2014年12月5日

強制じゃないという強制。

私の住む地域は古い住宅街で、うちの近所は約2割が60年以上前からこの場所に住んでいる。
うちは今から約15年前に引っ越してきた新参者だ。
その2割に当たる昔から住む人たちは、小学校時代からのご近所さん。
言わば幼なじみだそうで、ご近所の奥さまは60歳を超えた紳士を今も◯◯クン(下の名前)と呼ぶ。

ここでは細々ながらも町内会が維持されていて、例年、今の時期は歳末助け合いの募金があり、1年交代の当番制で回ってくる地域の係がこの集金に回る。

私が前回係をやった時から、うちの周りの加入世帯数は3割ほど減った。
高齢化で亡くなった人や老人ホームに移った人で空き家が増えたからだ。
家を売却して老親の介護のために移転した人もいるが、その家に新たに転入した世帯は町内会には入らない。

今年の係は我が家だった。
50歳を超えた私たち夫婦は、この地域では若夫婦世帯だ。

さて、この係の仕事で私が最もイヤなのが、年に何回かある恒例の募金活動である。
私は、地域力の重要性を感じているし、町内会の意義を支持しているから、係のおつとめがイヤなのではない。
地域のつながりが大事なのは十分理解しているつもりだ。

宛先ははっきりしている募金だし、その募金が大きな助けになるだろう人たちがいっぱいいるのもわかっているが、毎年のことだからと誰もが募金するのが当然のように、係の私が直接各家を訪問して、募金をお願いするというのが苦痛なのだ。

1年に何度もいろんな募金があり、歳末助け合い募金は、今年で3回目の集金になる。




もちろん募金は強制ではない。
毎回、もしよろしければ・・・という形でお願いするものではある。
けれども実際に近所のよく知る人に直接自宅に訪問され、お願いされた時、「今回は遠慮します」などと言える人がいったいどれだけいるのだろう。
そう思うと、私は集金が苦痛になるのだ。

今年の2回目だった秋の募金活動のときは、私は考えた挙句、直接訪問せずに募金袋にお手紙を添えて各世帯のポストに投函した。
賛同した人だけが我が家のポストに投函してくれればいいと考えたのだ。

結果は、1軒以外全世帯からいつもと同じように集まってきた。
「こういう形にすることは大賛成です」と返事を同封してくださる方も複数いた。
多少は前進だったかもしれないが、それでも強制力があったのではないかと気にはなった。

さあ、今回はどうしよう。
もしも係の私が何もしなかったらどうなるのだろう。
・・・そう思って、今回私は何も動かずそのままにしておいた。

時間が経ち、〆切を過ぎ、役員の方が我が家にやってきた。
「集まった募金を受け取りに来ました」と。

来たか。。。
私は正直に気が進まなくて回っていないことを伝え、私の分だけ募金をお支払いするわけにいかないかと申し出たが・・・・ダメだった。

 例年のことだから大丈夫。

 あなたが気に病むことはない。

 皆さん、ちゃんと理解してくださる。

 あなたが恨まれることはない。

 お辛いなら、私が代わりに回って差し上げるから。

役員さんからはそういう話だった。

私が気にしたのはそういうこととは全く違うことだったのだが、伝わったのか、伝わらなかったのかはわからない。
その役員さんは、さらにこの募金をまとめてどこかに提出する立場だし、ご近所さんでいつも献身的に動いてくださる人なので、悩ませるのも不本意だ。
私はそれ以上言うのをやめた。

「わかりました。私がすぐに集めます。」

そんなわけで先ほど秋と同様にポストへの投函をした。
週末明けたところで集まった募金を提出する予定だ。

今月中には母子家庭など然るべきところに集めたお金が届けられるのだそうだ。
こういう形でなければなかなかお金が集まらないのは残念なことだけど、これがきっと大きな助けになるのだろう。

でもこれは「強制じゃない」と言いながらも、やっぱり半強制だ。

昔からずっとやっていることだから。
みんながやることだから。
言う通りにしておいた方が波風が立たないから。

結局私は何も言えなかったし、何も変わらないのだけど、交代で回ってくる係が、半強制な呼びかけをする張本人になることに、どうしても違和感を感じずにはいられないのである。