2014年12月1日

無意識に我慢している・・・・朝の電車から。

1年半前から、私は仕事場を固定しない働き方をしている。
事務所の住所はあるものの、事務所でも、自宅でも、外出先でもどこでも作業できる、いわゆるノマドワーカーだ。

考える作業はどこでだってできるし、メールはどこででも確認できる。
ITの進化のおかげで、メールだけでなく、かつて職場でやっていたことのほとんどが、どこででもできるようになった(ようだ)。
私のITリテラシーの問題があるので、すべて何でもというわけにはいかないが、それでもちょっと前とは雲泥の差だ。
それまでは、朝出勤し、夜帰宅する、というリズムで働いていたのが、今ではその日のスケジュールによって何時頃家を出るかがばらばらになった。

そういう日常の中でも、朝9時頃都心に行かねばならなかったのが今日。
ただでさえ電車が最も混み合う時間帯なのに、今日は月曜日。
しかも朝から雨。
いつも以上に混んでいて、電車は混雑による遅延により、乗り切れない人たちがホームに溢れていた。
その状況に、私はすっかり怯んでしまった。
その怯んでいる自分に、私は自分で驚いてしまった。

私は中学の頃から満員電車で通っていたせいか、中学生の頃からずっと、大人になっても、かつて勤務先に電車通勤していた頃も、私は満員電車がイヤだと思うことはほとんどなかった。
その中で何ができるかを考えれば、できることはいろいろあった。
お友達とのおしゃべり、文庫本を読んだり、音楽を聴いたり、新聞を読んだり、それなりに有効活用できていたからかもしれない。
麻は電車が混むもの、そういうものだと思っていた。

けれども、それが当たり前ではなくなった今の私は、今まで平気だったことが大きな苦痛に変わっていた。
もしかしたら、昔からずっと大きな苦痛だったのを、自分でも気づかずにフタをしていたのかもしれない。

働くということは、そうやって無意識に我慢していることが意外にたくさんあるのだろう。
無意識に我慢していたというのは気づかない幸せだったのかもしれない。
しかし、無意識であったとしても我慢していた私はちょっとかわいそうだった(苦笑)。
それは私だけでなく誰だってそうだ。
できれば、そんな我慢は最小限で働けた方がいいし、職場自身が職場として成果を上げるためにも、我慢を最小限にしながら働く環境を整えていけたらいい。

ノマドワーカーにとっては、いつでもどこでも仕事できる今の環境は大歓迎だが、会社員にとってはなかなか厳しい。
会社用携帯を支給され、仕事時間とは関係なくいつでもどこでもつかまってしまい、グローバル化も進んだせいで、休みも夜中も関係なく仕事に追われる会社員は多い。
いつもいつも追われていて、我慢は昔以上なのではないか。
それなのに、朝の通勤電車ラッシュが今も昔も変わらないと言うのは、どうにも不思議でならない。
どこの職場も、休みの日まで仕事を強要しながら、昔と同じように朝出勤して夜仕事を終わるリズムを守っているに違いない。
そうやって我慢を無意識に重ねている人が増えているであろう現代は、会社も経済も疲弊していくのではないかと思う。