2015年5月12日

一人のいろんな顔は、意外になんとなくバレてるもの。隠している方が恥ずかしいこともある。

会社の顔、家庭の顔、趣味の場での顔・・・

人にはいろんなコミュニティがあり、誰にもそれぞれに応じた顔が
きっとあるだろう。

私は何もかもをオープンにするのではなく、
それぞれの場でそれぞれの顔を出すというのをヨシとしていた。
それが、TPOに応じて、というものだと思っていた。

さらに、一人でいろいろな顔をたくさん持っている、という人を
私はカッコいいと思っていたようだ。
たぶん若い頃からずっと。

そのせいか、
××なイメージを抱いていた人が、実は○○、
みたいな意外性には、めっぽう弱かった。
それだけでその人がメチャクチャ魅力的に思え、勘違いした失敗もある(苦笑)。
単にこっちの思い込みに過ぎないのだが。

そんなこともあってか、
自分自身もたくさんの顔を持っていた方がいいと考えていたようだ。
しかも意外性があれば、尚よいと。

 会社では遊びの顔をあまり見せない方がいい。
 どんなふうに遊んでいるのか、休日にどんなふうに過ごしているのかを
 敢えて知らせない方がいい。
 だけど、ふとした時にチラッと見えると、ちょっとカッコいいかも?。

今となっては笑い話だが、どうやら私にはそんな思い込みがあったようだ。
もはや7年以上前のことだが、会社にいる頃の私は
そんな風に思っていたことに今さらながら気がつくのである。
随分恥ずかしい自己顕示欲だ(汗)。

私は仕事も大好きだったけれど、遊びも大好きで
スキーをやり、キャンプをし、音楽をやり、ダンスをし、
大勢を集めた野外遊びイベントを主催し・・・・
いろんなことをやっていたけれど、
会社の中ではそれについてはあまり語らなかった。

そういう遊び仲間の一部が偶々社内の人であった場合には、
私は会社の中では彼らとほとんど言葉を交わさなかった。
彼らは、私がそういうことを社内でオープンにしたがらない気配を悟り、
社内でそういう話題しないように気をつけていたらしい。

当時の私は、仕事の場に遊びを持ち込むのをヨシとしなかったし、
私は後輩には厳しかったつもりなので、
そんな顔を仕事の場で知られたら示しがつかないと勝手に思っていたのだ。

だけど、社内にいた遊び仲間は、全く違うように思っていたらしい。

 公子さんは自分が厳しい人、仕事では怖い人だと思っているだろうけど
 周りは意外にそうは思っていない。
 オッチョコチョイだったり、ヌケていたり、
 そういうことを含めて、周りは公子さんを見ているんだから
 別に気負わなくてもいいんだけど・・・ね。

あはは、なんともお恥ずかしい話で・・・・
自分では結構うまく演出しているつもりでも、意外に周りは知っている。
「素」のままでいいのに。

今でも私は、どこかオープンにしきれない弱さがある。
ちょっと秘密、あまり知られたくない、と(苦笑)。

今の時代は、どこかでいろんなことがすぐにバレてしまう。
どんなふうに生きてきたのか、調べようと思えば普通の人でも簡単に調べられる。
その人の仕事だけでなく、働き方だけでなく
実はいろんな部分が見える方が信頼を得やすい時代でもある。

いくつもの顔を持つ人が素敵だと、私は思う。
意外性もやっぱり魅力だろうと思う。

だけど、そのいくつもの顔を持つのは一人の人間であり、ベースは一つ。
必ずつながっている。
いくつもの顔は別個のものではなくて、積み上がることできっと価値を持つのだろう。
足し算ではなく掛け算で。







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