先日、かつて勤務していた会社で後輩だった男と飲む機会があり、仕事観について話をした。
私は日頃、クライアントやパートナに対しての「愛」がない仕事はダメと公言している。一方で彼は「仕事に愛なんかいらない」とよく言っていたた。けれど、彼の仕事への姿勢や考え方は私とよく似ていたので、そのことについて私が彼に突っ込んでみた。彼の言葉によれば、それは「愛」ではなく「スキル」だということだったのだ。
「愛」ではなくて、クライアントに喜んでもらうための「スキル」。
「愛」という言葉の概念、捉え方が、私と彼と違ったようだ。彼が言うには、「仕事の上で喜んでほしい」というのは、個人的な感情ではなく、あくまでも仕事の上での話である。だからこそ、「愛」などという曖昧な言葉にはしたくない、仕事の上のことはスキルであるというのだ。ましてや、「人間力が求められる」などというのは、彼にとってあり得ない表現だという。なぜなら、本来人は、仕事だけでなく仕事以外の場面でさまざまなことがあるわけで、仕事のある一場面だけで問題があったとしても、それでその人が否定されるわけではない。「人間力」とか言ってしまうと、それはもはやその人を否定しかねないわけで、そんな表現は使いたくないし、それはあくまでも「スキル」であるはずだ・・・と。
なるほど。彼の考えを聞いて、私は妙に納得。そして、自分が情緒的でありすぎたことを反省する機会を得た。そう言えば、女はとかく情緒的、と世間では言われるなあ・・・などと違うことまで考えてしまった。
私にそういう思いをさせてくれた彼は、そもそも優秀なアドマンであるけれども、彼は、約10年前に私の部下であったこともある後輩だ。そういう人が自分を反省させたり納得させたり感動させたりする機会に出会うと、私はとてもうれしくなる。
2010年12月16日
2010年12月10日
運も実力のうち
私は、かなり若いころから自分のことを運のいい人間だと思っている。今でもそれは変わらない。
どのように運がいいのかと言えば、健康であること。大きな病気をすることなく、心身共に健康で、かなりの苦境やハードな場面に立たされても、体を壊すことはないし、多少寝なくても平気なくらいのタフさは持っている気がする。おかげで仕事でトラブルがあったときも、体力的に無理ができ、バタバタしながらも乗り切れたことは少なくない。就職してからは上司に恵まれた。何度かの人事異動を繰り返すも、いつもいい上司に恵まれていたように思う。そのおかげもあって、若い頃には分不相応にいい扱いを受けたり、実力以上のチャンスをもらうこともあったような気がする。そして何より、出会う人に恵まれている。仕事もプライベートも含めて、本当にいい人に出会ってきた。これは最大のラッキーだと思っている。
すごく優秀だけど、しばしば「運がいいね」と言われる男がいた。彼は、そう言われるたびに「ハイ!運だけで生きてますから!」と明るく返しているが、いやいや彼の場合は、周りの妬みもあって「運がいい」と言われるにすぎない。運がいい風に仕向けて行くために、彼は人の何倍も努力し、頭を使っていることが、私にはよくわかるのだ。
11月27日の朝日新聞で、勝間和代氏が「幸運は天から降ってこない」というコラムを書いていた。イギリスの心理学者の法則をベースに、幸運は天から降ってくるものではなく、心がけ次第で自分で見つけられるものだと最後に締めている。おもしろかったのは、運がいいか悪いかは、後天的な考え方や行動習慣から違いが現れるということ。運がいいと思っている人は、例え不幸があっても運が好転するし、うまくいくだろうという自信があるというのだ。
「運も実力のうち」とよく言われるのは、どうやらうそじゃなさそうだ。
小さいころから私を見てきた母は、私のことを「運が悪くてかわいそうだと思うのに、当の本人はなんとおめだたいこと!」と言って笑うが、とんでもない! 私自身はやっぱり運がいいと思っている。
勝間氏が紹介してくれた、心理学者ワイズマンの4つの法則は、私自身は知らないものだったが、意外と私の行動規範に合うもので、私をさらに幸運にしてくれそうな気もして、気分がよくなった。
私自身は前述の彼のように運がよくなるような努力をしているとはまるで言えないのだが、これからも運のいい人であり続けたいものだし、そう心がけていきたいと思う。
どのように運がいいのかと言えば、健康であること。大きな病気をすることなく、心身共に健康で、かなりの苦境やハードな場面に立たされても、体を壊すことはないし、多少寝なくても平気なくらいのタフさは持っている気がする。おかげで仕事でトラブルがあったときも、体力的に無理ができ、バタバタしながらも乗り切れたことは少なくない。就職してからは上司に恵まれた。何度かの人事異動を繰り返すも、いつもいい上司に恵まれていたように思う。そのおかげもあって、若い頃には分不相応にいい扱いを受けたり、実力以上のチャンスをもらうこともあったような気がする。そして何より、出会う人に恵まれている。仕事もプライベートも含めて、本当にいい人に出会ってきた。これは最大のラッキーだと思っている。
すごく優秀だけど、しばしば「運がいいね」と言われる男がいた。彼は、そう言われるたびに「ハイ!運だけで生きてますから!」と明るく返しているが、いやいや彼の場合は、周りの妬みもあって「運がいい」と言われるにすぎない。運がいい風に仕向けて行くために、彼は人の何倍も努力し、頭を使っていることが、私にはよくわかるのだ。
11月27日の朝日新聞で、勝間和代氏が「幸運は天から降ってこない」というコラムを書いていた。イギリスの心理学者の法則をベースに、幸運は天から降ってくるものではなく、心がけ次第で自分で見つけられるものだと最後に締めている。おもしろかったのは、運がいいか悪いかは、後天的な考え方や行動習慣から違いが現れるということ。運がいいと思っている人は、例え不幸があっても運が好転するし、うまくいくだろうという自信があるというのだ。
「運も実力のうち」とよく言われるのは、どうやらうそじゃなさそうだ。
小さいころから私を見てきた母は、私のことを「運が悪くてかわいそうだと思うのに、当の本人はなんとおめだたいこと!」と言って笑うが、とんでもない! 私自身はやっぱり運がいいと思っている。
勝間氏が紹介してくれた、心理学者ワイズマンの4つの法則は、私自身は知らないものだったが、意外と私の行動規範に合うもので、私をさらに幸運にしてくれそうな気もして、気分がよくなった。
私自身は前述の彼のように運がよくなるような努力をしているとはまるで言えないのだが、これからも運のいい人であり続けたいものだし、そう心がけていきたいと思う。
2010年12月5日
スジを通す
新たな分野の仕事を始める時には、たいていその業界やその分野に関連する資料を調べたり、関連する人を捜して話を聞く機会をうかがったりするようにしている。特に人の話を聞くことは、資料では計り知れないことがわかったり、裏事情をのぞけたりするので、大きな価値がある。
けれども、その業界や分野によっては、「人」にたどりつくのが意外と大変だったりする。というのも、「人」には“格”と言うのがあって、その“格”を無視すると面倒なことになるからだ(と思われる)。例えば、その分野の話を聞くには、まず誰に話を聞くかだが、ある人に話を聞いた後で他の人にも話が聞きたいとなる場合は、それぞれの“格”が問題になるのだ。はじめに聞いた人よりも“大物”に、あとから話を聞くわけにはいかないという場合が出てくることがある。まず聞くなら“大物”からで、“大物”から話を聞けなかったらその次の“大物”・・・という風に、スジを通さねばならない、とアドバイスをもらうことがあるのだ。
事情は推察できるので、私自身もその法則にのっとって動くようにはしている。けれども往々にして“大物”ご本人は、あまりそのようなことを気にしていないケースが多い。こちらの趣旨や目的が明確でさえあれば、とても気さくに話をしてくれたりする。そういうことを気にしているのは、ご本人よりもむしろ周りにいる人たちのような気がする。「○○さんをさしおいて・・・」ということなのだろう。
中に入る人や周りの人とも気持ちよく仕事を進める上で、スジを通すことは大事なことではあるけれど、それ以上に大事なことは、こちら側がどういう考え方で何のためにどんな話を聞きたいのかが明確であることだと思う。もちろん、ご本人に迷惑がかからないことは言うまでもない。
けれども、その業界や分野によっては、「人」にたどりつくのが意外と大変だったりする。というのも、「人」には“格”と言うのがあって、その“格”を無視すると面倒なことになるからだ(と思われる)。例えば、その分野の話を聞くには、まず誰に話を聞くかだが、ある人に話を聞いた後で他の人にも話が聞きたいとなる場合は、それぞれの“格”が問題になるのだ。はじめに聞いた人よりも“大物”に、あとから話を聞くわけにはいかないという場合が出てくることがある。まず聞くなら“大物”からで、“大物”から話を聞けなかったらその次の“大物”・・・という風に、スジを通さねばならない、とアドバイスをもらうことがあるのだ。
事情は推察できるので、私自身もその法則にのっとって動くようにはしている。けれども往々にして“大物”ご本人は、あまりそのようなことを気にしていないケースが多い。こちらの趣旨や目的が明確でさえあれば、とても気さくに話をしてくれたりする。そういうことを気にしているのは、ご本人よりもむしろ周りにいる人たちのような気がする。「○○さんをさしおいて・・・」ということなのだろう。
中に入る人や周りの人とも気持ちよく仕事を進める上で、スジを通すことは大事なことではあるけれど、それ以上に大事なことは、こちら側がどういう考え方で何のためにどんな話を聞きたいのかが明確であることだと思う。もちろん、ご本人に迷惑がかからないことは言うまでもない。
2010年11月24日
愛情表現から見るコミュニケーション
私自身は典型的な日本人だし、日本語以外の言語をまったく話せないので、日本語を話せない人と愛を育むなど、想像もできないことだ。けれども、一般に欧米の人はI love youを連発し、愛情表現が豊かだというのはよく言われることだし、きっと国際結婚した夫婦の場合は、愛情表現はかなり違うんだろうな・・・とおぼろげに感じていた。
先日、日本人と結婚し、日本でビジネスを展開しているインドの女性に会う機会があり、「日本人の男性は愛情表現が冷たいでしょう?」と聞いてみたところ、意外なことにその答えはNO!だった。彼女が言うには、「“I love you”など、言おうと思えば思っていなくてもいくらでも言える。日本の人はあまり言葉にしないけれど、日々の態度などで心を感じるから却って愛情の深さを感じる。」と言うのだ。
これは、夫婦という関係だからこその話なのかもしれない。それでも、心のないコミュニケーションなど意味がなく、愛情の安売りにしか映らないのだということを、改めて感じた。
ビジネスの上でも同じなのかもしれない。言葉にしなくては伝わらないことはたくさんる。けれども、心がこもっていなければ、結局は伝わらないに違いないのだ。
蛇足だが、彼女は「今はいいけれど、年をとったら日本には住みたくない。」と言う。日本は老人にやさしくない国だからと。実際、海外を渡り歩いた彼女の両親は、今、日本でもインドでもなく、ニュージーランドに住んでいるそうだ。老人にやさしくない国、日本は、今後どうなっていくのか。国際的にどのように見えていくのだろうか。
先日、日本人と結婚し、日本でビジネスを展開しているインドの女性に会う機会があり、「日本人の男性は愛情表現が冷たいでしょう?」と聞いてみたところ、意外なことにその答えはNO!だった。彼女が言うには、「“I love you”など、言おうと思えば思っていなくてもいくらでも言える。日本の人はあまり言葉にしないけれど、日々の態度などで心を感じるから却って愛情の深さを感じる。」と言うのだ。
これは、夫婦という関係だからこその話なのかもしれない。それでも、心のないコミュニケーションなど意味がなく、愛情の安売りにしか映らないのだということを、改めて感じた。
ビジネスの上でも同じなのかもしれない。言葉にしなくては伝わらないことはたくさんる。けれども、心がこもっていなければ、結局は伝わらないに違いないのだ。
蛇足だが、彼女は「今はいいけれど、年をとったら日本には住みたくない。」と言う。日本は老人にやさしくない国だからと。実際、海外を渡り歩いた彼女の両親は、今、日本でもインドでもなく、ニュージーランドに住んでいるそうだ。老人にやさしくない国、日本は、今後どうなっていくのか。国際的にどのように見えていくのだろうか。
2010年11月4日
中国の活況
ビジネスで日本に来た中国からのお客様との会食があった。こちらは5名、先方は3名。先方の3名に加えて、こちら側の2名の合計5名が中国人だ。
こちらの中国人2名と、相手の1名が日本語と中国語を自由に話す。私自身はまったく中国語は話せないし、英語もほとんど無理な状態のドメスティック人間だ。それでも、会食中の中国人はやたら元気でよく話す。食事の場は大変な賑やかさだ。しかも会話のスピードも早い。通訳してもらいながらの会話になるので、話をするのに時間はかかるのだが、それでもスピード感は伝わってきて、話に勢いを感じる。
彼らは「ビジネスは政治よりも進んでいる」とサラリと言いながら、来春以降のビジネスの提案を次々と話題に出し、「日本は1億2000万人、アメリカは3億人、でも中国の人口は13億人だから。」と言う。これが勢いの源だ。
「銀座の土地は上海よりも安くて価値がある」と言う彼らの背景にあるのは、中国では70年後に土地を返還しなくてはならないという現実だ。日本の土地であれば子孫に残すことができるので、価格差以上に価値が高くなるのだ。しかも中国の人たちが土地を買うときはキャッシュで購入する。ローンなど組まない。威勢のいい話で、最近の私の身の回りにはあまりない空気感だ。
会話の端々から感じる中国の進歩は、日本から見たイメージとはかなりかけ離れている。私がイメージしていた中国は、どうやら20~30年前の中国のようだ。ちょっとした話題に「あ~、90年代の話ね・・・」と笑う彼らを見ると、彼らにとって90年代などもはや大昔なことなのがよくわかる。
ちなみに会食の場になった店(銀座のすき焼き屋さん)の仲居さんに話を聞いてみると、現在確かに中国のお客様は多いのだが、それでも2年前に比べればビジネス系のお客様は減ったようで、今はビジネスだけでなく観光で来店するお客様が多くなって生きているのが特徴だそうだ。
こちらの中国人2名と、相手の1名が日本語と中国語を自由に話す。私自身はまったく中国語は話せないし、英語もほとんど無理な状態のドメスティック人間だ。それでも、会食中の中国人はやたら元気でよく話す。食事の場は大変な賑やかさだ。しかも会話のスピードも早い。通訳してもらいながらの会話になるので、話をするのに時間はかかるのだが、それでもスピード感は伝わってきて、話に勢いを感じる。
彼らは「ビジネスは政治よりも進んでいる」とサラリと言いながら、来春以降のビジネスの提案を次々と話題に出し、「日本は1億2000万人、アメリカは3億人、でも中国の人口は13億人だから。」と言う。これが勢いの源だ。
「銀座の土地は上海よりも安くて価値がある」と言う彼らの背景にあるのは、中国では70年後に土地を返還しなくてはならないという現実だ。日本の土地であれば子孫に残すことができるので、価格差以上に価値が高くなるのだ。しかも中国の人たちが土地を買うときはキャッシュで購入する。ローンなど組まない。威勢のいい話で、最近の私の身の回りにはあまりない空気感だ。
会話の端々から感じる中国の進歩は、日本から見たイメージとはかなりかけ離れている。私がイメージしていた中国は、どうやら20~30年前の中国のようだ。ちょっとした話題に「あ~、90年代の話ね・・・」と笑う彼らを見ると、彼らにとって90年代などもはや大昔なことなのがよくわかる。
ちなみに会食の場になった店(銀座のすき焼き屋さん)の仲居さんに話を聞いてみると、現在確かに中国のお客様は多いのだが、それでも2年前に比べればビジネス系のお客様は減ったようで、今はビジネスだけでなく観光で来店するお客様が多くなって生きているのが特徴だそうだ。
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