メガネをかけたり外したり
現金を引き出すために銀行のATMに行ったら、男性がタッチパネル画面と手元の書類を頻繁に見比べながら、メガネをかけたり外したりしていた。銀行に限らず、しばしば見かける風景である。
手元を見る時、やや離れたところを見る時、だいぶ離れたところを見る時、焦点が合わず見にくくなるから、メガネをかけたり外したり・・・・・
俗に言う「老眼」のためだ。
そういう光景を見るたびに思い出すことがある。
50~60歳前後の女性を対象にした商品の広告関係の仕事をしていた時のことだ。
パッケージや説明書類、案内パンフレット等々、高級感、上質感、品位・品性を大事にしていた。
華美になりがちなものも抑えて抑えて。
色、レイアウト、書体は、あくまでも品よく、綺麗でいいものを作っていた。
だけど・・・この文字、小さくないか、老眼のお客さまに読みにくくないか・・・。
気になった。
文字にはいろんなサイズの文字がある。
その強弱がきちんとついていること。それはデザインに大きく関係することだった。
小さい文字を大きくすると、全体のおさまりが悪くなる。
文字の強弱が少し曖昧になる。結果、言いたいことの優先順位がわかりにくくなる。
デザイナーに相談すると、
新聞、雑誌、パンフレット・・・それらは、さあ読もうと思って読むもののはずです。
そういうとき、老眼の人はメガネをかけるでしょう?
文字を大きくしたら、デザインが崩れてしまう。
しかもわかりにくくなっては意味がないでしょう?
だからこのままでいいと思いますよ。
さあ読もうと思って読むものについては、そういう心配はありませんよ。
なるほど、そうか。
私も納得し、部分的には多少文字を大きくしたものの、
上質感、デザイン性とわかりやすさを優先させた。
学校の黒板、車に乗ればずっと遠くの標識、遠くの方にいる人の顔・・・なんでもよく見えたので、目の悪い人の気持ちがあまりよくわからなかった。
間違いではないけれど、いざその立場になってみると、微妙に違った。
綺麗な仕上がりは大事なことの一つではあったけれど、
それ以前に情報を伝えるというコミュニケーション機会を失っていたことになる。
こういう風に行動するだろう・・・
私たちはいろいろなことを想像し、思いをめぐらす。
企業もきっとそうやって商品を開発したり、企画したりしていることだろう。
しかし所詮想像だ。
私自身が想像していた40代50代と、実際に40代になり、50代になってみて思う感覚は全然違う。
50代に突入しても、心の中は大学生の頃とあまり変わっていない気がする自分がいる。
だけど、私がイメージしていた50代はもっともっと「オバサン」だと思っていた。
自分の年齢を口に出し、自分でびっくりしてしまうねと同級生と笑いあったことがある。
そうは言っても体型が変わり、体力が衰えているのも事実。
そうなってみて初めて、今あるこれがもっとこうなっていればいいのに、
こういうモノがあればいいのに、と思うことが多いこと多いこと・・・。
ファッション、化粧品、雑貨、食べもの、飲食店、靴、街・・・・
若い頃に欲しかったもの、欲しかったこととは確実に違う。
きっとこうだろう、という想像をもとに作られたものでは、どこか中途半端なんじゃないかな。
今、シニア世代に売れていると言われているものだって、本当に満足しているとは限らない。
それしかないから選んでいることだってあるだろう。
リアルな声が生かされたモノづくりの必要性を感じる。
高齢者というと介護問題がクローズアップされがちだけど、実際は元気な高齢者の方が多い(年代にもよるが)。。
高齢化がどんどん進む今の時代だからこそ、60代、70代、80代、それ以上のリアルな声が生かされるモノづくりがされるといい。
60代、70代、80代、それ以上の人たち自身が、実際の商品開発に多少でも関われたら・・・
元気な高齢者が心から満足できる商品がたくさんあれば、
今よりももっと楽しい60代、70代、80代、それ以上になるように思えてならない。
そういう光景を見るたびに思い出すことがある。
50~60歳前後の女性を対象にした商品の広告関係の仕事をしていた時のことだ。
この文字、読みにくくないか・・・
それは真摯に作っているいい商品で、パッケージや説明書類、案内パンフレット等々、高級感、上質感、品位・品性を大事にしていた。
華美になりがちなものも抑えて抑えて。
色、レイアウト、書体は、あくまでも品よく、綺麗でいいものを作っていた。
だけど・・・この文字、小さくないか、老眼のお客さまに読みにくくないか・・・。
気になった。
文字の大きさとデザイン
キャッチフレーズ、小見出し、本文、注釈等々、文字にはいろんなサイズの文字がある。
その強弱がきちんとついていること。それはデザインに大きく関係することだった。
小さい文字を大きくすると、全体のおさまりが悪くなる。
文字の強弱が少し曖昧になる。結果、言いたいことの優先順位がわかりにくくなる。
デザイナーに相談すると、
新聞、雑誌、パンフレット・・・それらは、さあ読もうと思って読むもののはずです。
そういうとき、老眼の人はメガネをかけるでしょう?
文字を大きくしたら、デザインが崩れてしまう。
しかもわかりにくくなっては意味がないでしょう?
だからこのままでいいと思いますよ。
さあ読もうと思って読むものについては、そういう心配はありませんよ。
なるほど、そうか。
私も納得し、部分的には多少文字を大きくしたものの、
上質感、デザイン性とわかりやすさを優先させた。
想像していたことが現実になると
私自身は子どもの頃から目がよくて、遠くのものがとてもよく見えた。学校の黒板、車に乗ればずっと遠くの標識、遠くの方にいる人の顔・・・なんでもよく見えたので、目の悪い人の気持ちがあまりよくわからなかった。
だけど、今、バリバリの老眼で苦労している。
見えないということがいかに大きいストレスを生むのかがよくわかる。
近眼と違って手元が見えない老眼の場合、ふと手元を見るとそのままでは見えないのだ。
手元で見るものというのは、細かいものが多い。
料理中の手元や使用する食品のパッケージだったり、届いた郵便物だったり、スマホやガラケーの画面だったり、識別したいものだったり・・・
それらは、「さあ読もうと思って読む」ものではない。
家で家事をしているとき、私はメガネをかけていない。
さあ読もうと思っていない時に目にすると、読みづらいから読まないのだ。
かつて、テレビを見ながらなどちょっとした時間の合間にも目を通すことができたはずの新聞・雑誌などの読み物は、もはや、さあ読もうと思った時しか読まなくなる。
バタバタと忙しくしているとき、「さあ読もう」という時間をとるのはなかなか難しい。
さあ読もうと思って読むときはメガネをかけるはず
間違いではないけれど、いざその立場になってみると、微妙に違った。
綺麗な仕上がりは大事なことの一つではあったけれど、
それ以前に情報を伝えるというコミュニケーション機会を失っていたことになる。
想像とリアルは確実に違う
お客様はきっとこういうところが不自由だろう・・・こういう風に行動するだろう・・・
私たちはいろいろなことを想像し、思いをめぐらす。
企業もきっとそうやって商品を開発したり、企画したりしていることだろう。
しかし所詮想像だ。
私自身が想像していた40代50代と、実際に40代になり、50代になってみて思う感覚は全然違う。
50代に突入しても、心の中は大学生の頃とあまり変わっていない気がする自分がいる。
だけど、私がイメージしていた50代はもっともっと「オバサン」だと思っていた。
自分の年齢を口に出し、自分でびっくりしてしまうねと同級生と笑いあったことがある。
そうは言っても体型が変わり、体力が衰えているのも事実。
そうなってみて初めて、今あるこれがもっとこうなっていればいいのに、
こういうモノがあればいいのに、と思うことが多いこと多いこと・・・。
ファッション、化粧品、雑貨、食べもの、飲食店、靴、街・・・・
若い頃に欲しかったもの、欲しかったこととは確実に違う。
リアルな声、もっと生かされれば
60代、70代、80代のことも、私が今想像している様子とはきっと全然違うんだろう。きっとこうだろう、という想像をもとに作られたものでは、どこか中途半端なんじゃないかな。
今、シニア世代に売れていると言われているものだって、本当に満足しているとは限らない。
それしかないから選んでいることだってあるだろう。
リアルな声が生かされたモノづくりの必要性を感じる。
高齢者というと介護問題がクローズアップされがちだけど、実際は元気な高齢者の方が多い(年代にもよるが)。。
高齢化がどんどん進む今の時代だからこそ、60代、70代、80代、それ以上のリアルな声が生かされるモノづくりがされるといい。
60代、70代、80代、それ以上の人たち自身が、実際の商品開発に多少でも関われたら・・・
元気な高齢者が心から満足できる商品がたくさんあれば、
今よりももっと楽しい60代、70代、80代、それ以上になるように思えてならない。