料理写真家の大御所、佐伯義勝先生が亡くなりました。
享年、84歳。
私が仕事を始めたばかりの頃、雑誌で美しいシズルを出す料理写真と言えば、佐伯先生だった。
「家庭画報」など、目を見張るほどのきれいな料理写真は、たいてい佐伯先生の撮影。
大学で栄養学を専攻した私は、卒業後、広告代理店に就職し、テレビの料理番組や食物関係の企画制作の仕事を担当した。
食物の栄養のことは勉強して知っていても、料理を美しく見せたり、盛り付けたり、ましてや写真のことなど何も知らなかった。企画制作どころか、その前の資料集め等準備が中心で、撮影現場に連れて行ってもらった時は見学しつつ雑用のお手伝いを少々。ほとんど役に立ってなどいなかった。
当時、料理関係の撮影となると、佐伯先生のお弟子さんのカメラマンさんがやってくる、というのが通例で、カメラマンは自ら「自分は佐伯先生の何番弟子だ」などとおっしゃっておられるほど。まだヒヨッコだった私にとって、佐伯先生は雲の上の方だった。
その佐伯先生のお料理の撮り方は、おいしいものをそのまま。
「湯気も照りも、おいしいものは一番おいしそうなところをそのまま。余計な手は加えない。」と。
熱いものはアツアツのうちに。少しでも冷めたらすぐに作り直しで、いくつも作ったものだった。
一方で、写真撮影の技術と環境は、この数十年で劇的に変わった。
フィルムからデジタルに変わり、撮影する前の食材に手を加えることどころか、撮影後の写真にデジタル加工するなど当たりまえの世の中だ。
最近の私は、料理に関わる仕事をしていないので、最近の佐伯先生が、どのようなお仕事をされていたかは存じ上げないが、近しい人のお話によれば、前日まで、撮影のお仕事をされていたそうだ。
「佐伯先生らしい最期だと思います。」とのこと。
昨今どんな業界でも、例え大御所といえども一線を退かざるを得ない世の中ですが、最後の最期まで現役で仕事に携わっていられるというのは、本当に輝かしいことであり、理想の逝き方だと思います、と、かつての仕事仲間から、連絡をもらったのだった。
前回「元気な大人増殖を目指したい」でも書いたように、後進に道を譲ることを絶賛する風潮の中、その佐伯先生のお話には、なんだか嬉しくなった。
どんなに年を重ねても、若いものに負けない腕があるのならば、譲らない美学があってもいい。
佐伯先生の訃報連絡をくれた友人からのメールには、
「こうやって昭和を代表する巨匠がいなくなることは、淋しいことでもあります・・・」
と書いてあった。
本当にそうだ。
だからこそ余計に、いくつになっても頑張っているいろいろな方を見ると感動するし、勇気がわくのかもしれない。