」。最高齢は仲代達矢だが、その年齢の深い味わいを感じさせた。
ここのところ、作る人も見る人も心に余裕がないせいか、それともコスト削減のせいか、テレビはとてもつまらなかった。CMも適当に作っているな、と思ってしまうようなものも少なくなかった。しかし、箱根駅伝のサッポロビールのCMを見て、純粋に感動したし、元気が出てきた。「乾杯をもっとおいしく」というサッポロビールのキャッチフレーズに心から素直に共感した。
箱根駅伝のその他スポンサーのCMもいいものが多かったように思う。クリエイターの智恵と努力がうかがえる。実際に内容がよかったこともあるだろうし、サッポロビール効果で私自身が他のCMにも注目したくなったのかもしれない。
これが、クリエイティブが再び輝き始める予兆ならば、広告業界に関わる者としてとても嬉しい。クリエイティブは人の心を元気にするはずだし、結果、社会を元気にしていくだろう。
2011年、今日から通常通りの仕事が始まった。また時代が新しくなっていく。
これからの元気な社会のために、ほんの少しでも力になれる仕事ができればと願っている。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。