2015年1月13日

両親の名前、父方母方の祖父母の名前・・・どこまで知っていますか?

昨年4月より、エンディングノートを書く継続講座を開催している。

エンディングノートというと、一般的には高齢者のためのものと思われがちで、
老い支度として自分の死後に向けて家族のために書くと思う人が多いが、
うちの講座では30代から60代と幅広い世代が参加している。

たしかに財産、医療、葬儀、供養など、事務的なことを書く項目もあるのだが、エンディングノートには、自分自身の人生をふり返り、これからの生き方ややりたいこと、趣味、思いなどを書く項目がある。
生まれてから死ぬまでの自分の人生の中で、今の自分の立ち位置がわかる道具として、とても有効なものだと私は捉えている。

その講座では、毎回設定されたテーマに基づいて、知識を学んだり、現場の話や裏事情を聞いたりしながら、各自が自分のエンディングノートを少しづつ書き進めながら、家族や自分の人生を考えていくのだ。
テーマに合わせた専門家に来てもらうこともしばしばだ。

その講座の中で、12月に家系図を書いてくる宿題があった。
自分の父と母を記入する。
・・・・続いて父の父と母(祖父母)、母の父と母(祖父母)を記入する。
もちろん、既に亡くなっているケースも多いのだが、記入するのはフルネーム。
下の名前までだ。

その回で来てもらったのは、相続を専門とする行政書士の先生だ。
その先生によれば、今の時代、自分の祖父母、それも父方母方双方の祖父母の名前(フルネーム)を全員書ける人は、大変少ないということだった。

子ども時代の祖父母は、「おじいちゃん」「おばあちゃん」であって、名前までは知らず、そのまま亡くなってしまうと名前まで知らない人が多いという。
仮に健在であったとしても、年賀状や手紙文化が衰退しつつある今の時代、文字にする機会がないので、名前までは知らない人が多いそうだ。
祖父母との関わり、関係性も影響してくるのだろう。

ちなみに私の場合は、子ども時代に父方祖父母と同居していた3世代家族だった。
二世帯住宅がまだ少ない時代で、毎日朝昼晩の食事からお風呂まですべて一緒の昔ながらの家族だったので、祖父母の名前(フルネーム)は当然のように知っている。
母方祖父母は遠くに離れており、年に1~2回夏休みなどに訪ねる程度ではあったが、やはり祖父母とも名前(フルネーム)は知っている。
同居していなくても、年賀状や手紙を書くことがあったからかもしれない。

行政書士の先生の話では、親族との関係性が薄いことが大きく影響しているように思われた。
相続問題に直面すると、この名前もわからないかもしれない人の戸籍を取り寄せねばならないことが起きる場合がある。
たとえはるか昔に亡くなっていたとしても、だ。
名前がわからないというのは、関係性が薄い可能性が高く、話し合いをするにもスムーズに進めにくくなることもあるようだ。

今後、年賀状が減り、文字を書く習慣が減ることで、益々名前まではわからない人が増えていくことだろう。
それでも、たとえ名前まではわからなくても、手続き上必要なことは、調べていけば、大変な手間ではあるがなんとかわかる。

むしろ考えておきたいのは関係性。
名前を知らないくらいということは、その係累とのつきあいが薄い可能性が高い。
私の場合、祖父母の名前がわかるとは言っても親族と会う機会は急速に減っている。
イトコ(従兄弟従姉妹)とはもう10年以上会っていない。
今後、どういうつきあいをしていくのか。

エンディングノートというのは、生まれてから死ぬまでの自分の人生はもちろんのことだが、その周りのこと、親や兄弟姉妹、子どもなど、今の自分の周りの人やその人との関係性について気づかせてくれる道具としても、有効なものだ。

今、家族関係や家族問題というのは、深刻化しているように感じる。
遺産相続も、揉めごとの件数はどんどん増えている。
財産の多寡ではない。むしろ財産が少ないほど揉めている。

相続対策という意味ではなく、どうやって心穏やかに暮らしていくか、生きていくか。
自分だけでなく、親や配偶者、兄弟姉妹、さらにその配偶者・・・
親族とどのようなつき合いをし、どういう生き方をしていくか。

家系図を書いてみることは、そういうことを考えるきっかけになる。





なかなか聞けない、終末医療現場で働いていた緩和認定看護師さんの話を聞くコラボイベント。
そのお話から自分の今を考え、生き方を考えてみませんか。
生き方を考えるのに便利なエンディングノートと、その中でも特に難しい項目の医療にスポットをあて、明るく考えていきます。