前回は香港女性の意識について書いてみたが、もう少しオンナ問題について続けて書いてみたい。
とは言っても私が仕事を始めた頃の日本の話だ。当時はまだ男女雇用機会均等法前だった。お茶くみは普通だったし、お客さんと飲みに行けばデュエットとチークダンス。私はセクハラなんて言葉も知らなかったし、仕事の接待とはそういうものなのだと思っていた。それでも当時私が勤務していた会社は、男女関係なくいろいろな仕事のチャンスを与えくれたし、能力がなければ先輩が育ててくれた。そして私は少しづつ仕事を覚えながら、それとともに会社にいろいろな要求もできるようになっていったのだ。
男女雇用機会均等法が施行され、「セクハラ」という言葉を知らない人もいなくなり、いつのまにか仕事の上での「女性の権利」は勝ち取るものではなく、当然のようになってきた。オンナの私が言うのも変な話だが、そういう女性の与えられて当たり前の姿勢や意識に、私はやや違和感を感じている。何事も与えられて当たり前という風土・環境は、結局のところ、人の成長を止めるような気がする。勝ち取っていくための努力や智恵を積むからこそ、その価値が大きくなるし、勝ち取る者にとってはそのありがたみや充実感が増すのだと思う。勝ち取っていく作業は苦しい半面、男性にはできない作業だし、自分と格闘する絶好のチャンスでもある。
企業として女性を戦力化すべきと考えているファーストリテイリングの柳井社長は、女性が活躍するための制度を会社として用意するのは当然としながらも、その仕組み作りには女性が声を上げ、それを形にしていくことが望ましいと、朝日新聞のコラムで書いていたことがある。
その通りだと思う。私自身はあまり女性問題を考えることはないが、それでも女性が頑張る姿勢に接すると、つい自分自身の若かりし頃と重ねて応援したくなってしまうことがある。しかしその女性が長続きしなかったり、簡単に物事をあきらめたりするのに接して、残念に思うことが少なくない。
今や日本では、専業主婦志向の大学生(女子)が増え、私のような考えはもはや前時代的なのかもしれない。でも仕事を通じて、そしてひとつづつ働く上での仕組みやチャンスを手に入れていきながら、自分にとって心地よい環境を手に入れていくことは、必ず自分自身の成長につながるのではないかと私は思う。