2014年12月2日

人は生きてきたように死んでいく

どんなに目鼻立ちがよかった人でも、年齢を重ねると素敵でなくなる人がいる。
それと逆に、目鼻立ちとは関係なく、年齢を重ねて実にいい顔つきで魅力的な人がいる。

その違いはどこにあるんだろうと思う時、そこにはそれまでの生き方が出てくるのだと思わずにはいられない。

優しい人は優しい顔をしている。
お金に執着する人は卑しい顔をしている。
ふてぶてしい人はふてぶてしい顔をしているし、いつもイラついている人はイライラした顔をしている。

若い頃と違って、年齢を重ねた顔は生き方そのものである、と思う。


初めて、中下大樹さん(僧侶)のお話を聞いたのは何年前だろう。

  平常時は、隠れている人間の本性が、非常時にむき出しになる。
  「死」というのは、人の最大の修羅場であり、誰しも本性がむき出しになる。
  いざという時に、その人の進化・人間力が問われる。

そういう話だった。
それは、中下さんの著書、「死ぬ時に後悔しないために今日から大切にしたいこと」(すばる舎)に書かれている次の言葉につながっている。

  「逝き方」は「生き方」です。
  人は生きてきたようにしか死ねないのです。


年齢を重ねた顔に通じる話だと思った。

私は、昔から哲学や倫理観には疎い人間だ。
そもそも、そういう発想がなかった方だし、そういうことを考えずにいい歳の大人になった。
そんな哲学や倫理観に疎かった私でも、「生き方が表われる顔」に照らして考えてみるとわかりやすかった。


「『死にざま』こそ人生 『ありがとう』と言って逝くための10のヒント 」、「人生の実力―2500人の死をみとってわかったこと」等多数の著書があるターミナルケアの第一人者、柏木哲夫医師も、「人は死を背負って生きている」「人は生きてきたように死んでいく」のだと語る。

  しっかり生きてきた人は、しっかりと亡くなっていく。
  ネチネチ生きてきた人は、ネチネチと亡くなっていく。
  普段から感謝している人は、感謝しながら亡くなっていく。
  不平ばかり言って生きてきた人は、不平ばかり言って亡くなっていく。

  死に際に現れるのは 地位や職業ではなく
  その人の「生き様、人生への態度」だそうです。

上記は、九州のセレモニー司会者、高橋加代子さんが、以前Facebookでご友人が書いた柏木哲夫医師の話をシェアしていたもの。
私の心にずっと残っていた。

日頃、元気に毎日を暮らし、家族も元気で、多少メチャクチャなことをやっても一応日々がまたくりか返されていくと、特に何かを考えることなく日常が過ぎていく。
ましてや、なかなか生きることをちゃんと考えることなどない。
人生への態度、などとてもとても・・・私には難しすぎる。
ありがたいことに、私は心身ともに健康に恵まれていたので、特にそうなのかもしれない。

けれども、数年前に義父(夫の父)が病気になり、その治療に付き添い、段階ごとに治療方法を一緒に選択し、1年後に看送った経験がきっかけで、私は死について向き合い、考えざるを得ない状況になった。
その後、東日本大震災があった。

きっかけがあれば、少し考えることができる。
さすがに、私の人生への態度を考える、態度を変えるのはちょっと難しそうだが、それでも少しだけ考えることができる。

死を意識すると、今をもう少し大事に生きていけるように思う。
意識する機会を作ることは、自分を大事にすることはもちろん、自分の周りの人との関係を大事にすることにつながっているように思う。




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 エンディングノートを通して、自分らしく生きるために考える