ズバッと言うのが売りのタレント、みのもんたさん。
ご次男の逮捕で、報道番組出演を自粛された。
逮捕されたのは窃盗未遂容疑で、そのご次男は某テレビ局勤務の31歳。
13日に、みのさん自身が「父親として深く責任を感じている」として謝罪し、敬老の日をまたぐ連休を明けてからは、メディアはこぞって「親の責任とは?」という取り上げ方をしていた。
みのさんが責任を感じているちしながらも、会見でも語った「20歳越えれば別人格」。
これに賛同し、みのさんに同情するコメントが次々と出てきている一方で、みのさんの場合はどうかは別として、という前置きつきで、たとえ20歳を超えても例外として親が責任をとるべき場合とは?と言ったコメントまで飛び出していた。
いったい親の責任というのはいつまで問われるものなのか、と思ってしまう。
本来、成人した子どもが何をしようと、
親が責任をとる必要などないと私は考えている。
でも私が今回、何よりも感じたのは、そんなことではなかった。
責任云々ではなく、私が感じたのは、みのさんの親の情。
そして、提供サービスの質を落としたくない(キャスターとして、中立の立場で語ること)という、みのさんの矜恃。
今回のみのさんの決断は、そういう両方の気持ちに挟まれた結果であり、ご次男の件で責任をとる、というニュアンスとは少し違うものを私は感じている。
だからいいとか悪いとか言うのではない。
みのさんが有名人であるからこその親子関係、
親が大物であるがために、子どもは幼い頃からさまざまな人的交流と人間関係に恵まれ、一般の人とは違うものがあったかもしれない。
それを批判する向きもあろう。
容疑を否認している息子に対して、みのさんは子ども信じたいと思っている。
そういう思いを、みのさんは実際に口にした。
それは、何歳になっても親は親であるということを痛感させるもので、私には親の情けや愛情を感じずにはいられなかった。
そんな親の愛情を「甘い」と言う声もあるだろう。
実際、みのさんに対してもいろいろな批判が出ているようだが、みのさんの会見を見ながら、自分の親のことを思い浮かべた人も多かったのではないだろうか。
私自身は今さらながら、かつて自分が悪いことをした時の親の処し方を思い出したり、親が自分のことを心配するのを今でも煩わしく感じることなどを、自然に思い浮かべずにはいられなかった。
そもそも成人した子供が犯した罪の責任など、誰にも問う資格などないと思う。
しかし今回の件は、みのさんが責任をとって降板したというよりはむしろ、子どもへの愛情、子どもを信じたいという思いがあるために、結果的に報道の仕事を続けられなくなった、というのが実情なように思う。
私自身も、みのさんの責任感というよりは、親の情を感じたことで、みのさんの中にある親の顔を垣間見たような気がした。
それは、中高年以上の親世代視聴者にとっては、大きな共感と同情を誘うことになったに違いない。
当該番組視聴者の主流は、そういう人たちだったのではないだろうか。
みのさんがそれを狙っていたかどうかはわからないが、イメージが大切なキャスターにとっては、賢明な対応だったと思う。
個人的には、私は、親としての顔、仕事人としての顔、その両方の顔を大事にしたいという姿勢が痛いほどわかったから、みのさんへの批判の思いなどはまったく感じなかった。
そして、自分のキャスターとしての品質を落としたくないというところには、仕事人としての姿勢としても賛同する。
そして、自分のキャスターとしての品質を落としたくないというところには、仕事人としての姿勢としても賛同する。
甘いですか?
ハイ、甘いかもしれません。
私自身は、みのさんを特に好きというわけではまったくないのだが、
しかし、人の気持ちとはそんなものではないだろうか?