SNSと言えば今はFacebook花盛りだが、ちょっと前まではmixiが中心だった。5年くらい前になるだろうか?
友だちからの招待がないと入れないこと、自分の趣味の世界がどんどん広がり人とつながっていくこと、リアルな知り合いとはつながりがどんどん強固になっていくこと、などが大きな魅力だったのだと思う。当時、mixiは急成長中だったし、私もmixi中毒とも言える状態で、毎晩夜更けまでmixi漬けだった。その後、多少の弊害が出始めたり、だんだん飽きてきたりして、mixiから離れ始め、今ではmixiは趣味など仕事以外の連絡手段として使うようになった。
mixiの中心顧客は私よりずっと下の世代ではあるが、それでも私がそういう状況だから、当然ながらmixiも顧客離れに必死だ。ユニークな機能を新設したり、告知したりしている。
7月20日、そのmixiからユーザー宛てに、メールが届いた。
3月10日よりテレビCMの放送を開始しておりましたが、
東北地方太平洋沖地震により3月下旬から4月にかけて
非常時のご利用に関する内容に急遽変更いたしました。
当初放送を予定していたCMはこちらでご覧いただけます。
http://mixi.jp/redirector.pl?id=4188
早速見たところ、おもしろいCMだった。
本来、mixiを知らない人や利用していない人に知らしめたかったはずのmixiのおもしろい機能の数々。もちろん、それだけでなく、既存顧客にmixiのよさを改めて再認識してもらうためのCMでもあったと思う。
震災の影響は計り知れない。それでもmixiは顧客との直接の接点があるから、少なくとも既存顧客にはこうして知らせることができたが、そういうこともできずにお蔵入りになったCMが、世の中にはいったいどれくらいあるのだろう? 広告主はもちろん大損害だが、顧客もそういう情報を知る機会を失ったことになる。そしてそのCM製作に携わった人々の気持ちを考えると、そこにもたくさんの無念が存在する。
震災被害から見ればそんなこと・・・・というご批判をいただきそうだが、「○○に比べたら…」ではなく、やはり私は無念を抱える多方面の皆さんに、必ず次の機会があることを願ってやまない。
2011年7月21日
現場とシステムの乖離
私が普段利用する金融機関は都市銀行が中心だが、ちょうど郵便局に行く用事があったので、ついでに通帳記帳をしようと郵便局のATMを利用した。2冊の通帳のうち、1冊(定期)を入れたところ「この通帳はお取り扱いできません。営業時間内に窓口に・・・」という表示が出た。少し混んでいたのだが、郵便局にはあまり行かないし、営業時間内だったこともあり、そのまま窓口で待つことにした。
店内には、年老いたおばあちゃんが車椅子で待っていた。その近くの窓口では、お客さんが不満を訴えていた。どうやら、そのおばあちゃんの口座のお金を動かすのに、本人確認が必要で、そのために家族がおばあちゃんを連れてきたようだった。が、その手続きが今回だけではなく今後もあるようで、おばあちゃんはいつも外出可能なほど体調がいいわけではなく、毎回おばあちゃんを連れてくるわけにはいかないからどうしたらいいかを、その人は聞いていたようだった。しかし、郵便局は委任状は半永久的に有効なわけではないこと(いつまで有効とも言えないが)、書類は本人が書かなくてはいけないこと、意志表示ができなければ医師の証明書(?)が必要なこと、などを丁寧に説明していたが、それらはどう考えても現実的ではなさそうだった。お客さんも、じゃあ認知症だったらどうなるのか?脳梗塞になれば代理人でもいいのか?などと食い下がっていた。おばあちゃんは多少認知症になりかかっていて、体調もよかったり悪かったりを繰り返す状況らしかった。例えおばあちゃんが意思表示できたとしても、日によって状況も違うことや事情を説明して、その人がお医者さんに診断書を書いてもらうなどできないこともないだろうが、そのお客さんはまじめそうでそういう発想はなさそうだった。郵便局側も、窓口担当の人はかなり丁寧に対応しているものの、ルールだからどうしようもない、という様子だった。
そのうち、私の順番が来た。窓口が言うには、通帳に記帳すべき内容はないそうで問題ないとのこと。システム上、そういう表示が出てしまう、申し訳ないが気にしないでと。これだけを聞くために、私は30分以上待っていたのだ。「記帳はありません」と表示されさえすれば、何も問題はなかったのだ。「営業時間内に窓口へ」とあれば、窓口に行かねばなるまい。
おばあちゃんを連れて問い合わせしていたお客さんの件も、私の件も、窓口の担当は実に気の毒だ。システムやルールが現場に合っていないため、顧客に不愉快な思いをさせてしまうのだ。私の場合は大した問題ではないが、それでもやはり不愉快である。振り込め詐欺など事件が多いだけに、金融機関の臨機応変な対応が難しいのは理解できるが、あまりに杓子定規だ。現実に即していないルールは、現場で混乱を生むし、顧客も離れていくだろう。
私自身も、都市銀行だったらこんなことはないように思ってしまった。「だから郵便局は嫌だ!」と。郵政民営化とは言え、まだまだ民間企業並みのサービスには程遠いようにも思う。
しかし、金融業界に限らず、どこの業界であったとしても、現場に即していないルールやシステムは、顧客離れにつながるし、命取りにつながると感じさせられる出来事だった。
店内には、年老いたおばあちゃんが車椅子で待っていた。その近くの窓口では、お客さんが不満を訴えていた。どうやら、そのおばあちゃんの口座のお金を動かすのに、本人確認が必要で、そのために家族がおばあちゃんを連れてきたようだった。が、その手続きが今回だけではなく今後もあるようで、おばあちゃんはいつも外出可能なほど体調がいいわけではなく、毎回おばあちゃんを連れてくるわけにはいかないからどうしたらいいかを、その人は聞いていたようだった。しかし、郵便局は委任状は半永久的に有効なわけではないこと(いつまで有効とも言えないが)、書類は本人が書かなくてはいけないこと、意志表示ができなければ医師の証明書(?)が必要なこと、などを丁寧に説明していたが、それらはどう考えても現実的ではなさそうだった。お客さんも、じゃあ認知症だったらどうなるのか?脳梗塞になれば代理人でもいいのか?などと食い下がっていた。おばあちゃんは多少認知症になりかかっていて、体調もよかったり悪かったりを繰り返す状況らしかった。例えおばあちゃんが意思表示できたとしても、日によって状況も違うことや事情を説明して、その人がお医者さんに診断書を書いてもらうなどできないこともないだろうが、そのお客さんはまじめそうでそういう発想はなさそうだった。郵便局側も、窓口担当の人はかなり丁寧に対応しているものの、ルールだからどうしようもない、という様子だった。
そのうち、私の順番が来た。窓口が言うには、通帳に記帳すべき内容はないそうで問題ないとのこと。システム上、そういう表示が出てしまう、申し訳ないが気にしないでと。これだけを聞くために、私は30分以上待っていたのだ。「記帳はありません」と表示されさえすれば、何も問題はなかったのだ。「営業時間内に窓口へ」とあれば、窓口に行かねばなるまい。
おばあちゃんを連れて問い合わせしていたお客さんの件も、私の件も、窓口の担当は実に気の毒だ。システムやルールが現場に合っていないため、顧客に不愉快な思いをさせてしまうのだ。私の場合は大した問題ではないが、それでもやはり不愉快である。振り込め詐欺など事件が多いだけに、金融機関の臨機応変な対応が難しいのは理解できるが、あまりに杓子定規だ。現実に即していないルールは、現場で混乱を生むし、顧客も離れていくだろう。
私自身も、都市銀行だったらこんなことはないように思ってしまった。「だから郵便局は嫌だ!」と。郵政民営化とは言え、まだまだ民間企業並みのサービスには程遠いようにも思う。
しかし、金融業界に限らず、どこの業界であったとしても、現場に即していないルールやシステムは、顧客離れにつながるし、命取りにつながると感じさせられる出来事だった。
2011年7月15日
お中元で被災地支援
私が関わっている会社に届いたお中元のおすそわけをいただいた。そのお中元は宮城銘菓の「萩の月」。
その送り主は、毎年必ず社名にちなんだものをお中元に送っているのだが、今年は被災地支援の考え方で「萩の月」にしたと言う。
こういうギフトは、お相伴にあずかる者としても、とても気持ちがよい。
もともと「萩の月」は、全国に知られるほどの宮城県の銘菓だ。おいしいこともあり、仙台出張時にはよくリクエストされるものの一つだ。しかし、このたびの大震災では一部生産・営業停止し、ゴールデンウイークには全面復旧したものの、影響は免れないことは十分想像できる。
お中元の採用など、誰にでもできる支援の一つである。けれども、なかなか思いつかないことでもある。
私たちにこできることは?…よく言われることだが、簡単にできることでも頭を働かせないと、見逃してしまうことは少なくないにちがいない。情けないことに、私も東北の銘菓ギフトは、お相伴で初めて気づいたことのひとつだ。
私は、「萩の月」の製菓会社と所縁はないものの、冷蔵庫に冷やした「萩の月」は、まさに夏のお菓子にぴったりだと思う。
その送り主は、毎年必ず社名にちなんだものをお中元に送っているのだが、今年は被災地支援の考え方で「萩の月」にしたと言う。
こういうギフトは、お相伴にあずかる者としても、とても気持ちがよい。
もともと「萩の月」は、全国に知られるほどの宮城県の銘菓だ。おいしいこともあり、仙台出張時にはよくリクエストされるものの一つだ。しかし、このたびの大震災では一部生産・営業停止し、ゴールデンウイークには全面復旧したものの、影響は免れないことは十分想像できる。
お中元の採用など、誰にでもできる支援の一つである。けれども、なかなか思いつかないことでもある。
私たちにこできることは?…よく言われることだが、簡単にできることでも頭を働かせないと、見逃してしまうことは少なくないにちがいない。情けないことに、私も東北の銘菓ギフトは、お相伴で初めて気づいたことのひとつだ。
私は、「萩の月」の製菓会社と所縁はないものの、冷蔵庫に冷やした「萩の月」は、まさに夏のお菓子にぴったりだと思う。
2011年7月11日
電子書籍の未来
電子書籍が話題に上るようになってから、どのくらい経つだろう。話題に上り始め頃は、まだスマートフォンが世の中に広まる前のことだ。
はじめの頃、出版業界は戦々恐々としていたように思う。まるで黒船襲来のように。一方で、この流れに遅れをとらないよう、各社が電子書籍への取組みを始めた時期でもある。
読者の立場でも、紙とちがうさまざまな価値を期待し、社会は電子書籍に注目した。
そして現在。
電子書籍は思ったようには普及していない。
私自身も、かなり注目していたわりには1冊しか持っていない。例え欲しくても、電子版が出ていなかったり、探すのが大変だったり、買い方がわからなかったりするからだ。
電子版と紙版-そもそも本来は作り方も、売り方も、仕組みや考え方が違う。
旧来の紙の本・雑誌は、書店で購入できるし、例えなくても取り寄せもできる。書店は年々数が減っているとはいえ、全国にその数、2010年の数字で15,519店。2000年に約22,000軒あったことを考えれば、かなり減ってはいるが、それでも大変な流通網だ。書店流通で長年展開してきた出版社にとっては、この流通網を大事にしなくてはならない事情もある。しかし、再販制度がとられる出版業界では、売れなければ返本されるし、昔ほど本が売れない今、次々と新刊本を出さなくてはならない宿命を抱えている。特に大手の出版社は長年の蓄積がある。
大手出版社の場合は、外部編集スタッフとの共同作業が多い。そのような本や雑誌の編集に関わるプロダクションの立場で見ると、出版社から支払われるコストは年々下がり、かつての3割程度にまで落ちているケースもある。そのため、編集プロダクションとしては、数をこなさなくては事業が継続できないし、必要以上に手をかけられなくもなっている。しかも編集プロダクションは紙の本を作ることを主体としてきているので、紙の本の前にまずは電子書籍からスタート、という取り組みはなかなか対応しにくい。
そうは言っても、超安価な電子書籍も多種出回ってはいる。これらは大手出版社ではなく、電子書籍専門出版社等で出していることが多い。紙の本は出ておらず、電子書籍のみの発行が多いことも特徴のひとつだ。種類は多いが、各々の部数はそう多くなく、著者も著名人でない人が多い。ほとんどは売場はWeb上で、リアル店舗を持たない。電子書籍の場合は、流通コストや印刷コストがかからない分、出版されにくいものハードルが低く、出版されやすい。電子書籍の場合、著者に入る印税の割合も、紙の本よりもはるかに大きいので、著者にとっては魅力もある。出版社にとっては、コストをかけずに紙の本を発行するかどうか判断する前に様子を見ることができるメリットもあるだろう。
さて読者はと言えば、電子書籍に対して、紙の本とは異なる価値を期待しがちだ。紙の本ではなかなか再現できない、Webサイトや携帯で慣れ親しんだデジタルの世界に近いものをイメージするからだ。しかも、紙の本よりも安価を期待する向きも否定できない。
けれども現実の電子書籍は、Webのような世界もないことはないが、紙の本をそのままPDF化したようなものが多い。価格も、大手出版社で出している電子書籍の場合は、紙の本とそう大差はない。実際に紙の本を発行している出版社は、そのままデータで販売すれば電子書籍になる。デジタル世界用に新たに手をかけることはコストも手間も大変だが、そのままデータ化するなら可能なので、そういう形になっていくのだろう。
実際、Webのような世界を再現する電子書籍を発行しようとしたら、紙のスタッフで進める編集作業では、技術も手間もコストも成立しなくなってしまう。
音楽がレコード→CD→データ(MP3)と変化していったように、「本」の世界も変化していくだろうか。
出版社が考える電子書籍、読者(消費者)が期待する電子書籍、著者が期待する電子書籍、みんなの思惑はそれぞれ違う。編集・制作側、出版社側、流通、そして読者-それぞれの立場で見ると、今の状況ではかみ合いにくくなっている。市場としての大きく成長しづらいのも、このあたりにあるのだろうと思う。が、それが必ずしも読者のニーズには合わないのだろう。小説など、テキストが命のものなら、紙の本をそのままPDF化したような電子書籍は成立するだろうが、雑誌や実用書など、写真や図解を多用したり、より深い情報まで欲しくなってしまうようなものは、読者から見るとPDFだけでは物足りなさが残り、電子書籍ならではの展開を期待してしまうことも否めない気がする。
電子書籍の未来は、どうなっていくのか? どこの事情が優先されるのか、もう少し時がたつと答えが出てくるのだろうか。
はじめの頃、出版業界は戦々恐々としていたように思う。まるで黒船襲来のように。一方で、この流れに遅れをとらないよう、各社が電子書籍への取組みを始めた時期でもある。
読者の立場でも、紙とちがうさまざまな価値を期待し、社会は電子書籍に注目した。
そして現在。
電子書籍は思ったようには普及していない。
私自身も、かなり注目していたわりには1冊しか持っていない。例え欲しくても、電子版が出ていなかったり、探すのが大変だったり、買い方がわからなかったりするからだ。
電子版と紙版-そもそも本来は作り方も、売り方も、仕組みや考え方が違う。
旧来の紙の本・雑誌は、書店で購入できるし、例えなくても取り寄せもできる。書店は年々数が減っているとはいえ、全国にその数、2010年の数字で15,519店。2000年に約22,000軒あったことを考えれば、かなり減ってはいるが、それでも大変な流通網だ。書店流通で長年展開してきた出版社にとっては、この流通網を大事にしなくてはならない事情もある。しかし、再販制度がとられる出版業界では、売れなければ返本されるし、昔ほど本が売れない今、次々と新刊本を出さなくてはならない宿命を抱えている。特に大手の出版社は長年の蓄積がある。
大手出版社の場合は、外部編集スタッフとの共同作業が多い。そのような本や雑誌の編集に関わるプロダクションの立場で見ると、出版社から支払われるコストは年々下がり、かつての3割程度にまで落ちているケースもある。そのため、編集プロダクションとしては、数をこなさなくては事業が継続できないし、必要以上に手をかけられなくもなっている。しかも編集プロダクションは紙の本を作ることを主体としてきているので、紙の本の前にまずは電子書籍からスタート、という取り組みはなかなか対応しにくい。
そうは言っても、超安価な電子書籍も多種出回ってはいる。これらは大手出版社ではなく、電子書籍専門出版社等で出していることが多い。紙の本は出ておらず、電子書籍のみの発行が多いことも特徴のひとつだ。種類は多いが、各々の部数はそう多くなく、著者も著名人でない人が多い。ほとんどは売場はWeb上で、リアル店舗を持たない。電子書籍の場合は、流通コストや印刷コストがかからない分、出版されにくいものハードルが低く、出版されやすい。電子書籍の場合、著者に入る印税の割合も、紙の本よりもはるかに大きいので、著者にとっては魅力もある。出版社にとっては、コストをかけずに紙の本を発行するかどうか判断する前に様子を見ることができるメリットもあるだろう。
さて読者はと言えば、電子書籍に対して、紙の本とは異なる価値を期待しがちだ。紙の本ではなかなか再現できない、Webサイトや携帯で慣れ親しんだデジタルの世界に近いものをイメージするからだ。しかも、紙の本よりも安価を期待する向きも否定できない。
けれども現実の電子書籍は、Webのような世界もないことはないが、紙の本をそのままPDF化したようなものが多い。価格も、大手出版社で出している電子書籍の場合は、紙の本とそう大差はない。実際に紙の本を発行している出版社は、そのままデータで販売すれば電子書籍になる。デジタル世界用に新たに手をかけることはコストも手間も大変だが、そのままデータ化するなら可能なので、そういう形になっていくのだろう。
実際、Webのような世界を再現する電子書籍を発行しようとしたら、紙のスタッフで進める編集作業では、技術も手間もコストも成立しなくなってしまう。
音楽がレコード→CD→データ(MP3)と変化していったように、「本」の世界も変化していくだろうか。
出版社が考える電子書籍、読者(消費者)が期待する電子書籍、著者が期待する電子書籍、みんなの思惑はそれぞれ違う。編集・制作側、出版社側、流通、そして読者-それぞれの立場で見ると、今の状況ではかみ合いにくくなっている。市場としての大きく成長しづらいのも、このあたりにあるのだろうと思う。が、それが必ずしも読者のニーズには合わないのだろう。小説など、テキストが命のものなら、紙の本をそのままPDF化したような電子書籍は成立するだろうが、雑誌や実用書など、写真や図解を多用したり、より深い情報まで欲しくなってしまうようなものは、読者から見るとPDFだけでは物足りなさが残り、電子書籍ならではの展開を期待してしまうことも否めない気がする。
電子書籍の未来は、どうなっていくのか? どこの事情が優先されるのか、もう少し時がたつと答えが出てくるのだろうか。
2011年7月4日
厳しいからこそ!・・・節電だから盛り上がること
7月から本格的節電がスタートした。
節電だから産業界が縮小するなどとあちこちで言われているし、経済への影響は図りしれないとは思うが、節電だからこそ生まれる(盛り上がれる)需要を作ることもできる。
東京都内の自治体では、冷房の効いた集会所を「街なか避暑地」と名付け、多くの人に涼みに来てもらうことで家庭の消費電力を抑える取り組みを始めている。単純に、暑い時間に自宅にいないで公民館や図書館などに集おうというものなのだが、節電につながることはもちろん、都会で不足がちな近隣同士のコミュニケーションを深める効果も期待できる。新たな投資も不要だし、社会にとってもいい提案だと思っていたところ、それをさらに発展させて、新たな需要を生もうと言う企業の取り組みも始まった。
誰かの家(イエ)に集まって、仲間たちと一緒に楽しく過ごすことを提唱している「イエ会プロジェクト」。無料のメーリングリストサービス「らくらく連絡網」事業を手がけるイオレが実施している。
家に人が集まると楽しい、仲間と過ごす時間は楽しい、だから家に仲間を呼んで楽しく過ごそう、という提案だ。プロジェクトには企業の協賛もついている。
第1段は「がんばれニッポン!応援団!」。今、ひとりでいるよりも誰かと一緒にいることが安心できるし、楽しいし、それが日本を元気にすることにつながる、ということに加えて、誰かを応援しようという考え方だ。東日本大震災以降、絆の重要性が叫ばれているからこそ、今、大きな共感を得ることだろう。現在500万近いユーザーを抱える「らくらく連絡網」にとっては、さらなるサービスの認知向上や普及拡大にも寄与する。
最近増えているシェアハウス。私の知人は普通のシェアハウスをさらに1歩進めて、同居している者同士、互いに夢を語ったり悩みを聞き合ったり励ましあったりしながら、一緒に歩いていこうという考えを具現化したレイアウトのシェアハウスを今年はじめにスタートした。当初は入居者がなかなか決まらなかったが、震災以降に一気に入居希望が増えたと言う。やはり、「ひとり」でいることの不安や、絆を求める気持ちが高まっていることがわかる。
節電だからこそ始まる「イエ会プロジェクト」は、そういう社会の背景が後押ししている。節電など、経済界にとって厳しいことも、企画次第で新しい需要を生む。しかももっと「幸せ」になるための方向で。「街なか避暑地」は家にいる主婦を対象に、「イエ会プロジェクト」は若者を対象にした取り組みではあるが、他のターゲットでも新しい需要が生まれそうな予感がする。シチュエーションを変えるなど、次々に市場は作れそうだ。苦難や苦境があるからこそ、人は智恵を絞る。苦境や苦難は新しい商売を生むためのチャンスでもあるのだ。
節電だから産業界が縮小するなどとあちこちで言われているし、経済への影響は図りしれないとは思うが、節電だからこそ生まれる(盛り上がれる)需要を作ることもできる。
東京都内の自治体では、冷房の効いた集会所を「街なか避暑地」と名付け、多くの人に涼みに来てもらうことで家庭の消費電力を抑える取り組みを始めている。単純に、暑い時間に自宅にいないで公民館や図書館などに集おうというものなのだが、節電につながることはもちろん、都会で不足がちな近隣同士のコミュニケーションを深める効果も期待できる。新たな投資も不要だし、社会にとってもいい提案だと思っていたところ、それをさらに発展させて、新たな需要を生もうと言う企業の取り組みも始まった。
誰かの家(イエ)に集まって、仲間たちと一緒に楽しく過ごすことを提唱している「イエ会プロジェクト」。無料のメーリングリストサービス「らくらく連絡網」事業を手がけるイオレが実施している。
家に人が集まると楽しい、仲間と過ごす時間は楽しい、だから家に仲間を呼んで楽しく過ごそう、という提案だ。プロジェクトには企業の協賛もついている。
第1段は「がんばれニッポン!応援団!」。今、ひとりでいるよりも誰かと一緒にいることが安心できるし、楽しいし、それが日本を元気にすることにつながる、ということに加えて、誰かを応援しようという考え方だ。東日本大震災以降、絆の重要性が叫ばれているからこそ、今、大きな共感を得ることだろう。現在500万近いユーザーを抱える「らくらく連絡網」にとっては、さらなるサービスの認知向上や普及拡大にも寄与する。
最近増えているシェアハウス。私の知人は普通のシェアハウスをさらに1歩進めて、同居している者同士、互いに夢を語ったり悩みを聞き合ったり励ましあったりしながら、一緒に歩いていこうという考えを具現化したレイアウトのシェアハウスを今年はじめにスタートした。当初は入居者がなかなか決まらなかったが、震災以降に一気に入居希望が増えたと言う。やはり、「ひとり」でいることの不安や、絆を求める気持ちが高まっていることがわかる。
節電だからこそ始まる「イエ会プロジェクト」は、そういう社会の背景が後押ししている。節電など、経済界にとって厳しいことも、企画次第で新しい需要を生む。しかももっと「幸せ」になるための方向で。「街なか避暑地」は家にいる主婦を対象に、「イエ会プロジェクト」は若者を対象にした取り組みではあるが、他のターゲットでも新しい需要が生まれそうな予感がする。シチュエーションを変えるなど、次々に市場は作れそうだ。苦難や苦境があるからこそ、人は智恵を絞る。苦境や苦難は新しい商売を生むためのチャンスでもあるのだ。
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