1日の歩数が100歩に満たない日が少なくない。
身体の調子もあちこちおかしくなってくる。
自転車乗りの夫の影響だ。
5年くらい前から、夫は自転車に夢中になった。
週末になると200キロ、400キロと走る。
そこには夫より一回り近く歳年上の師匠の存在がある。
もちろん、私は夫とは全く違って、近隣への交通手段の選択肢のひとつとして
自転車に乗るよういなったにすぎない。
せいぜい5~6キロのことで、長距離と言っても10キロ程度だ。
さて夫は、その師匠からこれまでにいろんなことを習ってきたと言う。
体力の温存の仕方、スピードコントロール、筋肉の使い方・・・
夫が自転車を始めて既に5年以上経つのだが、
夫にとっては、師匠はどう頑張っても超えられない大きな壁なのだそうだ。
60を優に超えているけど、とてもかなわないのだと言う。
夫にとっては、師匠はどう頑張っても超えられない大きな壁なのだそうだ。
60を優に超えているけど、とてもかなわないのだと言う。
師匠は穏やかな紳士で、
気張るとか偉そうなところが全然なく、私から見ても魅力的な素敵な60代だ。
大型連休の最終日、私は友人たちと車で群馬県の馴染みの宿に出かけた。
同日、夫は師匠と自転車で日光からいろは坂に向かい、私たちは宿で合流した。
一緒にお酒を飲みながらくつろいでいた時、その師匠から聞いた話。
どんなスポーツでも、多少でもやっていれば大体カラダは覚えている。
スポーツをやっていたことって無駄にならないんだよ。
サッカーをやっていた人とやっていない人、
テニスをやっていた人とやったことがない人、
スキーをやっていた人とやったことがない人、・・・
歴然とした差がある。
たしかにその通りだ。
私は昔、ずっとスキーをやっていた。
ここ20年は滅多にスキーに行かなくなったが、それでも今でもスキーをやれば、
一応多少は滑れる。
一応多少は滑れる。
疲れるけど、板をかついで歩くこともなんとかできる(だろう)し、
リフト待ちではスキーを履いたまま少しづつ歩くこともできる。
リフト待ちではスキーを履いたまま少しづつ歩くこともできる。
スキーをやったことがなければ、
スキーを履くのも立っているだけでも、きっとイッパイイッパイだ。
スキーを履くのも立っているだけでも、きっとイッパイイッパイだ。
やっていたという事実だけでなく、そのスポーツ特有のカラダの動かし方、
コツみたいなものをカラダはちゃんと覚えているのだ。
コツみたいなものをカラダはちゃんと覚えているのだ。
どんなに長い時間がたっていたとしても。
だからやったことがないことはできないのは当たり前だし、
やっていたことはそれだけで貯金でもある。
今からでも始めれば、カラダの中に貯金ができる、と。
今、私は自転車に乗るようになり、
私のカラダの中に少しづつ貯金がたまっているのかもしれない。
私のカラダの中に少しづつ貯金がたまっているのかもしれない。
「やる」ということ・・・それは必ず貯金になる(と思う)。
だから、とりあえずやってみるというだけでも、きっと大きな力になるだろう。
カラダだけじゃない。
どんなことだって、やってみることに意味がある。
本で読んだり映像で見たりするだけでなく、実際に自分がやってみること。
やったことがあること、
それ自体は、見聞きするだけよりもずっとずっと大きな意味がある。
それ自体は、見聞きするだけよりもずっとずっと大きな意味がある。
夫の自転車の師匠の話は、そんなことを教えてくれた。