まあ、怪しい情報もいっぱいあるけれど、それでも調べればいろんなことがわかる。
昔は本屋さんに行き、図書館に行き、詳しそうな人に電話をして聞いて、
場合によってはその人を訪ねにも行き・・・・
今考えると、嘘のような話だ。
インターネットの登場は産業革命だというのもうなずける。
だけど、問題になるのは何がわからないかがわからないとき。
何がわからないかわかれば、それについて調べればいいんだから。
わからないところを集中的にわかるようにすればいいのだ。
でもそれができない・・・・
肝心のインターネットも、何がわからないのかは教えてくれない。
自分に聞くしかないのだ。
その自分が、何がわからないかわからないから、苦しいのだ。
時にはわからないことにすら気づかないおともある。
なんかモヤモヤとした気持ちってこともある。
それも正解がないことだったりすると、ますます苦しくなる
この何がわからないかを自分で、ちゃんとわかる人、というのが、
今の時代は本当に頭のいい人なんだと思う。
学校の成績とは別の話だ。
だけど、そういう人は、今、あまり多くいない。
わからないことはなんでも簡単に調べられるようになったことで、
何がわからないかを考えたり気づく能力は、昔より劣ってきているようにも思う。
「何がわからないのか」の答えは、実は自分にしか出せないのだけど、
だけど一人ではなかなか見つけられず、トンネルの中に迷い込んでしまう。
モヤモヤと霧の中に迷いこんでしまうのだ。
何がわからないかがわからないことが、自分への自信を奪っていく。
モヤモヤしている不安・・・、
そんなこともわからない自分への情けない気持ち・・・、
ずっと停滞していた頭の中が、人と話している途中でフッと動き出すのを
感じることはないだろうか。
迷い込んでいる時間は大事な時間ではあるけれど、
一人でじっくり考える時間も大事な時間ではあるけれど、
それが長引く時には、一人だけで考えない方がいいと私は思っている。
一人で考えてわからなくて答えが出ないのが続くと、
私の場合は自分への自信をどんどん失い、自己否定ばかりするようになる。
そうなるとすべてがネガティブに変わり、ロクなことにはならないんだから。
例えば先輩に話してみるのも一つ。
先輩、と言っても年齢的な先輩だけではなく、その道の経験者の先輩、
先にやっていた先輩、学んでいた先輩・・・、
思わぬ視点をもらったり、ありえない言葉がきっかけで
「自分は何がわからなかったか」の答えに気づくことがある。
私の場合は、そうやっていろんな人に何度となくトンネルから引きずりだしてもらったなあと、今、思うのである。
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