今まで自分のことだけ考え、好きなようにやってきたけど、
いつのまにか親が随分老いてきた。。。。
私が生き方やエンディングノートに関わるようになって、こういう話を聞く機会が増えてきた。
高齢化社会についての報道が多いから、
親のことは頭の片隅にはあるけれど、まだまだ、もう少し・・・、
いずれは向き合わねば、等々思いながら、
まだ問題にはなっていないから、そこまで真剣には考えていない。
高齢の親がだんだん弱ってくる・・・・。
離れているから心配だけど、まだまだ元気だし、自分も忙しいし、
自分の生活、リズムもあるし・・・
何から考えたらいいかわからない。
自分が仕事を辞めなくてはならないだろうか。
自分の今の生活はどうなるのだろうか。
いろんな不安が渦巻いているのがわかる。
特にご自身は都会で仕事をし、老親が離れた郷里で暮らしている場合、
シングルの人は自分がやらねば、という思いを抱える人も多く、
切羽詰まったように見える。
何もできずにいる人たちから直接声をかけられたり、
そういう人を見かねて、知り合いが私に声をかけてきたりする。
どこの家にも、出てきそうな話だ。
私自身も、似たような状況が過去もあったし、今も進行中だ。
これが経験者だったら、ある程度知識もあるし、それをもとにどこから手をつけたらいいかを考えていく。
だけど未経験者だと、どんな支援体制があるのか、どこに聞けば分かるのか、を知らず、問題の本質がどこにあるかもわからないままに、自分自身の将来不安と重なって呆然となってしまうように見受けられる。
私の場合は、似たような経験をしている人をあちこち探してそれぞれに話を聞きながら、一つ一つ新しい知識を仕入れた。
それを自分の問題に照らし合わせながら、解決策を探っていった。
今も進行中だ。
周りを見回すと、経験者と未経験者とでは、事態が起きたときの心構えや対応が全然違うのがよくわかる。
また、情報や知識がある人とない人とでは、対応力や落ち着き度合が全然違う。
老親も、どんな病気なのか、どういう介護が必要なのか等、
状況はいろいろだろうが、ネットではいろいろな情報が溢れていて、
自分にフィットする情報にはなかなか辿り着けないことが多い。
しかも未経験者で知識がない人の場合には、まず気持ちがイッパイイッパイ。
「どうしよう、どうしよう、」が心から溢れているから、
益々、当事者にとって本当に必要な情報、適切な情報に辿り着けないのである。
「どうしよう、どうしよう、」が心から溢れているから、
益々、当事者にとって本当に必要な情報、適切な情報に辿り着けないのである。
本来、こういう状況はじわじわとやってくることが多いのだが、
今の時代は、家族(老親)と一緒に暮らしている人が少ないから、
子どもから見ると、「突然の出来事」になりがちだ。
心の準備がない。
情報や知識がない。
しかも最近の親がどんなふうに暮らしているのか、どんなふうに考えているのか、を想像以上に知らないのである。
だから大変なのだ。
お医者さんにはどこにどれくらいの頻度で行っているのか?
朝、何を食べているのか。
誰と仲がよいのか、誰とどこに出かけるのか。
何をしている時間が楽しいのか。
苦痛なのはどういうことなのか。
等々・・・
当たり前にに知り得た情報が、一緒に暮らしていないとわからない。
昔、元気だった頃の記憶やイメージしかない。
意外に変化しているものだけど、今でもそうだと思い込みがちだ。
行政の支援体制、民間の支援体制の情報を知ることは大前提ではあるけれど、
それに加えて、暮らしぶりを知っていると、「突然の出来事」への対応力がさらに上がるように思う。
そういうことまで整理する上で、エンディングノートは便利である。
とは言え、エンディングノートを持っている人でも、
実際に書いている人はわずか2%と言われる。
親に書いてもらうのではなく、一緒に書く。
あるいは、子どもの方がエンディングノートを参考にしながら、親に話を聞く。
~そんな風にエンディングノートを使えるとよいと思う。
6月10日 生きざまと顔の関係 自分の顔について考える。