2015年4月11日

ほんのりピンク、あせたピンク

 今年の桜のシーズンは一斉に花が咲いた。狂い咲きみたいに。
私は桜が大好きで、今年は暖かい日が多かったこともあり、
近隣の桜を見に歩き回った。

自宅から数キロ先に自転車で出かけた時のこと。
大きな公園の入り口に、ほんのりピンクの桜を見つけた。
見ればその先にたくさん桜がありそうだ。
とてもきれいだったので自転車を停め、私は公園の中に向って歩き始めた。
すばらしい桜だった。


少し進むと、桜の先には鮮やかな花壇が広がっていた。


すごいキレイ!
うわあ!

たった一人で歩いているのに思わず声が出る。
さらにその先には真っ赤なチューリップや色とりどりのパンジーが広がっていた。

ずっと歩いていたら、あまりに色とりどり、色鮮やかなたくさんの花にお腹いっぱいな気持ちになり、戻ってきたら、さっきあれほどきれいだなぁと思った桜が妙に色あせて見えた。
同じ桜なのに。

こういうことが、普段の中でもよくある。
それまで感動していたことなのに、さらにすごいと思うことがあると感動していたはずのことが色あせて見えてしまうのだ。

今、感動しても、もっともっととばかりに自分の欲求は強くなっていく。
そうやってどんどんそれ以上の感動に出会っていくうちに、
それまで嬉しくてたまらなかったことや、楽しくてたまらなかったことが、そうでもなくなったりするのだ。

だけどそのこと自体は、実は何も変わってない。
それなのに感動が小さくなってしまうのはもったいないことだ。

結果的に幸せが小さくなるようなものだ。

ほんのりピンクの桜のあとにぐっと鮮やかな他の花を見て、大好きだったはずの桜が色あせて見える。
それによって、いっぱいの桜を愛でる気持ちまでが萎んでしまう。

自分の見方一つで、同じものが違って見える。
それで幸せの大きさまでがを自分で小さくしてるとしたら・・・
それはあまりにもったいない。

小さいことに感動できたことを記録しておけばそのことを思い出せる。

私が取り組んでいるエンディングノートというものは、
自分の感動ヒストリーの記録という側面もある。
エンディングノートを書くという行為は、自分がどんなことに感動していたかを
きっと思い出す効果があるに違いない。





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