2011年10月19日

友達は量?質?

またまたFacebookの話題で恐縮だが、Facebookは益々拡大中だ。しかし、私にはやはりどうもよくわからないことがある。
それはFacebookの友達だ。友達が多い人、少ない人。
Facebook上の自分の友達の場合、その友達がどんな人と友達になったか、何人と友達となったかがわかる。これが私が思うFacebookのストレスの一つでもあるのだが(苦笑)、自分の友達が1日に100人とか120人とかと新たに友達になったというお知らせが連日来ることがある。こうなるともう、私にとっては意味不明になってしまう。
すごいなと思って、そういう人に聞いて見たところ、「Facebookの友達は、まず数が大事。最初は質よりも量だ。」という答えが返ってきた。
Facebookを仕事に活用する場合はきっとそうなのだろうと、その時は納得したのだが、それから少し時間がたち、今、改めて疑問に思う。果たして本当にそうだろうか? Facebookの友達は、質より量なのか?

実際に面識もあり、その人の個性をよく知っている場合は、Facebook上の友達の数が多いことはとても大きな強みであろう。例え面識がなくても、何らかの思い入れがあるから友達になっているというケースまでならば、情報発信側にとっては、友達の数は有効だというのはわかる。しかし大勢の友達がいる人によくよく聞いてみると、実際には会ったことがない人がたくさんいると言うのだ。とりあえずどんどん友達申請をして友達を増やしている人も多いそうだ。
こうなると、友達の数は本当に大事なのだろうか?

私が長年関わる広告業界では、テレビ、新聞、雑誌、ラジオというマスメディアを扱ってきた。例えば、オールターゲットのテレビと比べ、趣味志向で読者がセグメントされる雑誌はクラスメディアと言われる。いくらテレビの広告費が高額だと言っても、情報到達の一人当たりのコストは圧倒的にテレビが安い。しかし、知って欲しい人に情報が届いているかどうかで考えれば、1人当たりの広告費が高額な雑誌の方がはるかに確実だ。情報が例え届いたとしても、実際に相手に記憶してもらえたか、理解してもらえたかとなると、もはや内容次第になっていく。だから情報内容を理解してもらうための一人当たりのコストで考えると、一概には言えない難しさがある。

さて、Facebookはそういうマスメディアとは異なり、自分が知っている(または思い入れのある)人からの情報だからこその価値がある。友達からの情報だから聞きたくなるのだ。理解したくなるのだ。
「だれ」が「なに」を言うか?
情報はこれが全てだ。「@@さんが言うことなら」・・・ここがFacebookの面白いところだと思う。
しかし、その「だれ」に価値がなくなれば、結局はそんな情報は価値を持たない。
数で勝負するのであれば、Facebookでいくら数を増やしたところでマスメディアにはかなわない。

先日20代の男女数人と飲みに行ったとき、「Facebookの友達の数なんて増やそうと思えばどうとでもできる。ウソばかりだから信用ならない」と言う女子がいた。

どんなサービスもそうだが、Facebookも普及していく中で、消費者はその使い方や見方をどんどん学習していくことだろう。物事の表層だけでなく真実を捉えるようになり、それに伴ってウラのウラまで見えてくる。
新たにGoogleプラスも普及し始めた今、この手のコミュニケーションのしかたも新しいフェーズに入ったような気がする。