2015年5月7日

高齢の親と話をしようとするときに大変なこと

大型連休の中で高齢の親に会いに行った人も多いことだろう。
私は三姉妹の長女で、私たち姉妹がそれぞれ結婚してからは
両親はずっと二人だけで暮らしており、今80歳を過ぎた。

姉妹がそれぞれときどき両親を訪れ、
顔を見せたり見に行ったりはしているものの、
私たち姉妹の日常はそれぞれバタバタと忙しくしていること、
おかげさまで両親がそこそこ元気であること、などを言い訳に甘えて、
そう頻繁に訪れているわけではない。
そのため、親に伝えたいこと、親に聞きたいことがあったときは、
電話ではなく、顔を見ながら話をした方がいいだろうと思い、
実家に出かけるように心がけている。

ただ顔を見る(見せる)のが目的ならそれはそれでいいのだけど、
話をしよう、話を聞こう、という目的がある時は大変だ。

なぜなら、なかなか本来しようと思っている話ができないから。

両親はまず会うことそのものを楽しみにしている。
久しぶりに会うから父にとっての話したいこと、母にとっての話したいことが
それぞれたくさんある。
そのため、なかなか私が話そうとしていること、聞きたいと思っている話題に
辿りつけない。
実家に帰ると、親はシャワーのようにしゃべり続けている(笑)。


illustration ; Yuka Fujiwara

それは私だけでなく、妹が帰っても同じだ。

やっと話したい話題に辿りついて話が始まったとしても、
話しているうちに親が何かを思い出したり、気がついたりすると、
「そうそう、そう言えばこんなことがあって・・・」と話し始め、
アッという間に話題が変わっていってしまうのだ。
ご近所のこと、親戚のこと、親の友達のこと・・・
親にとっては大事な話題だ。

どんどん時間が過ぎてしまい、話したいことが話せない。
聞きたいことが聞けない。

これが仕事だったら、雑談から仕事の話に戻そうとするのだが、
家族となると難しい。

親としても話したいことがたまっているのだろう。
たまに会ったのだから話を聞こう。
・・・そうは思いながらもどんどん時間が過ぎていくから、
私はつい「話を戻していい?」と聞きながら、最初の話題に戻そうとする。
ところがすぐにまた違う話題にすり変わっていき、
肝心な話はなかなかできないのだ。

高齢の親と向き合って話をする難しさとは、こういうところにあると思う。

高齢になると、「今すぐ」意識が強くなるようだ。
気になったら今!
聞きたいことは今聞きたい。
言いたいことは今言いたい。

きっと、忘れっぽくなっていることを自覚しているから、
あとでまとめてやろう、まとめて聞こう、ということが不安になるのだ。

理屈は分かる。
他人だったら、頭で理解して待とうと意識できるかもしれないが、
家族となると、そこには甘えもあるし、感情もあるから難しい。

自分の話したいことが遮られると、親の話をじっと聞いて待つのは苦しい。
子どもとしては親の理解度が落ちているという現実が悲しい。
時間的精神的余裕がないと、話が進まないことにイラつく。
・・・家族だからこその感情だ。

そのうち面倒になって、親の話を聞かなくなったり、
聞いていても右から左だったり、話をするのをやめてしまったり
する家族も、きっと多いに違いない。

だけど、話をしなくなると、
「聞いておけばよかった。」
「言っておけばよかった。」
あとで大きなしっぺ返しが来る。
縁を切りたいなら別だけど、そうでないなら大きな弊害がやってくるのだ。

これを乗り越えるためには、
「話したい」「聞いてほしい」気持ちが溢れるほど溜まらないように
聞くしか、方法がないように思う。
もしも溜まってしまったときには、覚悟を決めて相手をする。
それができるように時間的精神的余裕をもって親に会いに行くしかない(苦笑)。

子どもの頃、私は祖父母と同居していた。
毎日他愛のない話をしながら、一緒に食卓を囲んでいた。
毎日話をしていたし、甘えたり、言い争ったりしながらも、
考えていそうなことは想像できた。
だから、しゃべり続ける状況や、それを遮ろうとする状況にはならなかったんだだろう。

暮らし方の変化や、核家族化は、
高齢の親と普通に話をすることへも大きな影響を与えている。





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