2015年3月10日

自分の顔のよさって、意外に自分ではわからないものだ

私がブログを始めてからは、もう5年以上経つけれど、
ネット上に自分の顔写真を出すようになってからはまだ3年経つか経たないか、だ。

自分の顔を出す、というのはなかなか勇気が必要だった。

ブログは遊びだけでなく、
仕事をいただくツールの一部としても位置づけていたので、
本来なら顔出しをしっかりするのが当然なのだが、これがなかなかできなかった。

いやいや、顔なんて出さなくていいでしょ?!
ずっとそう思っていた。

顔が出ていないので、私の大体の年齢も不明だ。

しかし、何もないのもちょっと・・・と思い、似顔絵を出していた。
髪型、輪郭、眉、目、鼻・・・それぞれのパーツごとに何種類もあるので、
その中から自分に近いものを一つづつ選んでいく。
そうすると似顔絵が完成するのだ。
絵心がない私でも簡単に作ることができ、それをブログに掲載していた。

しかし、似顔絵は写真とは違う。
似顔絵が出ているということは、写真を出せないと言っているようでもあり、
却って怪しくも見えただろう。

その結果、私を知らない人のためにあるべきはずったブログが、
私を知っている人が私を確認するためのものになっていったように思う。
知らない人に知ってもらうために書いていたのに・・・。

今になって考えてみると、
なぜそんなに顔出しができなかったのかがよくわからない。
自意識過剰も甚だしい(苦笑)。

そんな私が、顔を出すようになったきっかけがあった。

それは、初対面の人(女性)と名刺交換をし、
お互いに簡単な自己紹介をした後のこと。
私が書いていた遺影のブログの話題になり、
その人が私が書いている遺影ブログに興味を示してくれた。

彼女はとても感じの良い女性だったこともあり、帰宅後に私は、
御礼と合わせてブログのURLをメールしたのだ。

後日、彼女からブログを見たと返信をもらったのだが、
そこに書いてあったのが、

石崎さん、ブログの似顔絵、うーん、っていう感じです。
遺影じゃないけれど、実物はもっと素敵なので、
イラストもっと素敵に描いてもらった方がいいのに、と思います。

私は、遺影が残念な形になるともったいない、と言う話をしていて、
遺影ブログでもそういうことをしばしば書いていたのを受けてのことだった。

これには正直とても驚いた。
なぜなら、私は実物(写真)を出すよりもよいと思って、似顔絵を出していたからだ。

彼女に、自分の似顔絵は頼んだイラストではなく、
自分でパーツを選んで書いたお手軽制作であったことを伝えたところ、

自作ですか!なるほどね〜。
だからきっと、謙遜が絵にでちゃってるんですね。

と再び返信が返ってきた。

強みとか、長所とか、魅力とか・・・・
自分自身の棚卸しが必要だといろいろな場面でよく言われるけれど、
自分で自分の肯定的な棚卸しをするのは、意外に難しいものだ。
それどころか、勘違いと言うこともある。

それが目に見えないことならいざ知らず、
目に見える「顔」のようなわかりやすいものでもそうなのだ。

他の人が魅力に感じてくれる顔は、
意外に自分から見たらどうってことない顔なのかもしれない。
自分でいいと思う顔は、
他の人から見るとあまりよくないことがあるのかもしれない。

この人、本当はもっと素敵なのに・・・。
この人、ちょっと勘違いしてる・・・。

私のことはわからないけれど、他の人の顔写真を見るとしばしばそう思うことがある。


他人の方が自分の魅力をよく知っている。
他人がいいと思うことに、自分では意外に気づかないものだ。

私にそう気づかせてくれたのが、その彼女のメールだった。
2011年11月のことだ。

今でも彼女の言葉にはとても感謝している。