2009年11月6日

情報のインパクトと社会の受け止め

私は、通勤電車で2回乗り換え、3種類の電車に乗る。電車に乗るとキョロキョロし、人の様子と中吊り広告を見るのが習慣になっている。
今日もいつものように電車に乗ったら週刊誌の中吊り広告が目に飛び込んできた。
「****34歳の正体」****には実名が入り、大きく顔写真も入っている。関わる男性の不審死で最近世間を賑わせている結婚詐欺師の女性だ。テレビや新聞の報道では写真にモザイクが入り、もちろん実名も出ていないため、正直驚いた。そして電車を乗り換えるとやはり同じ中吊り広告。こちらは実名部分が●●●●と黒く塗られた●で、写真も目の部分が黒く塗られていた。さらに電車を乗り換えたらまたもや目の前に同じ広告で、今度は実名&写真入り。最初に乗ったのは私鉄、2番目と3番目に乗ったのは東京メトロ(地下鉄)だ。その後外出で乗ったJRは、実名部分が●●●●と塗られており、東京メトロ(地下鉄)は実名、都営は●●●●だった。
実名を出す出さないの判断はどこの段階だったのだろう? 同じ東京メトロでも実名が出たりでなかったりしていることからして、少なくとも媒体側の判断ではない。広告主がどこかの段階で判断し、それが間に合ったものとそうでなかったものの違いかもしれない。しかし、これが出たかどうか、その様々な影響の違いは計り知れないだろうし、その週刊誌の売れ行きも大きく変わったはずだ。
中吊り広告の主目的が雑誌の売上アップであることは間違いないが、広告やPRなど、社会に対してコミュニケーション(1wayであったとしても)をとる際に、その出し方によって見識を問われることがある。現在、殺人容疑が確定しない段階でこのような出方になるのを、社会はどのように受け止めるであろうか?(掲載された本人や家族への影響はもちろんだが)
社会とコミュニケーションをとろうという時に、売上拡大という以上に大事なものがあるはずで、それはマスコミ業界に限った話ではないと思う。メーカー、サービス業など、どんな業界もコミュニケーション活動を行っており、それは顧客、社会に少なからず影響を与えるはずだ。その時、企業として恥ずかしくない発信をしたいと、私は思う。あえて言葉にすれば、それは品格や品位かもしれないし、「愛」かもしれない。コミュニケーションとは、そういうものを常に意識するようでありたいと私は思う。コミュニケーション活動というものは、そういうことがじわじわと伝わっていくはずで、長い目で見て、それが「売上拡大」という結果につながっていくはずだし、そこで信頼関係を勝ち得るものなのだと私は信じている。