2015年2月2日

「人の顔」が気になる。その顔の背景が気になる。

今まで私は人の顔が気になると言い続けてきたけれど、それはなぜなんだろう。

ただただ、人の顔が気になっていた。
この人は、なんでこうい顔になったんだろう?
いつの間にこんなに素敵になったんだろう?
あれ?昔はきっと美人さんだったろうに・・・?

そして、その延長線上で、最期に遺す顔、つまり遺影までが気になるのである。

いつも、気づくとそう思いながら人の顔を見てきた。
でも、なんでそんなに気になるんだろう。
それは人の役に立つのだろうか。

・・・そういうことを、今まで私はあまりきちんと考えてこなかった。

考えてみると、私が気になるのは、顔だけではなかった。
その人の生き方というか、今までどんな人生でしたか?とか、苦労したんですね?とか、そんな実績をお持ちなんですね?とか、そういうこととセットで、顔が気になるのだ。
誰だっていろんな形で今まで頑張ってきた。
人それぞれいろいろなことがあり、それを一つづつ乗り越えてきた。

その方の人生を聞くと、そういうことの集大成が、今のお顔なのだ!と、お顔を見ながら妙に腑に落ちる気がするのである。


そんな風に人の顔に気になることがいったい何の役に立つのか。
誰の役に立つのか。

私が見たい顔は今までの人生話とのセットである。
だから、それなりにいろいろな経験を重ねてきた顔、ある程度年齢を重ねた方の顔の方が気になっている。

だけど残念なことに、歳を重ねる人ほど過去の自分をあまり語らない。
過去の自分を認めようとしなかったり、控えめや謙虚であることを美徳とする方も多い。

私なんて・・・・。
大した人生じゃないし・・・。
ただの平凡な普通の人生・・・。
何の取り柄もなかったし・・・。
う~ん、これが本当にもったいない。

私はそういう話をしている時の顔を見ながら、今までの話を聞きたいのである。
人それぞれ、いろいろな人生があり、それはどれも愛おしい。
本当は、本人が一番愛おしく思いたいはずなのだ。
だからそういうお話をしているとき、人は目を細めたり、くしゃくしゃに笑ったり、
凛とした強さを見せたりしながら、とても魅力的な顔になるのだ。

こういうお話をした時間や、人生をふり返ったことや思い出そのものが、
きっとその方の力になるのではないかと思うのだ。

今の時代、
なんとなく年をとるのは残念なこと・・・そんな雰囲気がある。
将来は不安だし、何事にも悲観的で。

だけど今までだって苦しいことはあっただろうし、
ふり返りながら、自分の人生を愛おしく思えると、
悲観的な思いが少し軽くなりはしないだろうか。
周りの人の人生も聞いてみたくなったりはしないだろうか。

そんなことを話しながら、
そうそう!なんて言いながら盛り上がったりするかもしれない。

そんな思いから、これからの時間を今以上に大事にできるはずだと思うのだ。

そういう時に、同時にプロに撮影してもらうと、その写真を見てほとんどの方が
「あら、私、こんな顔して話をするの?」
「これ、なんか私っぽくない気がするけど、悪くないね。」
などとおっしゃる。

日頃、鏡の中の自分しか見たことがないから当たり前ではあるのだが、
周りの人が知っている顔はまさにそういう顔である。
自分の知らない顔を見て、自分への元気のモトにもなる場合もある。

一方で、周りから見れば凛としてステキ!と思うお顔をご本人が嫌がり、
全く別のお顔をお気に入りとおっしゃる場合もある。
人それぞれであることの面白さだ。


さて、つい先日、今までの人生をお聞きしながらの撮影会を開催したのだが、
まさにそういう時間になった。

撮影中にご自身のポリシーとも言えるような、名言を吐かれたりもする。
おそらくご本人は何気なくお話しているのであろうが、驚くくらいの名セリフが飛び出すのだ。
う~ん。さすが!

ちなみに、若くても名セリフ、飛び出します。