2015年7月27日

年を食ってからする勉強は、若かりし学生時代よりずっと楽しい

大人になる(=年齢を重ねる)とは、
いろいろな経験をしてきたこと、そのものです。
その結果、勉強することが若い時に比べて、大好きになったりします。
きっと、「知りたい」気持ちが大きくなったり、
勉強する「意味」や「価値」が自分の中でちゃんと認識できるようになっていくからでしょう。
おもしろいことじゃありませんか?!

50代になって新たに出会う「ご学友」

50代になると同窓会が活発になるそうだ。

子育てが一段落する、
仕事は自分でコントロールできるようになったり、最前線から少し引いたりと、
環境が変わる、
会社だけじゃない関係を大事にしたくなる、
等々、いろいろ理由があるだろうけど、
私の場合も、ここ数年で学生時代の仲間と会う機会が増えてきた。

だけど、私にとっての“ご学友”は、若かりし学生時代の仲間だけじゃない。
昔のご学友だけでなく、
オトナになってからのご学友も、なかなか貴重な存在である。

昔の学生時代にはあんなに大嫌いだった勉強だけれど、
だいぶ大人になってからの今、勉強するのはとても面白いのだ。





もっとおもしろいのは、学びの場で出会う人たち、“ご学友”だ。
経歴や年齢はバラバラだけど、

その学びの場で出会うのだから、そのテーマへのアンテナを持っていることが最低限の共通項になる。
そんな共通項をふまえた出会いは、学びの場だけでなく、

いろいろな意味を持っていくと予感している。

昔と今では「学ぶ」ことのいろいろが違う。

20年くらい前に定年退職した叔父が大学生になったときのこと。
経済畑一筋だった叔父が選んだのは、社会人向けに開かれた農学部だった。
当時、叔父がそこで「一生の友を得た」と言うのを聞き、
30歳くらいだった私は何を大仰なことをと思ったけれど、
今、それはあり得るかもしれないと思う。

学ぶと言っても、机に向かう、教科書(テキスト)を読むというだけではない。
自分の幅を広げたくて、自分が成長したくて、仕事に活かしたくて、お友達に会いたくて・・・という、自分自身の心がまえの違い。
そこではさらに新しい視点に出会えたり、体系的な理論を知ったり、知らない世界のことを知ったり・・・といった知る喜びの違い。

いつのまにか、私は勉強好きになった。

自分から勉強したい、学びたい、と思ってその場に臨むのが今。、
勉強しなくてはいけないから勉強する、
学校には行くものだと思って行ったことで結果的に勉強することになった若かりし頃。
昔いやいや勉強していた学生時代と、今知りたくて勉強する一番の違いはここだ。

さらに言うなら、昔は親が学費を払ってくれた。
けれど、今、お金を払うのは自分だ。
だいたい昔は学費がいくらかなんて知らなかったが、今はちゃんと知っている。

お洋服を買うか、旅行に行くか、飲食に使うか、学びに使うか・・・
いろいろ買いたいものの中の一つとして、自分で学費を選択しているのである。

そこに込められる気持ちは、違って当然。
だからご学友も、昔と今では少し自分にとっての意味が変わる。


・・・と思っていたら、

昔、机を並べた「ご学友」と再び

昔のご学友から、

同級生で学びの会をやらないか?

という話が飛び出した。

高校を卒業して30年以上が経ったよね。
みんなそれぞれ、いろいろな専門に進んだり、経験をしたりしてきたでしょう?
それを分かち合えれば、私たちいろんなことが学べるんじゃない?

・・・これから、年に何回か集まる学びの会を始めようと言うのだ。
何十年の時を越え、再び机を並べようと。


それを聞いて今、その企画をおもしろがり、楽しみにしている自分がいる。
思いもしない形で、昔のご学友が再び今のご学友になろうとしている。

かつてあれほど勉強嫌いだった私が、
数十年後にこう思うようになるなんて、想定外だ、
昔の私に見せてあげたい(笑)。

まあ、昔若かった学生の時から、「もっと知りたい」と思い、学ぶ「意味」や「価値」をきちんと認識できていた同級生も、実はちゃんといたんだけどね・・・。

ゆっくり成長して50の坂を超えた今、やっと私もかつての彼女たちに追いつくことができたのだから、やっぱり時間というものは偉大にしてありがたいものである。