2015年9月16日

オバサンなんて絶対呼ばせない!・・・ じゃあなんて呼ばれればいい?

名前を知らない女性を呼ぶ時、なんて呼べばいいのでしょう?
なんて呼ばれればイヤじゃないのでしょう?
考えてみると、呼ぶほうも呼ばれる方も、なかなか悩ましい問題です。

オバチャン? オバサン?

うちには子どもがいないから、子どもに囲まれる機会は圧倒的に少ない。
友だちには独身も多く、私の気分は20~30年前とほとんど変わらず、
自分が子どもから見てどう見えるかなど、あまり考えたことがない。

子どもに「オバチャン」と呼ばれる機会がないこともあり、
日頃オバサンと呼ばれる機会はほとんどない。
甥っ子姪っ子たちには、まだ言葉を話せるようになる前から
オバチャン、オバチャマの類は一切呼ばせず、ずっと「きみこちゃん」と呼んでもらってきた。

孫がいる同級生も出始めてきた今だけれど、
私は、今4歳の姪っ子にも「きみこちゃん」と呼んでもらっている。
どんな場所でもどんな相手にもオバサンなんて、絶対に呼ばせない(笑)。

ご機嫌になれる呼ばれ方がある


先日、学生時代の同級生(女性)数名と会った時のことだ。

「オネエサンって言われちゃった~!」

その友人はとてもご機嫌に言った。
エレベーターに一人で乗っていたら、親子連れが乗ってきたのだと言う。
親子連れは、5歳くらいの男の子とそのパパ。
子どもはパパに「何階?何階?」聞きながら大騒ぎをした後、
彼女はそのパパに「○階お願いします」と言われて、
彼女がフロアのボタンを押したのだ。

そのフロアに着いたとき、

パパ 「オネエサンに御礼を言おうね。」
男の子「どうもありがとう!」

そう言って、親子はエレベータを-降りていったのだと言う。

「オネエサンよ、オネエサン!」

彼女の声は弾んでいた。
まさに、小躍りするするほどに。

彼女の娘さんはとっくに20才を超えている。
彼女の年齢は推して知るべし。
あ、同級生だから私と同じ(笑)、つまり50代だ。

さて、その同級生の

「オネエサンよ、オネエサン!」

という言葉を聞いて、その場に居合わせた他の同級生が言った。

「そのパパ、やるわね~」
「イケメンだったでしょう?」

そこで「オネエサン」と言って友人を小躍りさせた男性に、俄然高得点がついたのだ。
その男性が咄嗟に言った「オネエサン」にはどんな意味があったのだろう。
自然に出た言葉なのか、
かつてイタい思いをしたのか、
それとも・・・(笑)。

不愉快になる呼ばれ方

「オバサン」は今や蔑称。
ビジネスの現場では、今、「オバサン」は差別用語のごとくの扱いだ。
男性の人たちは、内心そう思っていたとしても、
セクハラと捉えられないように、決してそう言わないように
ドキドキしているように見える。

たしかに言われる方にしてみれば、「オバサン」は嬉しくない呼ばれ方だけど、
「オネエサン」とはどうも嘘くさい。
でも名前を知らない場合の呼び方として、どう言われればいいのだろう?

別の友人が遭遇した話を聞かせてくれた。
生鮮食材のお店で70歳前後と思しき上品な女性とお店の人とのやりとりだ。

その女性は食材を購入し、お店に下処理をお願いし、それを待っていた。
できあがったところで、お店の人が一声かけてそれを手渡した。

「はい、オカアサン。できあがり~!」

その一言に、女性のご機嫌が悪くなったのだそうだ。

「私、あなたのオカアサンじゃない!」

失礼じゃない呼び方、不愉快じゃない呼ばれ方とは?

呼ばれ方の捉え方は、たぶん人によってずいぶん違うのではないかと思う。
同じ呼ばれ方でも何も感じない人もいれば、過敏に反応する人もいる。
名前で呼ばれるにしても、本名、名前、ニックネーム・・・
人によって内心嬉しい呼ばれ方もあろうし、実は嫌な呼ばれ方もあるに違いない。

だから自分で呼ばれたい名前をつける人もいる。
実際、
「○○と呼んでください。」
と宣言してからスタートする勉強会もあるくらいだが、
私の場合は、姪っ子など子どもたちに言うことはできても
オトナに向かってそんなことを宣言するのはとても恥ずかしい。

前述のエレベーターのパパはなかなかの世渡り上手かもしれない。
たまたま乗り合わせた程度の関係の場合は、これくらいのスマートさが求められるのか。
でも私にはできそうにない。

前述の生鮮食材のお店のようなケースでは何と呼べばよかったんだろう?
う~ん・・・・「お客さん」か。

本当は失礼にならないようなオールマイティな呼び方があればいいのだけど、
思い当たらない。
かつてはそういう呼称がいろいろあったように思うのだけど、
いろいろな配慮のもとでいつの間にかそれを使いにくい世の中になってきたように思う。

「おばさん」「奥さん」「お母さん」「おばあちゃん」・・・・

実はかつて普通にそう呼ばれていた人たちも、
当時は内心、本当は不愉快だったのかもしれない。
あるいは、人権を大事にしようという動きの中で、
まるで寝た子を起こされたように気にもしなかったことに気づき、
そう言えば不愉快かも?!と思うようになったのかもしれない。

いずれにしろ、
自ら呼んでほしい呼び方をお願いできるような
かなり限定した間柄(あいだがら)には、直接お願いし、
お願いできない間柄の場合は名前をお知らせするのがよさそうだ。
そして、名前を知る由もない間柄の場合は、
そのときの呼ばれ方で一喜一憂するのを楽しむっていうことが求められる気がする。