2014年11月6日

人の顔が気になるなら、自分の顔のことも気にしないとダメ・・・?!

私は“顔”に興味がある。それも目鼻立ちではない人の顔つき、生きざまが表れる顔が気になって仕方がない。
ずっとそう思ってきたことを、ブログでもWebサイトでもSNSでもよく言ってきた。
初めてお会いする方にも、ときどきそう言うことがある。

よく聞かれるのが、次の質問。

「あの~、私の顔はどうでしょうか?」 
「私、ちゃんといい顔しているでしょうか?」
「悪い顔ってあるんですか? どういう顔ですか?」


今までそういうことを聞いてきた人は、みんなすごくいい顔をしていた。
真摯、ひたむき、実直、夢がある・・・・そういう顔の方ばかりだ。
でもみんな40歳かそれ以下と比較的若いので、生きざまがでた顔になるのは、むしろこれからなのかもしれない。

それでも、いきなり質問を受けると意外に答えにくくて即答しないでいると、、「え?!悪い顔ってこと?」と逆に先回りして言われたりする。
いやいやごめんなさい、と謝って余計ややこしくなることもある。

じゃあ、私が悪い顔と感じるのはどういう顔なのか。
どんな目、鼻、という法則はないのだが、しいて言葉にすると、例えば“お金のことばかり考えている顔”、“いいかげん(そう)な顔”、“卑しい顔”、“回りよりも自分と主張しそうな顔”・・・
例を挙げればきりがないのだが、電車の中などでそういう顔に遭遇することがある。
異業種交流会などでお会いする人の中でも、口では笑いながらも損得が前に出ているようなお顔をされている方にお会いすることもあり、はっとすることがある。

じゃあ私自身の顔はどうなのか。

「人の顔のことを言ってるくせに、自分の顔のことはどう思っているんだろう?!」と思われやしないかと、内心はちょっとびくびくしている。
ここがイタイところで、実は自分の顔のことはまるでわからない。
私こそ、誰かに聞きたいくらいだけど、怖くて聞けない。
でもまあ、ある程度自分のことを棚に上げないと前に進めないというのはよくあることとして(苦笑)、そこはご勘弁ください(苦笑)。

誰でもそうだ。
自分のことは意外によくわかっていない。

私自身は、顔つきに興味があるといいながら、自分のファッションやメイクにはほとんど関心がない。そのくせ、微妙なオンナゴコロで年齢を公開するのはちょっと・・・などと言ってウジウジしている輩だ。
また、今の私の公開しているプロフィール写真が果たしてこれでいいのかどうか。
実物と違い過ぎて差し替えた方がいいと思われる人をよく目にするので、このプロフィール写真をも見た初対面の人が実際の私を見て、別人と思うようなら差し替えねばならない、とは思うもののなかなかそういう声を聞く機会もない。
そう思っていたら、昨日、このプロフィール写真を入れた名刺を自作して名刺交換をしながら名刺の講評をもらうという機会があった。

結果は・・・
概ね好評ではあったのでホッとしたものの、お一人から「髪型が違うから差し替えた方がいい」という意見をもらった。
おぉ! 顔にこだわる私としてはスルーできない(笑)。
でも実は髪型など変わっていないのだ。
違くはないが、偶々前髪が邪魔にならないようにバレッタ(ヘアクリップ)でまとめていた時にお会いしたからだったようだ。
私にとっては何も変わっていないけれど、きっと人から見る印象となると、少し違うんだろう。

自分目線と他人目線。
特に自分に対する他人目線はわからないものだ。



いい顔、撮ります!大人のための出張青空写真館「i-face

http://www.travessia-i-face.jp/


2014年11月4日

昔の顔で未来がわかる?! いや、今が未来の顔を作る!

ずっとずっと昔から、人の顔に興味がある私としては、スルーできないタイトル本が出た。

卒アル写真で将来はわかる 予知の心理学 」(文藝春秋)
マシュー ハーテンステイン (著), Matthew Hertenstein (原著), 森嶋 マリ (翻訳)

本屋さんでは平積みされているようだが、何ともニクいタイトルである。
誰でも卒業アルバムは、甘酸っぱかったり、ワクワクしたり、あるいは悲しくなっちゃったり、思い出したくなかったり、いいにつけ悪しきにつけ、心が揺れるものであるに違いないと思うからだ。

しかも、その卒業アルバムの写真、それも顔写真で、その後の人生がどうなるかを予想できるという話なのだ。

スルーできないと言いながら私はまだ購入しておらず、読んでもいないので無責任な話ですみません(汗)。
今朝のフジテレビ「とくダネ!」で取り上げていて、出演者やその他の人たちの卒業アルバムの写真に載っていた顔と、本で書かれている内容との検証を試みていたのだ。

それによれば、基本は”手相”ならぬ”顔相”に基づいており、そのベースは統計学だという。
成功している人の顔、離婚しそうな人の顔、モテる顔・・・・

番組内では、離婚する顔に分類された人が実際に昔一度結婚したがその後独身・・という紹介をしていたが、主演者の中でもっとも離婚する確率が高い顔とされたのは、気象予報士のアマタツだった。愛妻弁当を食べている映像とともにそんな紹介がされ、本人も「そんな予定はない」と苦笑い。

もっとも成功している顔に分類された大田区のプラスチック加工業の人は社長さんだった。
ご本人によれば、今まで本当に大変な人生だったとは思うけど、成功者だという自覚はない。
でも、これから成功する顔、っていうんだったら悪くないからがんばる、とコメントしていた。

スタジオでは、今後結婚する時には卒業アルバムの顔写真を確認してから、などと笑いとともに盛り上がっていたが、取り上げ方がかなりテレビ的だったので、実際に書いてある内容に本当に沿っているのか、忠実なのかどうか。
私もまだ読んでいないのでわからない。

ただ、書籍の企画として、人の心を突っつくうまさを感じて、内容の善し悪し以前に、正直参った!と思った。

ちなみに私が興味を持っている顔というのは、顔相ではない。
目鼻立ちではなく、顔つきだ。
目鼻立ちなんかで決められてなるものか!という思いがある。

私が興味のある顔というのも、卒業アルバムに載るような若い頃の顔ではなく、年齢を重ねた顔、せめて40歳以上の顔だ。

若いころ、いつの時代も私の友達は美人だった。
乙女心としては、それはうらやましくてうらやましくて・・・(苦笑)。
彼女たちを恨むことはなかったが、自分の親とDNAを恨んだ。
周りを見渡し、やっぱり綺麗な子はトクだよなあ、と内心は指をくわえていたものだ。

けれど、年齢を重ねると必ずしも目鼻立ちだけではなくなっていく。
年齢とともに、だんだんと「顔つき」が「顔立ち」よりも優先してくことに気づいたのだ。

今の私が思うのは、人の生き方は顔にあらわれる・・・これは間違いないと思う。
それが「顔つき」になり、目鼻立ちよりも優先し、そのオーラとともにその人の魅力を盛り上げていくのだと思う。
私の周りにも、そういう顔をしている人が何人もいる。
逆に、残念になってしまった顔も、今までたくさん見てきた。

だから、今、どう生きているかが、未来の顔になるのだ。
過去の顔から今が見えるのかどうかは私は知らないけれど、今が未来の顔を作っていく。
私はそう信じている。


いい顔、撮ります!大人のための出張青空写真館「i-face
http://www.travessia-i-face.jp/

2014年11月3日

いい会社とは、会社を辞めた人を温かく見守れる度量があるかどうか

いつだって、どんな立場だって、育てる立場からすれば、一生懸命育てても辞められちゃうときの辛さは大きい。
私も会社員時代は何人も何人もそういう人を見送ってきた。
私がいた会社では、社長はどう思っていたかは知らないが、社員は、たぶん上司も、辞めた人を罵倒したり責めるようなことはなかった。
辞められるのが平気というわけではない。
そりゃあ育ててきたのだから、辞められるのは残念なだし、寂しいし、がっくりくる。
けれど、辞める時には大勢で送別会を開き、これからの未来を応援する雰囲気を漂わせたいい会社だった。
私もそうやって見送ってもらった。それは今でも大きな宝になっている。

なぜその人は辞めちゃうのか?!問題はここにある。
会社に不満があったのか、育て方が悪かったのか、それとも給料が悪かったのか、それとも・・・
私のように、会社が嫌なわけじゃなく、仕事がイヤじゃなく、でも無謀にも他のことがしたくなったから辞める人だっている。

そういう気持ちで辞める私としては、辞めた後も会社といい関係を続けたいと心から願い、そこはそれなりに心を配った。
辞めて7年にもなるので、今でもいい関係と会社の方々に果たして思ってもらえているかどうかはわからないが、年に一度くらいはかつての上司や同僚、後輩とそれぞれ会う機会を設けている。
でも私の知っている社員も次々退職した。
先に辞めたくせに言えた義理ではないが、よく知る社員の数が減っていくのは、やっぱり寂しい。

誰にだって会社を辞める権利があるのは当然だが、できればあたたかく見送ってやりたい。
見送ってほしい。
たとえ内心は悔しくても、だ。

それがオトナの度量というものだし、力ある者はますますそうありたい。
そうあってほしい。

なのに、こちらの社長さんはちょっと残念なことをやってしまった。

私が退職希望者に「激怒」した理由 (藤田晋氏の経営者ブログ) 」

私のいた会社とはレベルも質も全然違う。辞め方もずいぶん問題ではある。
書けない事情もいろいろあるんだろう。
怒る気持ちはもちろんわかる。
それでも、残念なのは、「社長が怒っている」という噂が社内に拡散するよう、意図的に怒ったということである。

さらにそれをまるで公開処刑のようにメディア上に掲載したということ。
お金も立場も名声もある人だから、その影響力は計り知れない。

社員が辞めるなんて日常茶飯事だとあっさりと吐き出すような物言いも残念だ。
人を大事にしない会社とみられても仕方がない。

ここは逆なんじゃないだろうか。
競合会社に行ったというその社員を、失礼千万でありながらもここは意図的に度量の大きさを見せればいいのに・・・。

うちの経験を社会で生かしてもらえればいい。
残念だけど、いずれ、辞めなきゃよかったと将来思われるよう、ますますいい会社にしていきたい。
うちで培ったスキルでもしも大物になったら、一緒にビジネスができるといいね。

・・・どうせ公開するんであれば、それぐらいの度量の大きさを見せてしまえばいい。
どんなに失礼な辞め方なのかは知らないが、社内の人にはますます度量が大きく見えるはずだ。
よくある社員の退職に、いちいちそんなことは言ってられないかもしれない。
けれども、こんなふうに意図的に怒るよりはよっぽどよかったのではないだろうか。

失礼な彼を多少は応援する姿勢くらい見せて、そのうわさが社内に拡散した方が会社の雰囲気も、社長のイメージもずっと良かったんじゃないかと思う。

そんな風に思う私は、甘いだろうか。

私がこの記事を知ったきっかけになったのは、かさこさんのブログだったのだが、驚いたのはかさこさんの見解だった。
プロジェクトを途中で投げ出されたくなかったら、フリーを使えばいい
社員はいつ辞めようと勝手だがだが、フリーは途中で逃げ出さないから、と。

確かにそうなんだけど、会社の重要なプロジェクトはやはり信用できる社員というのが暗黙の了解ではないだろうか。
社員が投げ出さないなんて、もちろん何の保証もないのだけれど、社外だと秘密漏えいなどの不安があって出せない、というイメージが一般的な企業ではないかと思う。

でも、きっともうそんな時代は終わったんだ。
正社員のほうがいいというのは心え情的なことであって、今や運命共同体の会社などないし、心情的なものを支えているものがなくなった今、こんなに不安定なことはない。
お金で解決し、責任の所在を明確にする方がはるかに今っぽい。明快なのだ。

でも私はどこか心でつながっていたいと思っている。
会社を辞めようが、辞められようが、陰ながら互いに応援しあえる関係、たとそれで裏切られたとしてもグチグチなど言わない・・・そんな会社と社員の関係であったらいい。
もし会社に勤めるのであるならば、そういうトップのもとで働きたいと思うし、そういうトップの会社を人には薦めたい。

2014年11月2日

いただきますって言いますか

半年ほど前のことだ。
お坊さんと一般の人が語り合う場に参加した時に、「思わず合掌する(した)瞬間とは?」をテーマにディスカッションしたことがある。
その時、
私がすぐに頭に浮かんだのは、「いただきます」と「ごちそうさま」の時だった。

家で食事をするとき、家族と一緒の時は必ず「いただきます」言うけれど、
合掌はしているかどうかあまり自信がない。
家で食事するにしても、1人の時は「いただきます」と言っているかどうか
自信がない。

外食の時だって、「いただきます」と当然言っているだろう、と思っていたけれど、
今日、6人で外でランチした時に「いただきます」と声に出していたかどうか
思い出せない。
「冷めるからお先にどうぞ。」と言いながら、自分のところに注文したものが
来た段階で何も言わずに食べ始めていたかもしれない。

思い返してみると、なぜか一人の時は声には出さないけれど
手を合わせることが多いような気がする。
でも仲間と一緒の時は手を合わせない。

なぜだ?!
そんなことを思っていて見つけたのがこの記事。
株式会社ぐるなびがやった、「『いただきます』って言いますか。」という調査だ。

こういう記事をきっかけに、
ちゃんとやっているつもりだった「いただきます」や「ごちそうさま」を
いつの間にか忘れていることがある自分に気がつく。
言いたい、言おうとしている気持ちがあるにもかかわらず、
忙しさだったり面倒くささだったりでつい忘れてしまうことがある。
いけない、いけない。
「いただきます」「ごちそうさま」は、日本人らしい大事な習慣の一つだと思う。

朝昼晩、声に出して「いただきます」という人、35%。
家族と食事をする時に「いただきます」と言う人、60%以上。
「いただきます」と言う割合が最も高い世代は、20代の女性。

ふ~ん、本当かなあ。

自分ではそう思っている、ということと、実際にそうしている、ということは、
きっと違うだろうなあ。
でもまあ、そんなことは追及せず、
これをきっかけに私が意識して言うようにしてみよう。
時々忘れたりしていた習慣も、
意識してやるうちにきっと確実な習慣になっていくだろうから。


2014年11月1日

夜型人間にとって、今の朝型勤務の流れは苦痛にはならないだろうか。

早起きが得意な人、朝は仕事の効率が上がる、という人が心底うらやましい。
私は典型的な夜型人間だからだ。

かつて会社員時代も、私は残業の多いほうだった。
夜になるとやる気がどんどん上がるし、頭が活性化していく。
午前中の仕事はどうもはっきりせず、夜に30分でできることが、午前中だと1時間半くらいかかるし、気分的にもノラない。
提案資料や段取りを考えるときも夜のほうがスピードアップするし、中身も濃いものになる。
残業代を払わなければならない企業としては、厄介なヤツだ。

でも、周りに聞くと朝のほうが業務効率がいいそうだ。
夜になると疲れてしまうし、惰性で仕事をするようになり、いいものができないという。

そんなことを言っていても年を取るとだんだん寝てられなくなるから・・・と笑われていた時期もあるが、私の場合はそんなことはなかった。
今だって寝ていてよければ昼過ぎまでいくらでも寝ていられる(苦笑)。

日本式の残業の弊害やワークライフバラスの観点から、今、少しづつ朝型へのシフトが進んでいる。
企業でも効率がアップするからと朝型勤務へのシフトが進んでいるようだ。

うらやましい。
できることなら夜はプライベートの時間に充てたいから、私もできれば朝型人間になりたい。

理想の形は、朝早くに起きて5時半くらいからメールをチェックする。
その後、ウォーキングと称した朝の散歩に出かけ、近隣の公園のラジオ体操に合流。帰宅してからシャワーを浴び、朝食。少々の家事を済ませたら仕事開始。
午後は打ち合わせ等の外出仕事を。

前々からこれをイメージするのだができない。

会社員のころは始業時間が決まっていたので、早起きができなかった私は、起きたらまず朝食を作り、食べ、片づけて出かけるのが精いっぱいだった。
出勤後、午前中はぼーっとしていて、午後からエンジンがかかる。
夕方近くになるとエンジン全開。残業時間に入ると頭が動き始めるのを感じる。
いろいろな仕事を次々とこなしていくのに楽しくさえなっていくのだ。

そうは言っても、午前中に大事な仕事を一切入れないなんてことはできないから、私だってたまには午前中にハードな仕事をすることだってある。
だから、朝起きられないのは甘えだという人もたくさんいる。
私も、そうかもしれないと思う。
でもそういう時は前日からかなりの気合をいれるし、終わった後の疲れも大変なものになるので、やはり、自分のペースには合っていないんだろうと思う。

私のような夜型人間は、世の中にはあまりいないのだろうか。
そういう人の中では、自分の所属する会社で朝型勤務が推進されて、ますます疲れてしまう人はいないだろうか。
結果的には仕事が非効率になっている人はいないだろうか。

朝型勤務は素晴らしいし、私もできればそうしたいとは思うけれど、それが苦痛な人もいるのではないか。
私は今サラリーマンではないから、無理にそういう流れに乗らなくてもいいけれど、自分が勤務する会社の流れが自分に合っていないとなると、本人にとってはきっと大きな苦痛に違いないと思う。

何かいいとなると、みんながそれがいいと言い出し、そっちの方向に向かう・・・
朝型勤務についてもどうもそういう感じがして、こういう流れに私は違和感を感じる。

今、会社を辞めて自由の身になった私は、朝起きるのが前よりもさらに遅くなってしまった。
目覚ましをかけても一度で起きられないからだ。下手すると二度寝してしまうことすらある。
やっと起きても、しばらくぼーっとしている。
朝食後もなかなかすぐには活動に入れず、コーヒーを飲みながらぼーっとしている。
一応9時には仕事を開始するが、メールチェックをしながらなんとなくフェイスブックを見たり、ネットを見たりしながらのウォーミングアップをしている。、
本当に仕事のエンジンがかかるのは、午後3時過ぎ。
でもその前やその頃に打ち合わせのアポが入ることが多く、結局自分が考える仕事にはなかなか手がつかないまま。
帰宅後、夕食を済ませ、片づけをしたり家族との話をしたりとだらだらゆっくり過ごす時間を経て、私は10時頃から再びエンジンがかかる。
ノッてくると、日付を超えてもこれが止められない。
そうして就寝時間が遅くなり、朝、起きられないという悪循環に入っていく。

翌朝、素敵な朝型生活に私はやはり入れない人間なのだと感じて、私自身が自己嫌悪に陥っていくのだ。