2014年8月22日

実家にある昔の写真、片付けられない? 片付けたくない?!

「もったいない」が口癖の戦前・戦中世代の親を持つ人たちにとって、実家の片づけは大問題だそうな。
メディアでも度々特集され、NHK「あさイチ」でもスタジオでも視聴者FAXでも大いに盛り上がっていた。今週、ビジネス誌『週刊東洋経済』では「実家の片づけ」が40ページの大型特集を組んでいるくらいだ。

片づけというのは、単にモノを捨てるかどうかという問題ではなく、何が大事で何が不要かを区別する、自分の価値観の確認や棚卸しに通じるので、ココロの問題でもある
しかも本人が片づけるのではなく、片づけについて人と話したり一緒に片づけたりする場合は、それを理解できる関係かどうかにつながるので、家族のように関係性が近ければ近いほど難しくもある。

私自身もモノがなかなか捨てられないタチで、どんどんものを溜め込むタイプだ。
特に思い出にはめっぽう弱い。
幸いなことに私の親は比較的あっさりしていてあまり溜め込んではいないので、今のところ私には、実家の片づけという悩みはない。
しかし、親が高齢になって体力が衰えた分、モノを片づけたくても片付けられないから手伝って欲しいという話が来ることが増えてきた。

その中の一つに写真がある。

昔、写真は大事な宝物だったと思う。
立派なアルバムに貼ってあったりするものだ。さて、それをどうしようか?
写真の片づけは難しい。私が最も弱い「思い出」の塊だから。

親が保管してある写真は、親の幼少時代や親戚など、自分のルーツに関わる写真も多いし、私自身が親に可愛がられていた証のようなものもあり、処分するのはそう簡単ではない。
写真は、ゴミ屋敷の元になるような溢れかえるものとは違うが、処分したくもなかなかできないものの一つであることは確かだ。


元々は、高齢の親の人生を子どもがまとめ、感謝の気持ちを親に贈る、のという意味合いでスタートし、提供しているものだ。
しかし、贈り物であろうがなかろうが、写真自分史は、写真を整理する上で有効だと思う。

たまっている写真の中で特に大事な写真はどれか。
それを選別し、その説明を一つづつ付けたコンパクトなオリジナル写真集を作るのだ。
ちゃんとした写真集があれば、残りは比較的安心して捨てられる。
できあがった写真集を家族や親戚に配るのも悪くない。

自分史を書くのは自分をふり返るのに有効と言われるが、日頃文章を書き慣れていない人にとってはハードルが高い。
しかも、書く本人にとっては一生懸命な時間をかけた作品には違いないが、読む人にとってどこまで興味深いものかどうかは疑問なのが辛いところだ。

お元気な人が多い自立型老人ホームには、しばしば図書コーナーがあり、入居者さんが書いた自分史が並んでいる。
特に大学教授やお医者さん、経営者や大企業の重役さん等、社会的な地位の高かった人の自分史が目立つ。
ここに並んでいたとしても、どれだけの人が読むのだろう。

でも写真ならちょっと違うのはないか。
読み手への負担が小さいので、 気楽に見られる。
家族や親戚、友人知人なら、さらに興味深くなり、積極的に見たくなるだろう。
写真だけだと何の写真かわからない場合もあるが、一言二言説明が入っていれば読み手にもわかるし、それがきっかけで会話もはずむ。

自分の人生をふり返るのは大事、棚卸しをしようなどとしばしば言われるが、誰もがそうそうできるものではないだろう。
でも写真を整理するならできるという人もいるのではないか。

本人が思い出に浸りながらやるもよし、楽しみながらやるもよし。家族と一緒にやるもよし。
それが結果的に「家族のためにやる片づけ」になり、「自分のためにやる片づけ」にもなって、人生をふり返ることができるのであれば、一石二鳥、三鳥だ。