私は、年齢を重ねた顔や顔つきに興味を持ったことがきっかけで、40代のときにエンディングノートに出会った。
顔の究極は遺影だと思ったからだ。
顔の究極は遺影だと思ったからだ。
まだ世の中でエンディングノートがあまり知られていない頃のことだ。
エンディングノートを開いてみたら、そこにはその人らしい「いい顔」になるためのポイントが詰まっていると感じた。
いろいろなエンディングノートを集め、眺め、読んでみて、実際に書いてみながら、エンディングノートについていろいろ考えるようになったが、実際に書いている人は極端に少ないという現実がある。
拙著(下記)は、そういう書けない人の視点から書いた(つもり)。
エンディングノートにある項目は、普段あまり考えないことだけど、大事そう(?)なことが多い。
できればきちんと書いた方がいいだろうけど、どう書いたらいいか、よくわからない。
難しい。
今、書かなくてもいいだろう。まあ、そのうち。
できればそんなことは書きたくない、避けたい。
・・・そういう声をよく聞く。
私自身も、初めて見たときにそう思った。
私自身も、初めて見たときにそう思った。
確かに一人で向き合うのは大変だ。
だけど、若くしてエンディングノートに出会うからこそ、見えることがある。
若くして出会うと、楽しく向き合えることもある。
若くして出会うと、楽しく向き合えることもある。
そんなこと、考えたこともなかった。
私って意外にここまでよく頑張ってきた。
家のこと、実は全然知らなかった~!
親にいろいろ聞いておこう。
エンディングノートというと、どうしても高齢者のものと思われがちだ。
実際、興味を示すのはもっと高齢の方が多い。
だけど、50歳前後の人がエンディングノートに出会って思うことと、
高齢者がエンディングノートに出会って思うこととは、ちょっと違う。
高齢者がエンディングノートに出会って思うこととは、ちょっと違う。
50歳となると、人生の折り返し地点を過ぎつつあることは意識するけど、
自分の人生が残り僅かとは、まず思ってはいない。
自分の人生が残り僅かとは、まず思ってはいない。
だけど、身近で死と隣り合わせなことがあると、
急に「死」を意識するようになる年頃でもある。
急に「死」を意識するようになる年頃でもある。
でも、きっかけがないとその種のことはあまり何も考えない人がほとんどだろう。
わからないことに気づいてすらいないかもしれない。
そういうアラフィフ(50歳前後)がエンディングノートを開くと、
人生には終わりがあるということを、まず頭で理解し、そのうちに心で少しづつ理解していくのだ。
今の時代はほとんどが核家族なので、
少し考えてみると、自分が知らないことがとてもいっぱいあることに気づく。
自分をいたわりたくなる。
親に感謝するようになる。
親に感謝するようになる。
実際のところ、高齢でエンディングノートに出会った人は
もっと早くエンディングノートに出会っていれば、○○ができた、
と思うことがきっと多いのではないだろうか、と思う。
拙著をきっかけに、昨年4月からスタートしている毎月のエンディングノート講座では、
エンディングノートを使って生き方を考えていく。
結果的にはリスク管理につながるのだが、それは自分が何を大事にして生きていくのかを再確認していく作業でもある。
それによって、「今」「これから」を丁寧に生きていける。
年齢を重ねれば重ねるほど、成り行きや勢いだけでは進めなくなる。
そこにいろいろな問題が降りかかってくる。
だから自分は何を大事にして生きていくのかが重要になっていくのだと思う。
毎月1回開催の会員制講座で、参加者は40代から。
結果的にはリスク管理につながるのだが、それは自分が何を大事にして生きていくのかを再確認していく作業でもある。
それによって、「今」「これから」を丁寧に生きていける。
年齢を重ねれば重ねるほど、成り行きや勢いだけでは進めなくなる。
そこにいろいろな問題が降りかかってくる。
だから自分は何を大事にして生きていくのかが重要になっていくのだと思う。
毎月1回開催の会員制講座で、参加者は40代から。
毎回設定されたテーマについて深堀しています。
詳細はこちら。
トラベシアのエンディングノート講座
http://www.travessia-endingnote.biz/group/index.html
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