前回に引き続き、中国の人から聞いた話を紹介したい。
その人は幼少の頃から親が日本在住だったが、自分自身は中国で祖母に育てられ、夏休みなどの長期の休みになると親に会いに日本に来ていた。
小学4年生のころ、親とともに暮らしたくて日本への移転を決意し、日本の公立小学校に転校する。結局は半年で中国に戻ることになるのだが、その半年間の日本での暮らしは、今までの人生の中でバラ色の暮らしだったと言う。あんなに楽しい時間はなかったと。
小学生だったその人は、当時まったく日本語も話せないのだが、子どもの間に言葉の壁など大きな問題ではなかったようだ。その人は隣の席に座る同級生に中国語で話し、同級生は話しかけられてもわからないし、当然のことながら日本語で応える。それでも笑顔と身振り手振りでコミュニケーションが図れて、楽しかったというのだ。
その「バラ色」な幸せとはいったいなんだろう? よくよく聞いてみると、表現しようもないほどの解放感だというのだ。子どもながらに「自由」とはなんとすばらしい!と実感したというのである。
日本語がわからないのでほとんどの授業はちんぷんかんぷんだったはずだが、算数だけは言葉が分からなくても数字だけ読めればいいので楽だったそうだ。何より、公立小学校の4年生に編入したが、日本の授業でやっていた算数は、中国で2年生の時に習ったことで、簡単で楽ちんそのもの。しかも宿題もなくて、子どもにとっては天国だったと。
けれどもすぐに、このままでは中国に戻ったらついていけなくなる、引いては中国で自分は生きていけなくなる、ということを子ども心に感じ始めたそうで、日本で一生暮らすのかどうかを散々悩んだ末、結局半年間でバラ色の経験を捨てて祖母のいる中国に戻るのである。
小学校4年生の子どもが、そんな風に感じる日本・・・。
今、日本が中国に抜かれるわけである。
結局、その人は中国に帰国した後、進路を選択する段階で、日本での半年間で感じた解放感や「自由」を懐かしく思い出し、いつかは日本で!と思いながら日本語が勉強できる大学を選択し、今、日本で働いているのである。
それにしても、今、日本で暮らしている日本人の中で、日本の「解放感」や「自由」を実感している人などいるだろうか?
当たり前になっている「自由」の価値を認識し、この環境に感謝しつつ日々仕事をしていきたいものだと、その人の話を聞いて私は改めて思うのである。