2015年4月6日

「春の雪 エンディングノートはまだ白し」 ですって。

定年が近づく世代、
定年延長でややゆったりと働く世代、
リタイアして悠々自適に働く世代、
・・・そういう人たちがよりアクティブに生きよう、賢い生き方を考えよう、
という趣旨の団体がある。

講座を催したり、学びの分科会を運営している
講座講師は、主に各々の専門知識やこれまでの経験を生かしすメンバーで、
運営はすべてボランティアである。
最近は似たような内容の講座は巷によくあるようだが、
受講者からは、この値段でここまでの内容?としばしば驚かれる。

私はその団体の理事として講師ではなく運営面でのお手伝いをしているのだが、
年度末にメンバーの集まりがあった。
その際に、俳句好きのメンバーから聞いたのが、タイトルで紹介したこの一句。

春の雪 エンディングノートはまだ白し

お仲間の句だそうで、表彰されたものだそうだ。

お仲間の俳句でもこのように詠まれるように、
エンディングノートというと、高齢者のためのものと思う人が多い。
実際はそんなことないのだが、
そういうイメージが定着しているのは、本当に残念だ。

私が初めてエンディングノートに出会った時、これはいいものだと思った。

これを書こうとする(書かなくても)ことで、いろんなことを考えられる。
考えるきっかけがもらえる。
今までの整理ができる。
これからのことが考えられる。

エンディングノートというと、家族のために書くものと思う人が多い。

たしかに家族のためにもなるけれど、それ以上に自分のためにもなるノートだ。
エンディングノートとは、まさに人生ノートだと思った。
今までの人生をふり返り、これからの人生を考えるためのノート。
今もそう思っている。

「『ライフエンディング・ステージ』に向けた研究会報告書」(2012年 経産省)に
よれば、エンディングノートの記入率はわじか1.3%。
エンディングノートを知っている、と答えた人に限っても、記入している人は
たかだか2%しかいないのだ。
あれから3年。もう少し増えているかもしれないけれど・・・

よくよく聞いてみると、書く気がないのではない。
いずれは書こうとは思っているけど、書いていないのだと言う。
なぜ今書いていないのか? 
「まだいいかなと思って」

そう、みんな「その時」が近づいたら書こうと思ってるのだ。
さて、「その時」っていつでしょう・・・?!

しかも、その中身は結構難しいものも多い。
耳慣れない言葉もたくさん出てくる。
高齢になっていざ書こうと思っても、なかなか書けるものじゃない。

私がエンディングノートについてお話させていただく機会でお会いする方々は、
エンディングノートと言う言葉はもちろん知っている。
けれど、エンディングノートを書いていないどころか、
どんなものなのか見たこともないと言う人がとても多いことに驚く。
エンディングノートの話を聞きに来ている人が、だ。

エンディングノートを開いてみると、
人生を始めから終りまでの1本の道として意識しやすくなる。
そう考えると、「今」この瞬間を意識し、「今」をより大事に思うようになる。
これからのことを考える姿勢が、少し変わってくる。
なんとなく時間が過ぎていく、惰性で生きる、というのではなく
やりたいことや、やるべきことをちゃんと考えたくなるのだ。

老若男女、世代も立場も関係なく、
エンディングノートはいつ書き始めてもいいものだと私は思っている。
早くから取り組めば、より多くその後の生き方に生かせる。

それでも、高齢者じゃなくたって書くのはなかなか難しい。

だからエンディングノートを書けないなら書かなくても、見るだけでもいい。
一気に書くのは難しいから、少しづつ書けばいい。
少しづつ書き足していけばいい。
気持ちや考えなんてどんどん変わるものなのだから、
書き加えたり、書き変えたりすればいい。

私がエンディングノートを書く上での一つのタイミングとしてオススメするのは、
「人生折り返し地点を超えたかも」・・・自分でそう意識する時。

それは過去と未来を意識するタイミングであり、
エンディングノートに出会うのに、いいタイミングだと思う。





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 4月 8日 生きる上で仏教が果たす役割(お坊さんの話を聞く)

 5月13日 人生の地図を描く(マンダラエンディングノートを使って)

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