2015年1月16日

「安楽死」で考える。命は誰のものなのか。自分だけのものと言えるのか。

人の顔への興味がきっかけで、私が遺影に興味を持つようになったのは、もう今から何年前になるだろうか。
遺影を見ながら、顔についてさらにあれこれ考えるようになったのだが、そのせいで人生のエンディングに関する情報にたびたび接するようになった。

考える中でしばしばぶち当たる壁が、人の命は一体誰のものなのか?ということ。

去年の11月、アメリカで脳腫瘍を患った29歳の女性が安楽死を選択すると投稿した動画はアメリカで大きな話題になり、日本でもニュースに取り上げられた。

これが、安楽死なのか、尊厳死なのか、・・・

安楽死にも積極的安楽死と消極的安楽死とがあって、安楽死の範疇は難しい。
日本尊厳死協会では、安楽死と尊厳死を明確に区別しているが、いざ現実問題としてはなかなか難しいのではないかと個人的には思っている

私は、自分の命は自分のもの、自分が決めるものだと、かつてはずっと考えていた。
しかし、残された周りの人の大きな悲嘆(グリーフ)を知るにつけ、必ずしも自分だけの命ではないかもしれないと考えるようになりつつある。
また、さまざまなケースを知る中で、自分が決められるとは限らない事情も知るようになってきた。

14日にはテレビ(「報道ステーション」テレビ朝日)でもヨーロッパの「安楽死」事情が取り上げられていたが、そこでは、本人、そして家族を取材していた。
家族に後悔があるようには見られなかったが、満足しているか、100%納得しているかは計り知れない。

スイスやオランダでは合法化されている安楽死だが、日本では安楽死は合法化されてはいない。

日本尊厳死協会では、自分の意志を元気なうちに記しておくリビングウィルを薦めている。

私は、自分が回復の見込みがなく、痛みなど苦痛が大きくなった場合には、苦痛を和らげることに集中し、延命治療はしないでほしいと現時点で考えている。
が、積極的安楽死は望まない。


生き物には寿命というものがあるのだということを受け入れ、できればそれに抗わずにいたい、というのが現時点での私の考え方だ。

でもこれは現時点の考え方だ。
人の気持ちは変わる。

「もういい。こんなに長生きすると思わなかった早く死なせてほしい。」と言う人。
「もっといい治療があるのでは? まだまだ諦めきれない。」と言う人。

人によっても違うし、同じ人であったとしても、時間の経過とともに気持ちは変わるのだ。
そこが、終末医療の難しさでもある。

アメリカの29歳の女性も、途中で心境の変化を動画で語る動画を投稿したという情報もある。

しかし、終末医療現場で働いていた緩和認定看護師から、
「人は死を受け入れてから死までの時間に、魂が成長すると感じる。」
と聞いたことがある。

それはどういうことなのか。

自分がその領域に行けるようになるとはとても思えないけれど、
寿命を受け入れることで、魂の成長につながるのかもしれない、と今の私は考えている。


なかなか聞けない、終末医療現場で働いていた緩和認定看護師さんの話を聞くコラボイベント。
そのお話から自分の今を考え、生き方を考えてみませんか。
生き方を考えるのに便利なエンディングノートと、その中でも特に難しい項目の医療にスポットをあて、明るく考えていきます。