2015年7月23日

家に住む人の高齢化で、街の景色が変わる。

ご近所の大きな家が解体され、あっと言う間に更地になる。


ついこの前まで人が住んでいたお宅だ。
これが一軒二軒ではない。
この半年で何軒が解体されたことだろう。

住んでいた人は、毎朝家の前を掃除されていた人、
お庭の薔薇の手入れに余念がなかった人、しばしばマイカーを磨いていた人、
お会いすればご挨拶をしていた人、・・・皆さん高齢だった。

私が今の家に移り住んだのは、今から15年前。
ご近所は何十年も前からそこに住む人たちが多く、当時アラフォーだった私たち夫婦は、周辺では超若手だった。

15年経った今、周辺には空き家が増えた。
その理由は、住んでいた人が亡くなる、家で暮らすのが難しくなり施設に入る、などなど。
お元気でお一人で暮らしていた人が突然家で亡くなったこともあった。
もともと住んでいた人は、みな高齢だった。

その一部が今、こうして解体されている。
土地もそこそこ広いし、大きな家だった。
更地になったあとは、きっと小さな家がいくつも建つようになるのだろう。

そうすれば、街の景色が変わる。住む人も変わる。
それは経済を動かすことなんだろう。

それでも、15年そこに住んできた私にとっては、なんとも寂しい限りである。

寂しい理由はいくつかある。
それは、
長く空き家だったわけではなく、ついこの前まで住んでいた家であること、
解体しなくてもいいくらいの立派な家が壊されてしまうこと、
壊されて更地になるのは、あっという間であること、
木々の緑や季節のお花も一緒になぎ倒されること、
ご近所づきあいが皆無になること、など。

解体前、比較的大きな家でお庭があって緑が豊富だった場所は、
きっと小間割りされて何軒かが建つようになる。
そうなればおそらくお庭がない小さな家がたくさん建つ。
お庭がない家が建てば、庭木もお花もあまり見られなくなるだろう。
若い世代が入ってくるだろう。

街というのは、きっとそうやって変わっていくものなのだろう。
頭ではわかるけれど、寂しい。なんとも残念だ。
こんなふうに私が古きよきものを懐かしむのは、自分が年をとったからなのだろうか(苦笑)。