そのため、不動産を購入後にバブルが崩壊し、所有していた不動産価格が暴落して痛い目にあった経験がある人がちらほらいるけれど、それでも不動産への執着はなかなか捨てられない。
不動産を持たねば! 持ってないと!
・・・どこかで、そんな風に思っているところがある。
たとえお金がなくても不動産さえ持っていれば、いざという時に不動産を担保にお金が借りられる(だろう)。
いざとなれば不動産を売ればいい(だろう)。
そんな風にも思っていた。
2年前、自宅の内装工事をすることになり、困ったのは工事中の寝泊り場所だった。
ほんの1~2か月、寝泊りする場所。
それも、寝泊りするだけでなく少々の家具も一緒に。
部屋を借りようとすれば、一般的には敷金+礼金+家賃。
ほんの1~2か月なのに、とんでもない金額になる。
お金だけでなく、愛猫も一緒に連れていくためにほかの条件も次々出てくる。
困っていた時に声をかけてくれたのが友人だった。
友人のご両親が住んでいた家に・・・、というありがたいお話だったのだ。
ご両親は病気療養中で、当時は空き家。
いつ戻ってこれるかはわからない。
家財も荷物もそのままの状態だが、それでよければ・・・、という話だった。
我が家はその好意をありがたく受け、家具や一部電化製品を持ち込んで、愛猫と一緒に2か月近く、その家で暮らさせてもらった。
東京都内、自宅から車で約15分の距離。
近隣の多くは、20~30年前からそこで暮らしている人たちだ。
山手線主要駅まで電車で10分以内で都心へのアクセスもよい便利な場所であるにもかかわらず、
周囲は空き家だらけだった。
空き家にもいろいろあった。
持ち主が元々高齢の一人暮らしだったが、体調不安で今は子供夫婦の家で暮らしているために空き家、
売りに出しているけどなかなか買い手がつかない空き家、
持ち主が入院中で売る気がない(売ることができない)空き家、
持ち主の意志が確認できなくて売れない空き家、
いずれ回復して持ち主が戻ってくるかもしれないから今は空き家・・・
私たちが仮住まいさせてもらった家は、私の友人が家の中の空気の入れ替えや郵便物の確認をしに、週に何度か通っていた。
ご両親が戻ってくる可能性は低いものの、家財には手をつけられないし、家を貸すこともできないという話だった。
我が家にとっては大変ありがたい話で、ご厚意に甘えさせてもらうことにした。
ほんの2か月足らずではあるが、その間、ご近所とご挨拶をしたり、ゴミの出し方の相談をしたり。
いろいろ面倒を見てくれるご近所もいらして、わずかの期間とは言え、空き家だと何かと物騒だからと、私たちが住んでいること自体を、喜んでもくれた。
今、そんな空き家があちこちにたくさんあるのだ。
それは田舎の話ではなく、都会の話だ。
かつて持っていた不動産信仰は、もはや夢物語である。
よほどの好条件物件でもない限りそう簡単に売れるものじゃないから、「いざという時に売ればいい。」なんて幻想だ。
むしろ処分する方が大変で、財産になどならない時代になろうとしている。
2年前に私たちが仮住まいさせてもらった家は、私たちの仮住まいがきっかけで、今、私の別の友人が二人でルームシェアして暮らしている。
私が家主側家族に友人たちを紹介し、メリット・デメリットを互いに確認し、お話し合いの結果、交渉成立となったのだ。
交渉成立後、受け入れるにあたっては家主側の準備も、家財の整理や補修など大変だったけれど、それをクリアして、今、庭つきの昔ながらの昭和の家に、大人の女性二人が一緒に暮らしている。
キッチンやバストイレなどは共有するが、それぞれがきちんと個室を持つ。
ホワイトボードで互いの必要な連絡を取り合いながら、余計な介入もせず各々が自分のペースで暮らしている。
互いに無理して合わせることはないが、一緒に暮らすから互いの健康状態や仕事のことなどを気遣い合いながら暮らしているのが伝わってくる。
家主家族も時々やってくる。
様子を見に来るだけでなく、彼女たちが預かった家主宛ての郵便物や置いてある荷物を取りにも来る。
無意識だけど、互いに近況を確認し合っている。
都会の空き家が増える今、その家をどんどん活用しようという声はよく上がるけれど、現実問題として、家の中には家財がある。
だいたい空き家になる前には「半空き家」の状態があり、半空き家の場合は家主がいないわけではない。
そう簡単に家財を処分などできるわけないのだ。
元気のうちに片づけておけば・・・とよく言われるけど、「そのうちに」「少しづつ」「やろうとは思っているんだけど」そう言いながら、現実はなかなかそうはいかない。
家には人の暮らしがあって、家財には家族の思い出もある。
家族が体調を崩して入院中で、その入院がいつまでになるかメドも立たず、回復の見込みがあるかどうかわからない状態で、今その家にいないからと言って、家族がそう簡単に片づけられっこない気持ちは、痛いほどよくわかる。
でも家財ゼロの空っぽにならなければ、通常は別の形でその家を活用することなどできっこないのだ。
今回これが成立したのは人と人とのつながりがあったから。
偶々私がそこに住まわせてもらう機会を得たこと、
そういうお宅に仮住まいした話を友人にしたこと、
引越を検討できるような状態の友人がいたこと、
等々の偶然が重なり、それを結び付けることができたからだ。
全然知らない人同士だと、たぶんなかなかこうはいかないかもしれない。
私の両親が二人で暮らす家も、今は二人でなんとか元気に暮らしてはいるけれど、これからどうなったいくかわからない。半空き家になる可能性だって高い。
空き家対策はもちろん大事なことだけど、半空き家の状態から活用ができればいいと思う。