2012年1月5日

欲しいものがない

2012年がスタートした。
昨年は東日本大震災、原発事故、世界経済不安と、次々と大変なことが続き、考えることや思い悩むことが多い年になった。価値観も大きく変わってきた。本当の幸せとは何だろうと、私自身もそうだが、誰もが考えるようになったことだろう。
そういう年を受けて明けた今年は、どんな年になるのだろう。

我が家の場合、東京を離れない限り、お正月は夫婦双方の実家でそれぞれ集まるのが恒例だ。そこでは必ず、子どもたちへのお年玉を配る、という行事がある。
我が家には子どもがいないのでお年玉は配るばかりで、もらったり使ったりするのを身近で見ないため、私は現代のお年玉事情をよく知らない。

今の子どもは、なぜお年玉が楽しみなのか?
お年玉で何を買おうとしているのか?

先日、同世代の男性が「今、欲しいものがない。」と言った。
欲しいものがないのはつまらないことだ。
何かが欲しいからそれを買うためにお金が欲しいし、そのために人はがんばって働くし、欲しいものを考えるのは楽しいし、欲しいとなったら手に入れるまでの気持ちは必死だたりワクワクしたりするものである。楽しみな気持ちは幸せのひとつのように思う。
でも、それがないと言うのだ。
考えてみれば、私もそうかもしれない。
モノとなると、今、私は欲しいものが浮かばない。
私が若かったころは、欲しいものをリストにして一つ一つ手に入れるためにがんばっていた。
親にねだるのではなく、自分で手に入れたいと思った。親に買ってもらう人を羨ましながらもどこかで見下していたように思う。そのためにアルバイトもしたし、やりくりもした。手に入るまではあれこれ悩んだものだ。
でも今は、欲しいものは手に入れてしまったので、もういらない、という状態なのかもしれない。
モノがいっぱいありすぎてしまう場所がない。
所有するモノに自分がとらわれたくない。
だから欲しくないという側面もある。

そう考えると、モノを作っている企業は大変だ。
買ってもらわないことには経済活動が回らない。
だからいろいろな付加価値をつけてくる。
こんな機能がついている、こんな役にも立つ、と言う風に。
けれどもそれはあまり使わない機能だったり、欲しくもない価値だったりする。
へぇ、すごいね。でも私は別に必要ない、ワクワクしない・・・という風に。

その話をした彼が言うには、「何もなかった昔は、ないから、欲しかった。」。
今はあるから必要ないのだ。

いつもお腹がいっぱいで、飢餓感がない。
だから、「欲しい」という欲求を感じなくなってしまったのだ。

今の子どもはどうだろう? 「欲しい」と感じているだろうか?
最近の子どものお年玉の使い道のトップは「貯金」だとか。
「欲しい」気持ちを我慢しての「貯金」ならまだしも、「欲しい」気持ちがわかないのだとしたら、それは大変なことだ。

モノで気持ちがワクワクする時代など、もうとっくに終わってしまったのかもしれない。