2011年7月11日

電子書籍の未来

電子書籍が話題に上るようになってから、どのくらい経つだろう。話題に上り始め頃は、まだスマートフォンが世の中に広まる前のことだ。
はじめの頃、出版業界は戦々恐々としていたように思う。まるで黒船襲来のように。一方で、この流れに遅れをとらないよう、各社が電子書籍への取組みを始めた時期でもある。
読者の立場でも、紙とちがうさまざまな価値を期待し、社会は電子書籍に注目した。
そして現在。
電子書籍は思ったようには普及していない。
私自身も、かなり注目していたわりには1冊しか持っていない。例え欲しくても、電子版が出ていなかったり、探すのが大変だったり、買い方がわからなかったりするからだ。
電子版と紙版-そもそも本来は作り方も、売り方も、仕組みや考え方が違う。
旧来の紙の本・雑誌は、書店で購入できるし、例えなくても取り寄せもできる。書店は年々数が減っているとはいえ、全国にその数、2010年の数字で15,519店。2000年に約22,000軒あったことを考えれば、かなり減ってはいるが、それでも大変な流通網だ。書店流通で長年展開してきた出版社にとっては、この流通網を大事にしなくてはならない事情もある。しかし、再販制度がとられる出版業界では、売れなければ返本されるし、昔ほど本が売れない今、次々と新刊本を出さなくてはならない宿命を抱えている。特に大手の出版社は長年の蓄積がある。
大手出版社の場合は、外部編集スタッフとの共同作業が多い。そのような本や雑誌の編集に関わるプロダクションの立場で見ると、出版社から支払われるコストは年々下がり、かつての3割程度にまで落ちているケースもある。そのため、編集プロダクションとしては、数をこなさなくては事業が継続できないし、必要以上に手をかけられなくもなっている。しかも編集プロダクションは紙の本を作ることを主体としてきているので、紙の本の前にまずは電子書籍からスタート、という取り組みはなかなか対応しにくい。
そうは言っても、超安価な電子書籍も多種出回ってはいる。これらは大手出版社ではなく、電子書籍専門出版社等で出していることが多い。紙の本は出ておらず、電子書籍のみの発行が多いことも特徴のひとつだ。種類は多いが、各々の部数はそう多くなく、著者も著名人でない人が多い。ほとんどは売場はWeb上で、リアル店舗を持たない。電子書籍の場合は、流通コストや印刷コストがかからない分、出版されにくいものハードルが低く、出版されやすい。電子書籍の場合、著者に入る印税の割合も、紙の本よりもはるかに大きいので、著者にとっては魅力もある。出版社にとっては、コストをかけずに紙の本を発行するかどうか判断する前に様子を見ることができるメリットもあるだろう。
さて読者はと言えば、電子書籍に対して、紙の本とは異なる価値を期待しがちだ。紙の本ではなかなか再現できない、Webサイトや携帯で慣れ親しんだデジタルの世界に近いものをイメージするからだ。しかも、紙の本よりも安価を期待する向きも否定できない。
けれども現実の電子書籍は、Webのような世界もないことはないが、紙の本をそのままPDF化したようなものが多い。価格も、大手出版社で出している電子書籍の場合は、紙の本とそう大差はない。実際に紙の本を発行している出版社は、そのままデータで販売すれば電子書籍になる。デジタル世界用に新たに手をかけることはコストも手間も大変だが、そのままデータ化するなら可能なので、そういう形になっていくのだろう。
実際、Webのような世界を再現する電子書籍を発行しようとしたら、紙のスタッフで進める編集作業では、技術も手間もコストも成立しなくなってしまう。
音楽がレコード→CD→データ(MP3)と変化していったように、「本」の世界も変化していくだろうか。
出版社が考える電子書籍、読者(消費者)が期待する電子書籍、著者が期待する電子書籍、みんなの思惑はそれぞれ違う。編集・制作側、出版社側、流通、そして読者-それぞれの立場で見ると、今の状況ではかみ合いにくくなっている。市場としての大きく成長しづらいのも、このあたりにあるのだろうと思う。が、それが必ずしも読者のニーズには合わないのだろう。小説など、テキストが命のものなら、紙の本をそのままPDF化したような電子書籍は成立するだろうが、雑誌や実用書など、写真や図解を多用したり、より深い情報まで欲しくなってしまうようなものは、読者から見るとPDFだけでは物足りなさが残り、電子書籍ならではの展開を期待してしまうことも否めない気がする。
電子書籍の未来は、どうなっていくのか? どこの事情が優先されるのか、もう少し時がたつと答えが出てくるのだろうか。

2011年7月4日

厳しいからこそ!・・・節電だから盛り上がること

7月から本格的節電がスタートした。
節電だから産業界が縮小するなどとあちこちで言われているし、経済への影響は図りしれないとは思うが、節電だからこそ生まれる(盛り上がれる)需要を作ることもできる。
東京都内の自治体では、冷房の効いた集会所を「街なか避暑地」と名付け、多くの人に涼みに来てもらうことで家庭の消費電力を抑える取り組みを始めている。単純に、暑い時間に自宅にいないで公民館や図書館などに集おうというものなのだが、節電につながることはもちろん、都会で不足がちな近隣同士のコミュニケーションを深める効果も期待できる。新たな投資も不要だし、社会にとってもいい提案だと思っていたところ、それをさらに発展させて、新たな需要を生もうと言う企業の取り組みも始まった。
誰かの家(イエ)に集まって、仲間たちと一緒に楽しく過ごすことを提唱している「イエ会プロジェクト」。無料のメーリングリストサービス「らくらく連絡網」事業を手がけるイオレが実施している。
家に人が集まると楽しい、仲間と過ごす時間は楽しい、だから家に仲間を呼んで楽しく過ごそう、という提案だ。プロジェクトには企業の協賛もついている。
第1段は「がんばれニッポン!応援団!」。今、ひとりでいるよりも誰かと一緒にいることが安心できるし、楽しいし、それが日本を元気にすることにつながる、ということに加えて、誰かを応援しようという考え方だ。東日本大震災以降、絆の重要性が叫ばれているからこそ、今、大きな共感を得ることだろう。現在500万近いユーザーを抱える「らくらく連絡網」にとっては、さらなるサービスの認知向上や普及拡大にも寄与する。
最近増えているシェアハウス。私の知人は普通のシェアハウスをさらに1歩進めて、同居している者同士、互いに夢を語ったり悩みを聞き合ったり励ましあったりしながら、一緒に歩いていこうという考えを具現化したレイアウトのシェアハウスを今年はじめにスタートした。当初は入居者がなかなか決まらなかったが、震災以降に一気に入居希望が増えたと言う。やはり、「ひとり」でいることの不安や、絆を求める気持ちが高まっていることがわかる。
節電だからこそ始まる「イエ会プロジェクト」は、そういう社会の背景が後押ししている。節電など、経済界にとって厳しいことも、企画次第で新しい需要を生む。しかももっと「幸せ」になるための方向で。「街なか避暑地」は家にいる主婦を対象に、「イエ会プロジェクト」は若者を対象にした取り組みではあるが、他のターゲットでも新しい需要が生まれそうな予感がする。シチュエーションを変えるなど、次々に市場は作れそうだ。苦難や苦境があるからこそ、人は智恵を絞る。苦境や苦難は新しい商売を生むためのチャンスでもあるのだ。

2011年6月24日

東日本大震災の時には、多くのメーカー工場が被災した。工場自体が破壊され、なかなか復旧がままならなかったところはもちろんだが、それ以外にも、工場は被災していなくても原材料が入手できずに製品化できなかった企業、物流が滞って工場稼働ができなかった企業、など、産業界では大きな影響があった。
今日お目にかかった方は全国に工場がある大手企業の営業さん。震災で自社工場が被災したことに加え、原材料も入手できず、素材仕入れにあたっては、海外からの供給ルート確保に奔走し大変だった会社の一つだ。たまたま見積依頼があってお目にかかったのだが、一部の原材料確保はまだまだ不安定であることがわかった。
震災から3カ月以上がたつが、震災前と同じ状況にはまだ戻ってはいない。原発の事故が、その状況をさらに深刻にさせている。原発事故さえなければ、今秋中にはかなり元通りまで行ったはずなのに・・・という話は実際あちこちで聞く。節電の影響で工場をどこまで動かせるのか。効率をどう確保するのか。今日お目にかかった方も同様で「産業界への影響は大変なものだ。」とおっしゃった。
今日、埼玉県熊谷市の気温は39度を超えた。6月にこの気温は観測史上初めてだと言う。今年の夏は暑そうだという長期予報も出ている。今の状況を考えると、社会はさらなる節電が求められるのは間違いない。企業にとっては、確かに節電の影響は大変なことだろう。私たちは今まで、そのエネルギーの重要性をあまり意識してはこなかった。原発事故が起きたらどうなるか?電力が足りなくなったらどうするか?など、想像もしないままジャブジャブと電気を使い続けてきたのだ。経済の発展、豊かさ(モノ・ココロ)、安心・安全、などいろいろなものをクリアして初めて「幸せ」がある。「幸せ」の定義は人によって多少違うけれど、誰でも人は常に「幸せ」を求めて生きているはずだ。
私の存在は、もしくは私の仕事は、「幸せ」のためのものになっているか、社会の「幸せ」のために役立っているか、企業も個人も、これからはそんなことが共通の物差しになって行くような気がする。

2011年6月17日

新規開発~初めての接触

私の場合、初めてのお取引で仕事を受ける場合は、通常、どなたかのご紹介であるケースが多い。私としばしばお仕事をしている方の知り合いであったり、少なくとも一度はお仕事でご一緒した方からのご紹介、そうでなければ、過去に仕事の話をしたことがあるがお取引に至らなかった方など。Webサイトで情報公開しているとは言え、紹介もなくなんの所縁もない方からお仕事を受ける、というケースはほとんどない。
先日、紹介を介さない方からお問い合わせを受け、お目にかかることになった。その人は一度だけあるセミナーの受講者同士という立場で軽く名刺交換をした相手ではあるが、ほとんどお話はしなかった人だ。名刺にあったWebサイトをご覧になったそうで、お問い合わせをしてきてくださった。
とてもありがたいお話なのだが、それでも私の今までの経験から、少し身構えてしまった。その方がどんな方かがまるでわからないし、情報収集のしようがないからだ。お目にかかるのをやめようかとすら考えた。
けれども、実際にお目にかかったところ、その方はとてもいい方だった。建設的な話、今後の仕事の可能性を含めて話をし、今後定期的に情報交換していこうということで、話が前に進んだ。ご本人は知る由もないことではあったが、私はお目にかかる前に少々身構えてしまったことを告白し、改めてお詫びして失礼することになった。
仕事を発注する側、受注する側、どちらの立場であったとしても、初めての接触というのは難しいと改めて思う。仕事の場面でなくても、初めて会う人とすぐに親しくなるのは難しいのだから、なおさらだ。世の中には、新規獲得のための飛び込み営業、電話セールス、テレアポ獲得などがしばしば行われているが、それがいかに厳しいものであるかを改めて感じる。
人は初めての接触の場合は、どうも警戒心があって、なかなか心を開くことができないのは仕方がないことではあるが、今回私は、警戒のあまり大事な出会いを失うかもしれないことも知った。要は、自分の判断力。人の紹介や人の情報だけに頼るのではなく、自分自身で判断すること。これが何よりも優先することなのだろう。

2011年6月10日

労働時間

Twitterを見ていたら、「60歳定年だとすると【8万時間】働くことになるんだそうだ。そして、引退後の時間も【8万時間】あるんだそうだ。」というつぶやきをみつけた。
ん?!そんな馬鹿な、と思って計算してみた。
仮に8時間労働だとして、大卒後から60歳定年までは、確かに労働時間は大体8万時間だ。仮に60歳から80歳までのすべての時間から、睡眠時間(8時間)を引くと、12万時間時弱! 60歳定年までの労働時間である8万時間に達するのは、74歳の時だ。今後定年がどんどん延長されていくとは言え、定年から先の時間がいかに長いかがわかり、今さらながら驚いてしまう。
どれだけの人が、定年以後にそれだけの時間があることをわかった上で、定年を迎えているのだろう。定年後の時間がそれだけの時間になるなら、なんとなく過ごすにはあまりにもったいない。「好きな本を読んでゆっくり時間を楽しむ」「今さら趣味をみつけるなんて無理」など、特に男の人からはいろいろな声が聞こえてはくるが、やっぱり、定年後をどう過ごすか?は大事なことであるのは間違いなさそうだ。
例えば、社会人になって定年までの間に手がけた仕事、達成した事柄はいったいどれだけあるだろう? 定年後にそれと同じだけの時間があるなら、いろんなことがたくさんできるはずではないだろうか。実際、定年後の生活の中で、日々どう過ごそうか悶々としている人は相当数いるはずだ。
そういう時間を有効に活用できるような市場は、必ずあるはずだし、そういう市場を作って拡大することは、きっと明るい社会へとつながっていくことだろう。未来への希望につながっていくのだから。
震災や原発事故の影響で、あらゆるところで市場の縮小や経済停滞への懸念はつきない。けれど、新たな市場はいろいろなところに必ずあるだし、それを創出していくことが、今、求められていることだと思う。