2014年5月28日
遺影は選んでおきたいけど準備していない~アンケート調査結果から
2週間ほど前に、フォトブックサービス「MyBook(マイブック)」を展開するアスカネットが、「遺影」に関するアンケート調査の結果を発表した。
http://news.mynavi.jp/news/2014/05/12/076/
「自分の遺影を選んでおきたい」人は約7割。
だけど、「準備している」人はわずか2.2%。
この調査対象は20代から60代が対象なので、年代から考えれば仕方がない結果かもしれない。
都心在住の団塊世代を対象にした別の調査では、2009年には「自分の遺影は過去の写真から自分で選んでおきたい」人は3人に1人だった。
2011年9月には「自分で選ぶ」人は男性50%、女性83%。
東日本大震災を境に、「自分で選ぶ」意識は高まってきたと、当時は強く感じたものだ。
かねてから私は、生きかたや生きざまが表われる人の「顔」に注目してきた。
ある程度の年齢になると、美人が必ずしも魅力的で素敵とは限らなくなる。素敵な人がハンサムとは限らない。逆に、どんなに目鼻立ちが整っていた人でも、その輝きが消えてしまう人も少なくない。
その原因はいったいどこにあるのだろう~そういうことをずっと考えてきた。
それはきっと生き方にあるのだろう。
そういう話をすると、「たしかに」「ある、ある。」「わかる、わかる。」とよく言われるのだから、思い当たる節のある人は多いと思う。
私は、その「顔」の究極が「遺影」だと思うのだ。
「遺影」は、お葬式の場で最も目立っている(と思う)し、亡くなった後も残るし、その写真は遺族の心を癒すこともある。言われた言葉を思い出させてくれることもある。
だからとても大事なものであるはずだ。
その「遺影」を選んでおきたいと思う人が、増えてきたようだ。
でも思うだけで、残念ながら準備している人は多くない。いくら思っていても、実行していなければ叶うことがない。
「いい遺影が残せてよかった。」
「この写真のおかげで・・・」
そういう声は、実際しばしば耳にする。
今回のアスカネットの調査では、その遺影の希望は「普段着で笑顔の遺影」が56.8%と過半数を占め、「好きな場所で撮った遺影」(24.6%)、「趣味の物を持つなど自分らしさの出ている遺影」(13.3%)などが上位にある。昔よく見かけた「正装で真顔の遺影」を希望するのはわずか5.1%だったという。
望ましいことだ。遺族にとってもその方がいいに違いない。
「その時」はいつやってくるか、実のところはわからない。思うだけで実行していなければ、「いざというその時」に、その思いは叶わないし、まわりの悲しみも深い。
たしかにこの数年で「遺影」に対する考え方や意識は大きく変わった。
「準備している」人が半分を超えるのは、果たして何年後になるだろう。