2013年7月31日

科学の進歩が可能性の芽を摘むことはないだろうか

高校時代、勉強は嫌いだったが、理科は好きだった。
中でも生物は、マクロの生態系と、ミクロの遺伝子DNAという、正反対なことを学ぶのが面白くてぐいぐい惹きこまれていった時期がある。
進路を考える時に、成績が悪いなりにも、「食う⇔食われる」の関係を基本にする生態系と、人の神秘を探り解明していく遺伝子工学と、どちらの方向が自分に向いているか、真剣に悩んでいたことがあった。
そんな思いが発端になって紆余曲折の結果、私は栄養学に進むことになったのだが(それについては別の機会にゆずる)、悩んでいた当時、DNAがらせん状であること、遺伝子の配列はたった4つのA、T、C、Gの組み合わせであることを学び、SF映画を見るようにワクワクしたものだ。
高校生の頃、そんなことが解明されたらすごいだろうなあ、と思っていた。

それがSF映画なんかではなく、現実としてもう次々解明できつつあることを、7月7日のNHKスペシャル「あなたは未来をどこまで知りたいですか~運命の遺伝子~」で伝えていた。
おそらく反響が大きかったのだろう。今日の朝イチでも、「ちゃんと知りたい、遺伝子検査」という特集で、この情報が取り上げられた。

さて、そのDNA、いろいろなことが解明されてきたために、遺伝子が原因の病気の治療に役立てらるようになった。がん細胞の遺伝子の解明で、がんの進行を抑えることもできる。その人にどんな病気リスクがあるのか、どんな才能があるのか、までが見えるようになってきた。
その結果、子どものDNAを調べ、どんな才能があるかを確認した上でお稽古ごとを選ぶことができる。
好きな人の病気リスクを調べてから結婚を決めることができるかもしれない。

私が夢物語でワクワクしていたのは、現実では四半世紀以上前とは言え、それでも私にとってはついこの間のことだ。
けれども、当時ワクワクしていたはずが、今の私は、もはや、そういうことにワクワクはできない。何か納得できないものがある。

今年の5月、ハリウッド女優、アンジェリーナ・ジョリーが、乳がんリスクが高い遺伝子と知ったことで乳房切除手術を行ったことが大きなニュースになった。私も驚いたし、その精神的強さに私自身が感動したのも事実だ。

遺伝子で才能がわかる、遺伝子で病気リスクがわかる、遺伝子で未来がわかる・・・?!

私が納得できないのは、遺伝子を知ることで人生を制限してしまいそうなところにある。
遺伝子情報を知った本人、知った家族(親など)は、それを知ったことで生き方を変えることはないのだろうか。可能性を伸ばすこともあるだろうが、可能性の芽を摘むことはないのだろうか。

さらに、知る権利と知らない権利について。
知りたい人がその権利を行使するのは理にかなっているのかもしれないが、知らずにいたかった人が知ってしまうことはないのだろうか。「何も知らなかった時」に後戻りはできない。

科学の発達はすばらしいことだ。医学の発展もすばらしいことだ。
けれど、それが本当に幸せに向かっているのかどうかを考えると、私はときどきわからなくなる。

その昔、「がん告知」は家族が別室に呼ばれてされるもので、本人には告知されない時代があった。
今では、地域差や医療機関によって多少の差があるかもしれないが、風邪ではなくインフルエンザだと告げられるのと同じように、がんは医師から本人に告げられる。治療に向かって頑張っていきましょう、という言葉とともに。
医学の進歩だからこそのことだとは思うが、誰もがそれに対応できるわけではないと思う。中には「知りたくなかった。」と思う人もいるだろうに、そういう権利は守られない。「知る権利」の方が優先されるからだ。

そして、遺伝子情報を知ったがために、諦めてしまうことができたり、遺伝子情報による人の選別や差別が起きたりするような社会がもしもやってくるとしたら・・・。怖いことだと思わざるを得ない。アンジェリーナ・ジョリーは確かに素敵だし、素晴らしいと思うが、それでもやはり私は、納得できない思いがどうしても残ってしまうのだ。