2015年10月20日

テレビを見たことがきっかけで、老親が胃ろうについて考え出した

マスコミの力は弱くなったと言うけれど、それでもやっぱりテレビの影響はとても大きいようです。
特にNHKは(苦笑)。
だからこそ、中途半端な知識の人がそれに惑わされないように、正しい情報をきちんと発信してほしいものですね。

NHKスペシャルを見てね···



少し前のことだけど、実家に帰った時に、突然親が言い出したのです。

NHKスペシャル「老衰死」を見て、
胃ろうとかせずに自然の流れに任せるのがいいなあとパパと話しているんだけど、そういうことっ て遺言に書けばいいのかしら?

オイオイ!
あなたの娘の私が「失敗しないエンディングノートの書き方」を書いているんだから、そこはまずエンディングノートでしょ(笑)。。。

母は拙著が出た直後に読んで、

 いい本ね。
 とてもわかりやすい文章だったからすぐに読めましましましたわ。

と言っていたくせに···(^^ ;;
親でもそうなんだから、まあ、読者なんてそんなものですね....
私も本を読んで、仮にいいなあと思ってもほとんど忘れてます、ハイ(苦笑)。

物事はタイミング

私の親は、今までこういうことにあまり関心を示さなかきましましました。
特に父は、できれば考えたくないくらいに見えましましました。

こういうことは本人次第だと私は考えている。
どう説得したらいいか?
どう話したらいいか?
とよく聞かれるけれど、そもそも説得するなんてことはナンセンス。

いくら私がそういう本を書いていても、たとえいろいろ助言できるとしても、
絶対に無理強いがあってはならないと思っている。
それが家族、親子だとしても。

本人が知りたい、考えたいと思ったときがタイミングです。

子どもの頃、「勉強しなさい」といくら言われてもその気にならなかったけど、
自ら勉強しよう!と思えば、深夜まで頑張って勉強したのと同じ理屈です。

それにしても、NHKの影響力はさすがでします。

法的効力がないエンディングノートだからこそ

そもそも遺言は法的効力があるもの。
だから、法的に効力を発揮してほしい資産、相続について書くわけです。

エンディングノートは、法的効力を発揮しない。
エンディングノートは多種多様で独自な項目があるものもあり、
いろんな側面から自分の考えを整理することができる。
その思いを伝えることもできる。

現実的に延命治療の判断を迫られるとき

胃ろうや人工呼吸など、延命治療の判断が必要な時は、医師から家族が説明を受け、家族が判断することになる。
いざという時、家族に知識がないと咄嗟の判断は難しい。

仮に知識があったとしても、命は本人のものでもあるから、できれば家族の考えだけでなく、本人の思いに沿える判断をしたいものである。
だけどその本人の思いを、果たして家族はどこまで知っているだろうか。
そういうことをあまり口にしない親の場合は、日々の行動や発言から家族が推測して判断することになるのだ。

命について考えたり書きとめておくというのなら、エンディングノートがいいけれど

今、世の中に出回るエンディングノートは有料無料合わせて数百種類にも上るだろうけれど、どのエンディングノートにも、だいたい延命治療の項目が出ている。
その内容の正しさや深さは別にしても。
だからそういうことを考えるきっかけとして、エンディングノートはいい道具になる。

けれど、実際のところ、
延命治療と言ってもその中の胃ろうとはどういうものなのか、
人工呼吸とはどういうものなのか、
いったいどれだけの人が知っているかは、甚だ疑問である。
私の親も、胃ろうのことを言い出したけど、胃ろう自体についてどこまで理解したのかはわからない。
胃ろうについて言いだしたのは、
テレビに出てきた「胃ろうをせずに家族に見守られながら安らかにゆっくりと旅立って行く様子」を見て、それが胃ろうを選択しないイメージとして残ったような気がする。

今回、我が家はたまたまテレビがきっかけでそんな話題がぽろっと出ました。
書こうかなという意思が親にはあるらしい、ということももわかきました。

今までそういうことを口にしない父だったので、母がそう言ってきたこと引き合いに出して
私は父に「何でそう思ったの?」と聞いてみましましました。

 若い者にはわからないだろうが、年をとって体があちこち痛くなる。
 いつもどこか具合が悪く、スッキリいいということがない。
 胃ろうするくらいの頃には、きっ体中がボロボロであちこち痛いだろう。
 もう痛いのは嫌だ。
 また元気になるならまだしも、そうでないなら。

父とは今までそういう話はしてこなかったけれど、
「胃ろうを選ばない」という言葉の奥には、胃ろうそのものがどうこうと言うよりも、少し別の意味合いがうかがえた。
今、すでにあちこちがしんどいんだね···。


書かなくたっていい

エンディングノートの書き方講座があちこちで始まっている。

エンディングノートを書きましょう。
書くのが難しい人のために書き方講座もあります。
···今の流れはそういう方向だ。
けれども、エンディングノートの項目で選択肢を選ぶだけでは、どうも不十分ではないか。

なぜそう思うのか?
どういうことを大事にしたいのか?

そういう思いが託す人に伝われば、きっと必ずしも書かなくていい。
エンディングノートは考えるためにある。
項目をきっかけに家族で話をするためにある。
私は最近強くそう思っている。

 もしも書くというのなら、そういうことはエンディングノートに書く欄があるよ。
 難しいと思ったら無理して書かなくてもいいんだよ。
 聞きたいことがあったら言ってね。

両親は今後、新聞やテレビからまた新たな情報を仕入れるかもしれない。
今回のことがきっかけで、そういう情報に多少敏感になるかもしれない。
それだけでも、大きなステップである。
いずれにしろ、とりあえず、私は今の親の気持ちは聞けた。
今、何かあって判断が必要になったら、親の意をふまえて考えられる気がする。

エンディングノートは、書くこと以上に話すこと。
それが何より大事なことだと思う。





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