2012年2月8日

正しく「あきらめる」ことはポジティブ

「がんばる」ことを重視していくと、「あきらめる」ということは、どこか後ろめたく敗北感に近いものがある。
けれども、仏教講師の菊谷隆太さんによれば、そのうつむく感覚が少し異なり、上に向ける気がする。
そもそも「あきらめる」は仏教由来で「諦観」、「アキラカニ真理ヲミル」ことだそうな。
だから元々の「諦める」は、【なぜそんな結果になったのかの原因を明らかに見なさい】ということで、だいぶニュアンスが違うと菊谷さんご自身もfacebookの個人ページで書いておられる。たしかにぐっと上向きな感じになる。

夢をあきらめる、目標達成をあきらめる、などの言葉は敗北感がある。
けれども、そう至るには必ず原因があったわけで、なぜ夢をあきらめるのか、なぜ目標達成をあきらめるのか、その原因を分析してそに対策を考えたち、克服に努めたりすれば、結果も変わるというのだ。
そこで原因を見なかったりごまかしたりしないこと。
仏教講師の菊谷隆太さんの言葉には沁みるものがある。
あきらめる原因に向き合う方が、あきらめないよりも却って苦しいこともあるだろう。
けれど、あきらめることもポジティブであることを認識できるのは嬉しい。

昨年11月に発売になった、女子サッカー澤穂希選手の著書『負けない自分になるための32のリーダーの習慣』と『夢をかなえる。思いを実現させるための64のアプローチ』は、いずれも売行好調だったそうだ。
そのプロモーションでもしばしば使われる「諦めなければ夢はかなう」。
あまりの明言で、諦めないことだけが正しいように語られる風潮に行きすぎはないだろうか? 
たしかに彼女は素晴らしいけど、「あきらめない」姿こそポジティブであり、強くて、正しくて、あきらめる人はダメなように言われる今の風潮に、私は少々違和感がある。
All or nothingではなく、いろいろながんばりがあっていいと思うのだ。

菊谷さんの言葉は、そんな行き過ぎた風潮に、少し歯止めをかけてくれそうに私には思え、温かい気持ちになった。