SNSの使い方には、人それぞれにいろんなルールがある。
先日見つけた人のコメント書き込みルールは、次の通りだった。
①賛成・共感・称賛はみんなの前で。
②疑問・反論・否定は一対一で。
③対案・意見は自己発信で。
私は、
別の人が「これはわかりやすいルールだ」とFacebookで投稿した記事を見て
この人のルールを知った。
なるほど。
この投稿記事については、多くの人が賛同し、
Facebook上でも賛成コメントやシェアが盛んに行われていた。
たしかにわかりやすい。
でも、・・・そうかなあ。
③対案・意見は自己発信で。
私は、
別の人が「これはわかりやすいルールだ」とFacebookで投稿した記事を見て
この人のルールを知った。
なるほど。
この投稿記事については、多くの人が賛同し、
Facebook上でも賛成コメントやシェアが盛んに行われていた。
たしかにわかりやすい。
でも、・・・そうかなあ。
ルールは人それぞれだ。
私にとっては・・・全面的に賛成ではなかった。
この人が掲げたルールを読む限りは、私もそんなには違和感がないし、
乗っ取りとかは論外だし、なるほどね~とは思うんだけど、
それを紹介したFacebook上に次々と寄せられた賛成コメントやシェアを
読んでいくうちに、だんだん違和感が出てきた。
賛成コメントを書いた人たちが、
ルールを犯す人を非難し、そうだ!そうだ!とそれに賛同する雰囲気は、
All or Nothingの空気。
もはや他の考え方をシャットアウトしそうな空気に思われた。
賛成しか見たくない?
賛成しない人はそこでは水を差すな?
私が違和感を感じるのは、正しいかどうかを決めようとするからなのかもしれない。
意見を一つにしようとしていると見えたからかもしれない。この人が掲げたルールを読む限りは、私もそんなには違和感がないし、
乗っ取りとかは論外だし、なるほどね~とは思うんだけど、
それを紹介したFacebook上に次々と寄せられた賛成コメントやシェアを
読んでいくうちに、だんだん違和感が出てきた。
賛成コメントを書いた人たちが、
ルールを犯す人を非難し、そうだ!そうだ!とそれに賛同する雰囲気は、
All or Nothingの空気。
もはや他の考え方をシャットアウトしそうな空気に思われた。
賛成しか見たくない?
賛成しない人はそこでは水を差すな?
私が違和感を感じるのは、正しいかどうかを決めようとするからなのかもしれない。
物事を、なんでも○か×で決めようとするのが、私にはあまり馴染まない。
私には私の考えがもちろんあるんだけれど、
人によっていろんな考えがあると思える自分でいるのも、私には大事なことだ。
そういうのをできるだけ認めたいし、
私自身もそういう意見にはできるだけ耳を傾けたい。
そういう余裕のある大人になりたい。
まあ、それで落ち込むことも確かに多いのだけれど。
だから私はFacebookをはじめとしたSNSでは、
私はこう思うけどね・・・って感じで伝えたいし、私にもそう伝えてほしい。
まあ、非難するんではなくて。
さらに人それぞれにとってのルールと言うのは、人それぞれだけでなく、
時代とともにかわってくることもあるようだ。
例えば私自身をふり返ってみても、
数年前と今では、SNSへの感覚がずいぶん変わっている。
2011年夏には、
知り合いがどこで誰とどんなふうに遊んでいるのかが見えてしまうことを
私は気持ち悪いと感じている。
「Facebookは少し不気味」
http://kimikoishizaki.blogspot.jp/2011/08/facebook.html
プライバシーの安全性と、相反する動きに納得できなかった。
今ではあまり何も感じない。
その3か月後には、友達の質よりも量を追いかけることについて疑問を投げ、
「友達は量?質?」
http://kimikoishizaki.blogspot.jp/2011/10/blog-post_19.html
それから3年。
ツイッターを通じて、会ったこともない知らない人から似顔絵イラストのプレゼントを
いただいた。
「SNSとのおつきあい 知らない人からの嬉しい贈り物」
http://kimikoishizaki.blogspot.jp/2014/09/sns.html
考えてみれば、不特定多数のメディアの取材を受けることもあるし、
不特定多数にイベント告知をすることもある。
このブログだって名前を写真も出しているけど、知っている方だけが読んでいるわけではない。
だから、それまで3年半守ってきた「会ったことがない人とは友達にならない」
というマイルールを、今年の1月に撤廃した。
「SNSへの気持ち、つきあい方がどんどん変わる」
http://kimikoishizaki.blogspot.jp/2015/01/sns.html
一人の人間でも、感じ方やマイルールが変わる。
ましてや違う人なら、ますますルールが違って当然だ。
私は顔つきへの興味から遺影を考え、エンディングノートに出会い、
いろんな人の人生を聞かせてもらい、いろんな人と人生を一緒に考えていくと、
「自分らしい生き方とは?」というテーマに当たる。
その「自分らしい」形は、人の数だけあることを再確認する。
しかも、同じ人でも時の経過とともに考え方が変わることも少なくなくて、
その変化も含めてその人らしさだと思うのだ。
いろんな生き方がある。
それをできるだけ認めていきたい、というのが今の私だ。
たとえ共感できないとしても、だ。
人の人生って同じものはないし、
ある部分で共感できてもある部分では違うなと思うことがあるのは
当たり前のことだ。
そういう風にいろいろ許容できることこそが、
私にはオトナの余裕のように思えて、
自分自身もできればそういう人を目指したいし、そういう社会であればいいのにと思う。
SNSのコメントルールも、人それぞれ。
私には、そうだ!そうだ!と賛成だけというのはちょっとなじまなかったので、
その人のご呈示ルールのように、こちらの自己発信で書かせてもらいました。
3月15日朝日新聞で、コメントをご紹介いただきました。