本を呼んだり、人と話をしたり、テレビを見たり、新聞や雑誌を見たり、
FBやTwitter等SNSの投稿を見たり、いろんな人のブログを読んだり・・・
いろんな情報に接すると、次々とアイデアが浮かぶ。
どんなに考えても浮かばなかった頃から思うと、気分がいい。
当時こんなことを書いたのには、
あるボサノバミュージシャンのライブで聞いたトークがきっかけだった。
人生で40代が最も油がのる時期。
日々進化していき、それがもうすぐ完成型になる。
このトークを受けて、その感じがちょっとわかると当時の私は思ったのだ。
あれから4年経った今、私は
次々とアイデアが浮かんで気分がいい、という心境ではない(苦笑)。
今、思い返しても、
当時そんなに次々とアイデアが浮かんだのかなあ、
そんなに気分がよかったのかなあ、と
残念ながらあまり実感もない。
ただ、その続きを読んでおかしくなった。
だけど残念なのは、すぐ忘れちゃうこと。
昔はそんなことなかった。
そう。
当時以上に、最近の私は記憶力が衰えて悲しい(苦笑)。
特に困るのは人の名前。
顔はわかっていても、その方の名前がなかなか出てこないことにほとほと参る。
元々私は記憶力のいい方ではないし、
忘れ物も多いそそっかしい性格ではあるのだが、それにしてもイヤになる。
本当に年齢のせいだけだろうか。
これから高齢化率がどんどん高くなっていくと言う。
2025年には3人に1人が高齢者になり、
その時、認知症の人が500万人近くになっているという試算があるそうだ。
最近、認知症関係の知識を得れば得るほど、
自分自身にもその疑いがあるのではないかとドキドキする。
同世代とその種の話をすると、
どうやら皆、同じような感覚を抱いている。
そのせいで自分自身をとても心配している人がいる反面、
私以上に記憶力が衰えていてもケロッとしている人もいる。
それを聞いて、私はちょっと安心する今日この頃だ。
それにしても、私は4年前から「すぐ忘れちゃうこと」を
残念に思っていたのか。。。
残念に思っていたのか。。。
人の名前、地名、建物や施設の名前、本の名前、ちょっとした言葉・・・
固有名詞が出てこない。
漢字も忘れがちで、読めるけど書けない。
今、そういう私を最も助けてくれるのは、スマホである。
仕事関係の人の名前を忘れても名刺アプリがあるし、
Facebookの友達を辿っていけば、ほぼ思い出せる。
著名人や建物、本の名前なら、Google先生がほとんど教えてくれる。
今、私は、思い出そうとするよりも先に、すぐスマホで調べる。
いつの間にか無意識にスマホをいじっているのである。
4年前にはスマホを持っていなかったから、
一生懸命思い出すか、そばにいる人に聞くか、あきらめて帰宅後に調べるか、
しかなかった。
帰宅後に調べると言っても、メモしていないと調べ損ねるからほとんどそのままだ。
だけど今ならスマホは私といつも一緒。
いつだって私を助けてくれる。
私は今、一生懸命思い出すよりも先に、一生懸命スマホをいじっている。
もはやスマホがないと、今の私は不安で仕方がない。
世の中にスマホが普及し始めてまだ3年くらい。
私がスマホに慣れ親しむようになってからは、まだ1年になっていない。
スマホにずっぽりと親しんだ人が高齢になった時、いったいどうなっているだろうか、
まだ未知の世界だ。
まだ未知の世界だ。
ちょっと前に比べて、今の人はいったいどれくらいバカになっているんだろう。
今の時代は、
スマホがあるおかげでそれを助けてくれていると解釈すべきところか。
それとも、スマホが脳を甘やかして、記憶力の衰えスピードを速めているのか。
つい最近まで、私は自分の記憶力低下に対する自己嫌悪のせいで
自己肯定感が下がりまくり、何事にも後ろ向きになっていった。
しかし最近になって、それはもう仕方がないのだと思うようになりつつある。
不足する部分はスマホの力を借りていけばいい、と。
すぐに忘れちゃうことはたしかに残念なことだ。
でも、多少は仕方がないこと。
年をとってきたのだから。
・・・そう思うようになったことで、私の後ろ向きな気分も、実際に多少変わってきた。
年齢を重ねることで、どんどん知識・情報が入ってくる。
生きていると言うことはいろんな経験を重ねるということだから、
知識・情報と経験を積み重ねで、人は誰でもどんどん進化していくはずだ。
だけど、個人差はあるけど、
年齢とともに人はどんどん記憶力が衰えていくのは抗いようもない事実だ。
だけど、文明の利器に頼らずにずっと悶々とし続けるのと、
いったいどっちがいいのだろうか。
いったいどっちがいいのだろうか。
6月10日 生きざまと顔の関係 自分の顔について考える。
5月18日 人生の地図を描く(マンダラエンディングノートを使って)
入会は受付中ですが、体験参加は満員御礼となりました。